【再録】私のアイ【SS】

最初は、遊び半分だった。
死んだ動物の『ガワ』を特殊加工して造ったロボットAI-1122、通称『アイ』。
人間と同等程度の知能を持つ『それ』は、小学校から今までずっと私の傍にいてくれた。ある時は天才ロボット工学者の代表作品として、またある時は主人を守る警護型ロボットとして、そして『唯一の親友』として。
アイは私の傍に居続けた。
それも今日までの話だ。
「……アイを博物館に?」
「はい。柏木様が造られた『アイ』は世界に残すべき素晴らしいものです。ぜひ、我が博物館に歴史的資料として寄贈をお願いしたく……」
「無理だ。アレはまだ使い道がある」
「使い道……」
「介護用ロボットとして使えるかどうか実験していない。私が……そうだな、生きている内は国には引き渡せないな」
「ではその技術だけでも……」
「それも無理だな。もうこれを聞かれるのは数えきれないほどだが答えは変わらない」
「……そうですか」
そう政府からの使いに答えたのが一年前。
それが今は。
「柏木さん、おはようございます」
「ああ……、おはよう」
「四月二十日、快晴です」
「そうか」
事故で視力を失い、両方義眼にしたのが一年前、文字通り私にとっての「eye」になったアイはこの一年間私に尽くしてきてくれた。だがそれも今日までの話だ。
今日、安楽死の為に医者に会いに行く。
その道を選んだのはもちろん私だ。
目が見えなくなってから、一気に心に余裕がなくなった。
アイが目の役割をしてくれていると言っても限度がある。例えば、アイのメンテナンス。目が見えないせいで一年間メンテナンスをしていない。
「アイ、今日も大事ないか」
「はい。今日もアイは問題ないです」
「そうか」
こうして口頭でしか確認ができない。
アイの言葉を信じることしか出来ない。
「アイ、明日からキミは博物館に行くわけだが、準備はもう済んだかい?」
「はい。心配いりません」
自分の死と同時にアイを廃棄するつもりはない。そのくらいなら前々から話をされていた寄贈をした方がましだと思った。アイをこの世に残せるのならそれでいい。
「……柏木様。本当にこの道を選んでよかったのでしょうか?」
「安楽死の話かい?」
「はい。アイはまだ動きます。まだお役に立ちます。アイはまだ……」
「気を病ませたね。だがこれは『命令』だ。わかるね?」
「……ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない」
「良い子だ」
手を上げるとアイは頭を差し出してきた。撫でてやると、その手を握って頭をもっと強く押し付けようとしてくる。目が見えなくなってから覚えたアイの癖の一つだ。
「でももう、生きていることに不安を感じて仕方ないんだ。見えないだけで人はこんなに弱くなるんだね」
「……」
「ほら、今もアイがどんな顔をしているかわからない」
一番怖いのは、こうして生きていて、アイの、アイの元である男を忘れることだった。
相沢裕太は、私の義弟だった。
「……こんにちは」
裕太の両親は事故で亡くなった。家族旅行での衝突事故だった。
運転席及び助手席はトラックに潰され損壊。後部座席に唯一座っていた彼は怪我はしたものの命に別状はなく、当時、私の発明による特許で裕福だった我が家に引き取られることになったのだった。
裕太は内気な少年だった。両親と死別した現実を受け入れられなかったのか、元々の気質もあったのか、あまり外界と接そうとはせず、自分の殻に閉じこもるような子供だった印象がある。両親は困ったような風をしていたが、「いきなり新しい家族です」と言われて『家族』にねじ込まれても受け入れられなかった私にとっては、彼が空気でいてくれることはありがたかった。
