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なんで整体師になったの?Part1

中学生だった私の夢は

『看護師さん』

え?
じゃあ、なんで整体師なの⁉️
って思いますよね?

少し長くなりますが
私の今の整体師までの道のりに
お付き合いください😊

今から15年ほど前…

中学生の私は腰痛に悩んでいました。

当時は若さもあり、一時的なものだと思って
それほど気にもせず普通に生活していました。

でも、
その痛みは一向に良くならず
悪化していくばかり。

【普通に座っているだけ】

これがめちゃくちゃしんどい💦
学生にとって座るのがツラいって
めちゃくちゃ困りますよね😅

病院嫌いの私でしたがしぶしぶ病院へ🏥

検査の結果は

何も異常なし

そんな事ある⁉️

子供ながらにそう思いましたが
無知な私と母はお医者さんの言う事を
信じるしか術が無かったので
リハビリやマッサージ、整体、気功など
腰痛にいいと言われるものは
すべて連れて行ってもらいました。

そのメンテナンスの成果もあって
定期的に通いながら生活を送れば
痛みも強くならずに過ごせました。

そんな中でも、看護師への憧れは
強くなる一方で高校→大学と進み
念願の看護学生になりました😊

家を出たい‼️と強く思っていたので
地方の学校しか受けず
合格したのも長野の学校でした。

当時は高校生。
私の家は門限17時のめちゃくちゃ厳しい家。
ひとりっ子で女の子。
父も母も心配だったと思います。

下宿の条件は、毎日の電話と

【腰が悪くなったら帰ってくる事】


何言ってるのかこの頃は分からなかった。

長野県は車がないと不便なことも多く
なかなかメンテナンスに行く事が
難しくなり、調子も良かったので
帰省の時に整体に行く程度で
メンテナンス不足の状態。
約1年間は放置の状態が続きました。

これが、ダメだった…

ある日の授業中
4人で患者さん役の子を移動させる
実習がありました。

その実習中…
私の足腰は突然、ガクッとなり
痛みで力が入らなくなった。
その後から左脚がずっと痺れてる。

1年間、カラダの勉強してきたから
だからこそわかる最悪の事態。

どっかで気づいてた。
認めたくなくてずっと誤魔化してきた。
だけど、もう耐えられなくなって母を呼び
病院に行って検査を受けた。

診断は…

『腰椎椎間板ヘルニア』


やっぱり。。。
これが心の声だった。

当時19歳。
まだ、親の同意がないと
手術も受けられない。

うちの親は手術の選択をしなかった。

約束


今となってはあの時手術を受けなくて
本当に良かったと思ってるから
感謝しかないんだけど、当時の私は
学校を辞めるのが嫌だったから
めちゃくちゃ泣いた。。。

挫折


って言葉が
こんなにもしっくりくる

ここまでが、
看護師さんを諦めるまでの
私のストーリー😊
続きは次の投稿へ

𝐧𝐞𝐱𝐭…Part2へ🧸𓈒 𓏸

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