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黄色い帽子のおじさんという名の神

1日の大半をイライラして過ごしている。

そして、そのイライラの原因の半分以上は子どもにある。
脱ぎっぱなしの服
丸まった靴下
散らかるおもちゃ
食べないごはん
終わらないゲーム
溢れた牛乳
兄弟喧嘩
発掘された重要プリント
適当すぎる宿題
カバンに眠る弁当箱
兄弟喧嘩
兄弟喧嘩

水戸黄門か!というほど毎日同じパターンを繰り返す。
同じことを毎日言い続けるのにも腹が立つし、言われる方も「またかよ」と思っている顔をしている。

小さい頃、クレヨンしんちゃんのお母さんやちびまる子ちゃんのお母さんを見て「どうしてこの人はいつもいつもガミガミ怒ってばかりいるのだろう。」と思っていた。
大人のくせにこんな余裕のないの嫌だなくらいの気持ちにもなっていたはずだ。

そして大人になって母になって気付く。

あれはごくごく標準的な母の姿なのだ。
大人は、子どもたちが思っているよりずっと弱く小さい。

あの頃の私が笑って軽蔑していた大人になってたガッカリ感はいったん忘れて、「この姿がありのままの大人の姿なのだ」と認めてみると、逆にあの頃「あるべき普通の大人だ」と思っていた大人の存在が際立ってくる。

黄色い帽子のおじさんだ。

黄色い帽子のおじさんは、「おさるのジョージ」の主人公・ジョージの保護者だ。
ご存知の通りジョージは猿なので、毎度毎度好奇心の赴くままに行動してトラブルを起こしまくる。
それに対しての黄色い帽子のおじさんのリアクションはこうだ。

「オォ、ジョ〜ジ」

部屋中に食べ物をぶちまけても
家中泡だらけにしても
脱走して夜の遊園地に繰り出しても

「オォ、ジョ〜ジ」

ジョージが猿であるということを差し引いたとしても、ミスやトラブルに対する黄色い帽子のおじさんの寛容さには頭が下がる。
私だったら毎回キレ散らかして、速攻でジョージに首輪をつけて檻に入れる。
「どうして毎回厄介事を引き起こすんだこの猿め!」とかいつもプリプリ言って、ジョージの敵キャラとして活躍することだろう。そして世のちびっこに嫌われまくるんだろうな。

子どもの奔放さに振り回されて毎日イライラしている私にとって、「オォ、ジョ〜ジ」な寛容さで受け止めてジョージが心のままに動き回るのを優しく見守る黄色い帽子のおじさんの姿は、眩しいを通り越して神々しい。
ジョージが奔放さを失わずに輝いていられるのは、黄色い帽子のおじさんあってこそだと思う。

服装のセンスは置いといて、黄色い帽子のおじさんは、母になった私にとって師であり神である。

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