最初に会った時以来、初めて裕太からコンタクトを取ってきたのは、彼がウチに来て三ヵ月ほど経った時だった。
私の服の裾を掴んで、私の名前を呼んだ裕太はか細い声で言った。
「僕、もう相沢じゃないの?」
両親が働きに出ていて、家には私と裕太しかいない日だった。
ランドセルを背負ったまま、ソファーでくつろぐ私にそう言った彼の顔は今にも泣きそうな顔で驚いたのを覚えている。何せ裕太が家に来るまで兄弟などいなかったのだ。年上ならまだしも、年下の扱いなんてわからなかった。
「どうした、裕太くん。何かあったのか」
裕太は区画の移動により、新しい小学校に転入した。まさか、イジメられでもしたのだろうか。担当分野ではないことに内心おろおろしながらも、私は彼を向かいのソファーに座らせて話を聞いた。
「柏木くんって呼ばれると、なんだかお父さんとお母さんの居た証までいなくなったみたいに感じる」
彼が涙ながらに言った言葉はわからなくはなかった。
私の両親も再婚だったからだ。私も一度苗字が変わった経験がある。
片親の過干渉と、両親の不仲を見てきた身としては、これで邪魔が入らず研究ができると気にもしなかったが、過去の知り合いに未だに旧姓で呼ばれると、過去がちらつき何とも言えない気持ちになる。
裕太は両親と仲が良かったと聞いた。私にはわからないが、彼には思うところがあるのだろう。私は専門外の事、特に正解がない事柄については不得意だ。だからその時も、なんだかとても悩んで必死にそれっぽい言葉を並べたような気がする。
「キミと言う存在がいる限り、キミのお父様とお母様がいなかったという証明にはならない。だが、裕太君がそう言うのなら私はキミを相沢君と呼ぼう」
この言葉を言うまでに十分の時間を要した。
答えが出るころには裕太も泣き止んでいた。そして私の普段使っていない脳から出た言葉に首を傾げたのだ。
「おうちで苗字で呼ぶのは変だよ」
「……それもそうだな。それじゃあ相沢から取って“アイ”はどうだ」
裕太は、いや『アイ』はその時やっと笑顔を見せた。
「……ありがとう」
春風が吹いた、なんて文学的表現をするほど、私はロマンチストではない。
だけどもそう表現するしかなかった。
彼の笑った顔が、今でも心に残っている。
まるで、春風が桜の花弁を連れてくるように、綺麗だと、そう思った。
その三日後だった。
神というものは厄介なもので、大切なものから奪っていく。
よく晴れた日の朝、日直で早めに登校した私を教師が慌てて呼んだ。
「柏木さん!弟君が……!」
彼の両親を奪った、同じやり方で彼を殺すなんてなんて悪趣味なんだろう!
次に会った時、アイはあの笑顔を見せてくれることはなかった。
霊安室にいる彼はまるで眠っているようだった。身体の損壊は少ない。
――まだいける。
「父さん、母さん。『これ』貰っていいよね」
この国に天才である私の研究を阻害するものはない。
医者の父と警察の母が居たからこそなせる業だと今では思うが、もしその環境に自分が置かれなかったとしても、私を阻害するモノはいなかっただろう。
文字通り動物を、人間の皮を被ったロボット、それがAI-1122『アイ』。
世間では死者に対する冒涜だとか、倫理的にどうだとか言われていたらしいがそんなことには興味がない。
私は、『アイ』にもう一度会いたかった。
あの日。確かに自分に芽生えた感情の名前を探すために。
『アイ』とは長い付き合いになった。
だが、今日の今まで、あの感情の事はわからないままだ。
(もう目も見えないから、きっとこれからもわからないのだろう)
今の私には彼の表情すら見えない。
どんどん記憶からアイの笑顔が薄れていく気がする。
そんな恐怖に追いかけまわされるくらいなら、この思い出と共に心中した方が苦しまなくて済む。
