混沌と化す世界

世界は、混沌と化していく。

隠されていた人間の本質が露わになる。

クズとクソとボケだらけの世界で生きるためには自衛が必要不可欠になる。

その中で死と向き合う者は真実に目を向けるしかなくなる。

惟式は答を示せる。

世に溢れる嘘を暴いて、公式を数式で示し真理を解く。


最近本当に酷い人間ばかりの中にいて、かつ、ただ立っていることを仕事にしてわかった。

惟式として公式としての真理で理解出来ていたことを、感情として、感覚を情報としてとらえて腑に落ちた。

一は正解。

一に止まって解くことは出来ない。

そこは止まっていて動かない。力は重なることはない。そこに上下はない。

二は知恵。

そこは近い。

何に近いのか。それは正解に。しかし正解に近づくには正解の力がいる。

しかしその力は二では、知恵では見えない。

ではどこで見えるのか。

それは三の理解。

しかし三の理解は遠い。

何から遠いのか。それは正解から。

理解は正解から遠く、正解とは異なる。

この公式を念頭に入れて社会的な問題を解いていく。

人が生きるのに必要なのは自分とは異なる人、他人。

自分が生きるのに必要となるのはどんな他人か。それは信用できる他人であり信頼出来る他人。

ではどうすれば必要な他人を見つけることができるようになるのか。

それは信用できて信頼できる他人とはどのような人間か知ることで見つけることができるようになる。

どうすれば知ることができるのか。

答えは隠れたそばにある。

二は知恵であるが一は隠れた知恵である。
正解は隠れている。だから誤解する。

理解である三には誤解の元がある。

一は三であり九である。

一に隠れた力は同じである。

しかし知ることが出来ない力。

それは信じる力。

信用は、信じる力を用いないと得られないし、信頼の力は信じて頼らないと得られない。

知恵は肯定の、理解は否定の力を用いる。

否定は疑いの力を用いて肯定の力を信じる力に変える。

それは、異なり遠い疑いから、似て近い信じへの道。

この世界はよく出来ている。

暗闇にある針の穴のような真実への抜け道はたった一つの方法でしか見つけられない。

それは同じになること。

答えは出た。

信用できて信頼できる他人を見抜く力を得るには自分が信用され、信頼される他人になること。

知恵とは体験知。

真実は与えたものと等価の対価しか、求めれない。

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