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洗脳マシン

アウンサン・スーチーさんがノーベル平和賞を受賞したのは、何時のことだろうか?英雄から非難の的に堕ちた彼女に想いを馳せる。

堕ちたといえばアドルフ・ヒトラーはどうだろうか。独裁者の代名詞としてよくよく彼のことを嫌うが、私たちは自分がヒトラーにならない!と本気で考えているのだろうか。

ヒトラーとワタシは違う‼いったい何が違うのだろうか?もし、ワタシとヒトラーは違う!と言うとき、その人はいつでもヒトラーになれる準備が整っている、と断言できる。安易にヒトラーと異なると主張することそれ自体が、その脆さを露呈している。

わたしもヒトラーになれる。

そう考える人は、やすやすとヒトラーにはならないだろう。アウンサン・スーチーさんは、理想と信念をもった人だったろう。そんな彼女ですら、権力を握れば人々の期待と欲求にさらされる。かつての理想が濁っていく。

彼女は、自分の父や、その他の権力者たちに想いを馳せるだろう。権力を握るということが、どういうことか。救いようのない人々の欲望の根深さも…。

仮に彼女が理想を体現しようとすれば、それに反対する人々を抑えこまなこればならない。独裁のはじまりという訳だ。

手を血に染める。そうなると反対する人がさらに増える。彼らの復讐を怖れ、またしても手を血に染める。独裁の温床というわけだ。

アウンサン・スーチーさんの苦悩は濃い。うまく舵が切れないのも当然のようだ。忍耐が必要だが、周りはそれを理解しないだろう。

ワタシはヒトラーにならない!というのはいい。それはいい。それは単に独裁者とは何者で、どういった経緯で誕生するかを知らないだけだ。想像ができない。

そのスタンスだと、ヒトラーが英雄とされる時代には、やすやすと彼を熱狂的に支持するだろう。そういったもの。

アウンサン・スーチーとアドルフ・ヒトラーの違いはなにか?アウンサン・スーチーさんは簡単には独裁者にならない点だ。

ワタシはいつでも独裁者になる…そう考えることのできる人にはそれへの抵抗力と、自分を客観的に観る目がある。

私たちには豊かな理解が必要になる。

常識を疑え♪ これは、物を書くうえで基本的な姿勢だと思います。私達の誰一人として、「洗脳されていない人」など存在しないからです。赤色のインクのなかに漬けれれた紙は赤くなります。地球に住む私達も、その影響から逃れることはできません。大事なのは洗脳されていることを知っていることです。