そう考えた結果が近年、世界中で合法化された安楽死だ。
アイは博物館の人間が手入れをしてくれるだろう。なんせアイは人類初の「感情を持って自立できる」ロボットで、人間国宝である私の代表作。大切にされないわけがない。
心配なことがあるとすれば、私を失ったアイがそれをどう思うかだ。
「アイは柏木さんの命令に従います」
最初にアイに安楽死の事を伝えた時、彼はそう言って私の手を握った。
「電源を落とされるか、朽ちるまでスリープモードにされるかもしれない。キミの意思は関係なく、見世物か資料としてひとりぼっちになってしまうかもしれない。それでも、キミは私を許してくれるだろうか?」
「アイは柏木さんの命令に従います」
「……すまない。ずるいな、この質問は」
見えなくても声からアイが困っていることがわかる。
私はダメな開発者だ。
小さな頃は天才開発者なんてもてはやされてきたが、裕太が死んで、アイと一緒に暮らすようになってから笑うことが多くなった。
無理にでも笑わないとアイが心配するから。いつしか笑うのが癖になった。
両親はその変わりように驚いていたけれど、私にとっては当然の事だった。
アイが笑ってくれないと、あの時の感情の意味が解らない。
裕太が『アイ』になったあの時の感情が――。
「柏木さん?」
病院にいく為の車椅子を準備していたのだろう、ガチャガチャとした音と共に靴音が近づいてくる。
「ああ、すまない。ボーッとしていたね」
「やはり今回のお話は……」
「案ずることはないよ。予定通り病院に行こう」
「……はい」
アイに介助されながら車椅子に乗る。
玄関を過ぎ、館の外へ出ると柔らかな春風が頬に触れた。花のにおいがする。去年アイが植えた花だろう。
「咲くのが楽しみですね!」
アイはそう言って笑ったが、ついに私がそれを見ることはなかった。
「アイ」
「なんですか?」
「キミの植えた花は綺麗か?」
「綺麗ですよ。あか、しろ、きいろ……いっぱいあります!」
「そうか」
アイの喜色ばんだ声で、私まで暖かい気持ちになる。
「アイが綺麗だと言うならよかった」
私には花の色が何かわからない。だからアイの世界がすべてだ。
それが悪いものだとは思わない。
だが、私にはそれが怖いのだ。
アイが動かなくなった時、アイが私の元から離れたいと思った時、アイが自分の人生を歩みたいと思った時、私はどうすればいいのだろう。
歳を取るごとに裕太の記憶がアイで塗り替えられていく。
私は、結局のところ、アイの世界の中で生きるのが怖いのだ。
アイに捨てられ、裕太を失った私は何が残るのか、私はそれを知るのが。
怖い。
「ほら、桜の匂いがします」
「……わからないな」
「八重桜ですよ。綺麗です」
(ほら、こうして)
本当に自分が生きているのか不安になるときがある。
例えば、もう世界なんてものは無くってアイと私だけが残っているのだとか。
考えて、不安になって、でもアイしか縋る者がいない自分が惨めで。
それが嫌で。
「柏木さん」
「ん?」
「柏木さんはアイの事、好きでしたか?」
伺うような声色。
「好きじゃなかったら早々に廃棄しているよ」
気遣いではなく本心だった。
だが、それを聞いたアイは車椅子を力任せに押す。ガっと風が頬をぬいて驚いた。
「うわっ! ア、アイ?」
病院とはどんどん違う方向に向かっていく気がする。いや、気がするではない。だって、安楽死の説明を受けた時何度もこの道を通ったのだ。今はそのルートから大幅に外れている。
「アイ! どうした!? 何かあったのか?」
「……」
「アイ!?」
反応がない。途端に怖くなる。何が起きたのだろう。アイは?本当にこの車椅子を押しているのはアイなのだろうか?別の人だったら?
