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魂の退社 アフロ記者・稲垣えみ子

最近、noteで3人ものいずれも好レビューを立て続けに読んで、これは読まねばなるまいと買ってしまった。
稲垣えみ子さんの『魂の退社』。ちょうど文庫が出てて、一気によんでしまいました。

(アフィリエイトは売上少なすぎて解約されてた・・ただのリンクです)

アフロの稲垣えみ子さんのことは、雑誌か何かの断捨離特集だったかでライフスタイルを見たことがあり、その暮らしぶりは意識高い系どころではなく、電化製品もなく、リアル雨ニモマケズ暮らして一日に玄米四合と味噌と少しの野菜ライフで、イツモシヅカニワラッテヰル、現代の仙人だと思っていたので共感できるとこはないだろうとおもってたのですが、
いやはや、大企業に長年勤めてるアラフォーにはグサグサ刺さりました。
↓楓さんのレビューも面白い。会社は人生最大のチューブ。抜けるか否か。

『折り返し地点』で見た恐怖

稲垣さんは40歳頃には中間管理職だったので、私から見たらかなりエリート社員で役に立ってないはずがないと思うのですが、会社員はそこそこで満足するというのは難しいようで。。

『折り返し地点』で見た恐怖
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要するに、出世競争みたいなものの入り口に立っていたわけです。それまでの私は、先輩や上司にそれなりに世話を焼かれ、チャンスを与えられ、成功したり失敗したりしながらスクスクと育ててもらっていました。しかし、そのような幸福な無名時代はそろそろ終わりを告げ、会社にとって役に立つ人材か、そうでないかの「選別」が始まる年頃でありました
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例えば自分が部長にならなかった場合(実際大多数の人がならないわけですが)当然、自分以外の誰かしかも同期や後輩なんかが部長になる。すると、自分がその誰かよりも「劣っている」と判断されたということになるわけです。それは、はたから見る以上に深く人の気持ちを傷つける。

魂の退社より

巻末のあとがきを読むと稲垣さんは現在58歳、退社されたときは8年前、40歳の頃といえば18年前なので、年功序列もすこしずつなくなってきて(うちはまだ色濃いけど)、売り手市場で転職に対する気軽さも違うはずなんですが。私はおなじく40になって、結局何者にもなれないというのがわかって、「無名」から、「無能」になって傷ついてるんでしょうね。

そもそもみんな「新聞記者」になりたくて入社したんじゃないの?「生涯一記者」でいいじゃんよ!
・・・なーんて冷ややかに見ていたはずの私ですが、思いもかけないことに、その自分もいつの間にか人事異動が発表されるたびに一喜一憂し始めていたのです。

エンジアなんて技術にふれなくなったらおしまいだし、専門家でいいじゃない、それに子供もいて長く休みを取って早く帰ってるのに、地方住みでたいしてお金も使わないのにもういいじゃん。

と思っていたのに、最近後輩や同年代の女子たちが子供を産んでも時短勤務でも昇進しはじめまして、それは多少のアファーマティブアクションもあったりなかったり、根性で乗り越えてたり色々なのですが、ムーブメントから漏れた身としては、とても動揺してしまって。
私も結局、出世至上主義から抜けきれてないんですよ。
会社の外に一歩でれば何も効果をなさない称号だってわかってるのに。対外的な数値のために登用しておいて、周りから攻撃を受けて潰されるのを何度も見てるのに。

死のトライアングル

 私にできることは「自分には力がないのだ」と認め、もっともっと努力をするということしかないのです。いや努力したくないわけじゃないんです。
でも頑張って頑張って、でもその結果再び「外される」ことが延々と続いた場合、私の精神はどこまで耐えられるのか。
 報われない戦いと、どうしてもぬぐえない「差別なんじゃないか」という疑念と。そして「差別などない」と言う会社と。
 これを死のトライアングルと言わずして何と言いましょう。

頑張って、頑張って、疲れがぬけなくなる年頃なのか、
上がらない評価と冴えない成果で現実が見えただけなのか、
無邪気に頑張れなくなってきんですよね。

こんなに疲れてまでやるべきなのか。もうエンジニアもやりたくなくなってきてしまって、落込みがひどい。何でしょうね、これは。闇期?

会社員はおいしい
でも、会社員はおいしいんですよね、特に大企業と言われるようなところは、
転職しようとしても、転勤できないので、地元企業を調べてみても下っ端管理職の求人でも平エンジニアのほうが給料が高い。(求人が載ってないような役職は高いと思いますが)
心身を疲弊して子供のちょっとしたことでイラついてしまったときなんかは罪悪感半端なく、給料下がってもいいんじゃないかとか
例えば病んで本格的に働けなくなる前にゆるそうなところへ転職すべきとか考えますが、
緩いかどうかは?

