全身麻酔での子宮鏡手術(子宮内膜ポリープ切除術)体験談

この記事は、私が手術前に調べたところ同様な体験談の数が少なかったことから、今後手術を受けられる人のために記すものです。文章が冗長なのでご注意下さい。


月日は遡ること2021年2月中旬、私は中々終わらない生理に悩まされていた。
若干26歳にして10年近く低用量ピルを服用している私は、今回も例に漏れず6日間の小笠原旅行にかぶらないよう、余裕を持って生理を調整していた。
しかし予定通り来た生理は思いのほか長引き、旅行初日の時点でなんと15日間、それも有り得ない量の出血が続いていた。
しかしダイバーの私はおかまいなしにタンポンをぶちこんで2日間ダイビングをしまくったわけだが、タンポンを挿す度に、普段は感じない奥に何かあるような違和感を得ていた。

旅行が終わってすぐに自宅近くの婦人科にかかると内診台に上げられ、爺さん医師が私の股間に向かって「なんだこれ?外か?いや中から出てるな、でかいぞ~」と話しかけていた。
結論から言うと子宮体内に特大サイズのポリープができていて、それが子宮口から飛び出しているとのことだった。これでは妊娠にも影響があるので(直近の予定はないが)、取ったほうがいいらしい。
そして手術をするには3日間の入院と全身麻酔が必要とのことだった。

子宮は胃や大腸と同じで、メスを入れずに内視鏡での手術が可能な数少ない臓器の一つである。体の外側に傷が残らない手術で済むのは不幸中の幸いだった。

しかしこの時かかった病院が天下一のソープ街である東京は吉原のど真ん中にある産婦人科(吉原の近所に住んでいたため)で、その後のやりとりで医者が完全に金の亡者であるように感じて不信感が先行したため、紹介状を書いてもらって翌月、札幌に転勤してから手術を受けることにした。

そして吉原のお医者様が紹介状を書いてくださった先が、有り難いことに北海道で最も病床数の多い大学附属病院の婦人科で、ここでとても素晴らしいチームの先生方に巡り合うことになった。

転院先でも子宮体がん検診(とても痛い)や子宮内鏡検査(そこそこ痛い)を経て病状を把握し、手術は5月中旬、2泊3日の入院と決まった。

手術まではピルとは逆の作用(女性ホルモンの量を下げて排卵を抑制する)薬を30日以上服用していた。子宮内膜を肥厚させないという意味では大変利に敵っているが、薬単価が保険適用後で1錠約300円と非常に高額なことが地味に痛かった。しかも副作用はほぼ更年期症状そのものである。幸い私は副作用はほぼ出なかった。

ピルを飲んでいる人は全員だが毎年子宮頚がん検診を受けていたので、婦人科系の病気はすぐにわかるだろうと慢心していた節があり、まさか自分の子宮内でそんな物が育っていたとは本当に驚きだった。


月日は流れて5月中旬の入院当日、11時に入院。婦人科病棟が満床とのことで産科病棟へ。どこからともなく新生児の泣き声が聞こえる。私これから何の手術受けるんだっけ…?

午後になって術前処置へ。
子宮口を広げるためにラミナリア棒を挿入するという処置だが、医師の「ちょっとチクッとしますよ~」という言葉に反してグイグイ押され、あまりの痛みに息が止まる。
そんな姿を見かねてか研修医らしき女性が優しく腕に触れ「大丈夫ですか…?」と声をかけてくれたのを皮切りに涙がこぼれ、完全に弱メンタルモードへ。初めは5㎜でトライしたが、私があまりに痛がったので結局3㎜のラミナリアを1本挿入されて終了した。
※ラミナリア:海草由来の棒状の道具。子宮頚管に挿入後、体液を吸って膨張することで子宮口を広げる。

処置後は全く痛みはなく、医師から手術の説明を受けて色々な書類のサインをする。
その後麻酔科医から麻酔の説明があり、「全身麻酔」と「脊髄くも膜下麻酔」のどちらでも良いと言われる。これまでの医師の説明では全身麻酔一択のような印象だったため困惑したが、両方のメリットとデメリットを説明されよく理解した上で、私は全身麻酔を選択した。
なお両者の特徴は下記の通り。