怖い。
怖い。
怖い。
「アイ! 返事をしてくれ! アイ!」
叫ぶ。
(どうしよう、怖い)
手すりに強く捕まり、後ろにいるのがアイであることを祈りながら疾走する車椅子に耐える。やがて止まったのは、どこかわからない場所だった。微かに潮の香りがするから、海の近くなのかもしれない。
「アイ……?」
「アイは嘘をつきました」
車椅子が微かに振動で動く。
「……アイは、本当は、柏木さんともっと一緒に居たいです! 柏木さんが死ぬのも博物館に行くのも嫌です! ずっと、ずっと、アイが壊れるまで一緒に居たいです!」
最期の方は泣き声に近かった。アイのそんな姿は見たことがない。私の記憶の中のアイはいつも笑っていて、泣いたことなんてなかったから。
「アイが貴方の目になります! それじゃあダメなんですか!?」
「……アイ、私はもう」
「じゃあなんでアイに心なんてものつけたんですか!?」
「…………」
答えられない。
私はただ。
「……キミに、笑っていて欲しかったんだ」
もう一度、あの笑顔を見たかった。
でも、だったら、機械に「笑顔」の機能をつければいい。心なんて面倒なものつけたのは、結局は義弟に、裕太にまた会いたかったからだ。
でも。
「アイは、貴方がいないと笑うことなんてできません……!」
アイはもう「裕太」じゃない。
アイは、「この子」はちゃんと今、生きている。
私はその子になんて酷なことをさせていたのだろう。
でも、気持ちは変わらない。
「アイ、これは『命令』だ。お前を初めて起動させた時、教えたな。『ロボット三原則、第二条。ロボットは人間に与えられた命令に従わなければならない』……あまりワガママを言うな」
後ろから抱きしめられたその身体には体温というものは無かった。薄い死体の皮に包まれた機械。それがアイだ。
なのに、どうして、体温なんてものは確かに無いのに、どうして。
こんなにこの子の涙は暖かいのだろう。
「アイはそんな『命令』聞けません。『ただし、あたえられた命令が第一条に反する場合は、この限りではない』……第一条では『人間に危害を及ぼしてはならない』とあります。アイが貴方を病院に連れて行くのはこの第一条に適応されます」
ロボット三原則、第一条には確かに『ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない』とある。だが、これは「命令」であり、「危害」ではない。
そう口を開こうとしたとき、頭に柔い感触が当たった。それはアイの頭の様で、髪の毛が頬をくすぐった。
「適応されないと、アイは、どうすればいいのですか……」
「……アイ」
 アイは今、どんな顔をしているのだろう。
 きっと、良い顔はしてないだろうな。不安そうな顔をしているかもしれない、泣きそうな顔をしているかもしれない。それを私は知るすべを持たない。
「私はこの世界が怖いんだよ」
肩まで落ちてきた彼の頭を優しく撫でてやる。
「キミの元になった人間がアイに染まっていくのが怖い。それでいてアイが居なくなることも怖い。アイを感じられない世界は、アイが見えない世界は暗くて、嫌だよ」
「……それならアイが! アイが柏木さんの目で居続けます!全部見たものをお伝えします! ずっと触れて、アイはここにいるよって、証明します! メンテナンスだって自分でします! だから!」
首元に水滴が落ちてきた。涙なんて機能は彼にはついていないのに。
「だから、死なないでください……!」
「アイ」
アイの頭をいつものように撫でてやる。
「泣かないでくれ」
「そんな、機能は、っ、ついてません……っ!」
どうしてだろう。私はこんな時なのに笑ってしまうんだ。
嬉しいと感じてしまうんだ。
やっとわかった。
「キミには笑顔の方が似合うよ」
春風が吹く。頭を上げてアイの方を見ると、見えないはずの彼の表情が見えた気がした。
『ありがとう』
あの時の感情は、
「アイ、」
「……っ、はい、っ」
「どうやら私はキミの涙に弱いらしい」
きっと今の私は笑っているんだろうな。
「死にぞこなった私の残りの人生、丸々もらってくれるかい?」
名前を付けるなら、きっとこれを、
「……っ、はい!」
「愛」というのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?