エンジニアはフリーランスできる?
会社員で業務委託を使ったことあるエンジニアはフリーランスになりたいと思わないんじゃないかな、、

この本にほぼ賛同だけど、一つだけ反論したい。エリートが何者でもないとか役に立たないとかいうの腹立ちませんか?

1つ反論させてください、いやいや稲垣さん、ゆうてもあなた管理職じゃないですか、中間管理職で役に立たないっていったら平社員の私どうなりますの?って私は思いましたよ。
(フィールドワークこそ記者、管理職はブルシットっていう意識もあるのかと思いますが)

とはいえ、そのまま自分にもブーメラン返ってくるんですよ。
ゆうてもお前、正社員やん?
子供を産んでも辞めなくてよかったんでしょ?在宅勤務できるくせにしんどいとかなめてんのか!
役に立たない仕事って、それを私たち派遣社員に頼んでるんですよねぇ?私も役に立ってないってこと?
クリエイティブじゃないと仕事じゃないの?コレで生計を立ててる私は?

自分の仕事を下げると、周りも一緒に下げてしまうってことは、誰かと働いてる人、特に管理職になったら気を付けないといけないと思うんですよ。

謙虚なようでやっぱり出世至上主義で、できない自分を見下すとき、同時に多くの周りを見下してるんですよね。
こわっ

深淵をのぞくとき、深淵もまたお前をのぞいているのだと言われた気分。

掃除を毎日してくれる障害者雇用の人、食堂でハイスピードで配膳するパートの人、事務処理を繰り返すスタッフ、工場のラインで働く交替勤務の人。役にたってない人なんていないのに。

見下す管理職についていきたい従業員はいないだろうし、
感謝しているとしても、会社の評価テーブルで人を評価しないといけない、
出世至上主義に疑いを持たず勝ち続けた人が昇進して生き残る




しかし、会社で働いていない人だって日本を支えている。
営業の人たち、フリーランスで働く人たちは言うまでもない。さらに、お金を稼いでいない人たち、例えば専業主婦、仕事を辞めた高齢者、何かの事情で働けない人、こどもだって、みんな日本を支えているんじゃないだろうか?食事を作る、掃除をする
、孫と遊ぶ、何かを買う、近所の人に挨拶をする、誰かと友達になる、誰かに笑顔を見せる―世の中とは要するに「支え合い」である。必ずしもお金が仲介しなくたって、支え合うことさえできればそこそこに生きていくことができるはずだ。
 しかし、会社で働いているとそんなことはわすれてしまう





先ほど疑問といったけど、
やっぱりこの他者に対する部分は同じ感覚なんですよ。
他者に対して、普通の感覚の稲垣さんが会社を卒業するのは必然的でとても誠実な生き方のような気がしてきます。

そんな出世至上主義の傲慢さと子育ては非常に相性が悪い、私は子供に金を稼げば稼ぐほど偉いと育てたくないし、みんなそれぞれに価値があると教えたいのに、自分が出世至上主義の中にいて果たしていいのかという気持ちにもなります。

ただし、専業主婦が出世至上主義でないとはかぎらない。
誰がどこで働いているとかいないとか、噂ばかりしている井戸端会議を聞いたことはないだろうか、
親戚のおばちゃんたちが顔も見たことのない誰それがどこの会社につとめてるだの、官僚のなんとかのーとかの自慢を自分のことのように話しているのを延々と聞かされたことは?
自分のことでない分もっと酷いと思う。

出世至上主義は仕事をやめたら逃れられるものなのだろうか?

会社のサステナビリティとかダイバーシティとか全部欺瞞なの?
会社員が普通の感覚を維持することはできないの?
そんなに傲慢な人ばかりかなぁ??

稲垣さんが辞めた理由はそこがメインじゃなくもっと複合的な機会とかが絡まりあってて、特にうどん県の通貨単位がうどん1杯の話は郷里が近いので爆笑とともに納得。
『そんなもんうどんが四杯食べれる』って基準、この正常な感覚!
田舎からでて、私もずいぶん歪んだようです。

今回、著者のことをずいぶんそのへんの先輩のように書いてしまいましたが、そんなふうに思ってしまうほどとても読みやすく、親しみやすい、アフロの見た目以上に中身もユーモラスで明るくて、素直な仙人。仕事をやめたい人にも続けたい人にもこの本とてもオススメです。