<全身麻酔>
・意識を失うため手術中の恐怖がない
・人工呼吸のため気管挿管が必要。

<脊髄くも膜下麻酔>
・下半身のみ無痛になり、意識がある
・術前に脊髄に麻酔を打つ
・術後も半日程度痺れた状態が続く

私は後に、この選択を激しく後悔することとなる。

翌日昼頃の手術予定のため、食事は前日21時まで、水分は当日9時までとの指示を受け、最後の晩餐とばかりに夕食のあとコンビニで買ったフルーツゼリーを貪って就寝した。

そして手術当日。
夜明け前に同室Aさんの嘔吐する声で目が覚める。Aさんは前日夜に同じような手術から帰ってきたかたで、寝る前もしきりに傷口を痛がってはゼエゼエ言っていた。
かろうじてナースコールを押せたのか、看護師が駆けつけて介抱を始めたので私も安心して眠りについた。
しかしこの出来事が私の恐怖心に拍車をかける。

夜が明けて午前中、同室Bさんも手術へ。明るい声で看護師さんと冗談を飛ばし合いながら出掛けていったのも束の間、2時間後にベッドへ戻ってきたBさんは呂律の回らない低いうめき声で痛みを訴えるだけの存在と化していた。
そして直後に激しく嘔吐。
病室はさながら阿鼻叫喚の様相である。

直前まで元気だった人が次々に別人となって帰ってくる部屋で、私は死刑の順番待ちをする人の気持ちに思いを馳せていた。

そこから私は検索の鬼となった。
ターゲットはもちろん全身麻酔後の吐き気や副作用についてである。結果、
・女性
・婦人科系の内視鏡手術
・乗り物酔いの経験がある
といった条件下で吐き気が起こりやすいことがわかった。
いや乗り物酔い以外全部該当するね。
なぜ昨日全身麻酔を選択してしまったのか。私は死を覚悟した。

そして13時、ついに私の順番が来た。

その日私を担当してくださった看護師さんは若く、天使のように優しい雰囲気を纏った女性だった。
天使とともにエレベーターで移動し、手術室のエリアへ歩み入る。
天使「緊張してますか?」
私「もう無理です」
天使「わぁ~寝てる間に終わるから大丈夫ですよ!ほら!(腕をさすってくれる)」
私「(涙目)」

手術室エリアの入口でメッシュ状の手術帽をかぶる。これって自分でかぶるものなんだ…。
エントランスで待っていると、奥から麻酔科医の若い男性Cさんと女性Dさんが迎えに来てくれた。自己紹介もそこそこにかなり奥にあるという手術室へゾロゾロと歩く。
C「ちょw顔色大丈夫ですか?」
天使「かなり緊張しちゃってるみたいで…」
私「もう無理です…」
C「えー!どうしよっかなー、眠るまでYoutubeでも見ます?w」
D「何言ってるんですかw」
私「RADWIMPSでお願いします…」
C「ラッドすか!いいですねーw」
そうこうしている間に手術室に到着。
前日に書いた手術同意書の内容などを書面で確認していると先生到着。
前日の処置や手術説明から手術の執刀まで私を担当してくれた女性医師は比較的若く、専門家としての真面目さと人間らしい優しさのバランスが非常によい信頼できるお医者様であると感じていた。

先生の顔を見るなり完全に涙腺崩壊する私。
先生「あららら大丈夫~?」
全然大丈夫ではない。
私「すみませ…(泣)」
天使「何だか緊張しちゃってて…」
先生「そっかぁ大丈夫だよ~寝てる間に終わるからね~」

想像してた手術室より広いな…などと思いながら手術台の上に横たわる。たくさんタオルが敷いてあってフカフカだった。
まず点滴とるね~と言ってDさんに手の甲を触られるが、「あれ、うーん…」などと不穏な空気。どうやら静脈がうまく見えないらしい。
とりあえずやってみる!と言ってあらかじめ部分麻酔を打ってくれたものの、1発で仕留めてくれたようで、Cさんも「我ながらめちゃめちゃ上手くできたwwすごくないですか!?」と嬉しそうでよかったなと思うなどした。
その間もDさんはずっとガーゼで私の涙を拭いてくれていた。ありがとうDさん…
点滴の針が刺さったのを見届けると天使は「終わったらまたベッドで迎えに来ますからね~大丈夫ですよ~!」と言い残して去っていった。

それからいよいよ酸素マスクを口にあて、ゆっくり深呼吸をしてくださいね~と言われてその通りにしていると、Cさんが「麻酔入れますね~すぐに眠くなりますよ。」と言った直後、麻酔が来たのがすぐにわかった。
脳みそがぐにゃりと曲がって世界が歪む感覚。筆舌しがたい気持ち悪さだった。出来れば二度と経験したくない。

手術中は夢を見ていたような気がしなくもないが、「終わりましたよ~」と手術室で声を掛けられた瞬間に忘れてしまった。

一瞬の出来事のようだったが、時間にしておそらく30分ぐらい。本当に一瞬である。大袈裟ですまないと病院の人にもこの記事の読者にも思う。

手術室では、朦朧としながら周囲の人に「ありがとうございました」と言ったことを覚えている。
その後はベッドごと自室に戻り、また看護師さんによる看護が始まった。

私は不織布などの素材に関わらずマスクと名のつくものが非常に苦手で、酸素マスクも例外ではないことを今回知った。

しかしあれほど恐れていた吐き気が一切ない。それどころか傷口の痛みすら感じなかった。私は自分の体質と医師の腕前、そして神に心から感謝した。

恐らく14時半ごろ部屋に戻ってからしっかりと意識が戻ったのが17時頃だが、それまでの間は目を開けていられないような眠気と倦怠感に襲われつつも、酸素マスクの息苦しさと戦っていた。また鼻が詰まっていて(多分術前に泣いていたせいで完全に自業自得なのだが)口呼吸しかできないため口の中が乾いて仕方なく、一度横になった状態で口の中をすすがせてもらった。本当に看護師さんには感謝しかない。

そんなこんなでマスクを外したりつけたり気絶したりしながら17時頃やっと眠気が覚め、友人や家族に生存連絡をした。昼頃手術と伝えていたのに夕方まで連絡がなかった両親の心配たるや想像を絶すること限りない。

17時半には勤務交代したこれまた優しい看護師さんに付き添われ歩行練習をしたところ、傷口の痛みもなくスイスイ歩けて驚いた。看護師さんも驚いていた。

その足でトイレに行って自力で排泄ができることを確認し、出血もなく、術後履かされていたオムツも脱いで身軽になることができた。
てっきり導尿(尿道にカテーテルを挿される処置)をされているものと思っていたが、どういう采配なのか私はオムツしか履かされていなかった。

何より出血がないことが有り難かった。先生の手術の腕前に心から感謝である。

その後18時に配膳された夕食は完食し、ウトウトしている間に21時になり、水分と抗生物質の点滴が終了すると同時に手の甲に刺さった点滴の針が抜かれた。
点滴したまま熟睡できる気がしなかったので、これも有り難かった。

翌日になっても痛み出血ともに無く、完全に退院気分で朝食後に着替えて待っていたら、診察の迎えに来た看護師さんに「何ていうか…もう普通の人ですね(笑)」と言われた。普通の人とは…?

退院前の診察では経膣エコーで子宮の状態を確認し、実際にモニターを見ながら「これが子宮で、ここが入り口で、昨日まであった真ん中のポリープが無くなって、今ここの子宮内に少し血が貯まっている状態です。」と説明してくれた。ポリープの影は本当に綺麗さっぱりなくなっていた。
子宮内に貯まっている血液は後日排出されるが、著しく出血が多くなければ心配はいらないとのことだった。

ピルの再開は次回生理が来たときだそうだが、術後の血液の排出と生理の区別がつくかどうかがとても不安である。

診察が終わったあと看護師さんから正式に退院許可が通達され、最後に血圧と血中酸素飽和度を計測して退院となった。

しかし退院日が休日だったため、費用精算は次回通院時(2週間後)、代わりに地下にある防災センターで警備のおじさんにハンコをもらい、地下駐車場の搬路をトボトボと歩いて出るというあまり爽やかではない門出となったのであった。


以上が、今回私が受けた診断から手術までの一連の流れである。蛇足が多く申し訳ないが、これから手術を受ける人に少しでも勇気を与えられたらと願ってやまない。

2021年5月15日


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