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30歳で体外受精(IVF)・顕微授精(IMSI)をした私の自己紹介

体外受精って、顕微授精って、どういうものかは今の世の中、たくさんの情報が溢れていますよね。

ぶっちゃけ、30代後半で子どもが授からない夫婦がやる治療だと思っていました。

じゃあなぜ、筆者は30歳でその道へ進んだのか、自己紹介を兼ねてお話したいと思います。

「お母さん」への考え

まず、私の母は21歳でわたしを産みました。
祖母はその時40代でおばあちゃん。
代々、若くして産んでいたようです。
しかし二人とも高校卒業程度の学歴。

わたしは看護学校に進学していて、21歳の出産はやや非現実的でした。

21歳の当時は結婚する様な彼氏、
居なかったんですけどね。(真顔)

最初の結婚

(バツがついていることわかっちゃいますね)
は2015年、筆者25歳。

お相手は約2年の交際を経て
8歳年上の不動産屋さんの社員でした。

すぐにでも子どもが欲しかったので、近所の産婦人科でタイミング指導を受けたものの、院長と合わず自己中断。
別の不妊治療専門クリニックで不妊検査をしました。
不妊検査に引っかからない謎の自信がありましたが

診断名:多嚢胞性卵巣症候群(PCO・PCOS)

黄体機能不全

あれ?めちゃくちゃ診断名ついとりますやんけ。
でもとりあえずタイミングと内服で頑張りましょう。
精液検査で問題無く男性因子はなさそうでした。

「30歳までは確率論だけど、体外受精や顕微授精をするのと、変わらないから。」
って先生の言葉を信じて挑戦の日々。

通院しにくかったので、結婚したその年度末に
電車通勤1時間以上の距離だった大学病院を退職。

車で10分の距離だった小さな病院に転職しました。
(急性期がやりたかったのに、その病院は思った以上に慢性期寄りで、合わなくてすぐ辞めました)
そのあと、車で30分、日勤常勤(夜勤なし)
でオンコールありの手術室で勤めました。

子宮外妊娠

手術室で勤務してわりとすぐに妊娠しました。

子宮外妊娠でした。

当時、1月末という、不動産屋(特に賃貸)
超多忙シーズンにつき、元夫の入院中の面会はなく、
一人で抱え込み、かなり追い込まれました。

子宮外妊娠はお母さんのせいではない、
と散々諭されてもわたしは深く傷ついたし、
手術をしたところ、「卵管破裂」していたので、
2つあるうちの1つは無くなってしまった。
単純に確率論で言えば1/2か。
人より妊娠しにくい体になってしまった。
お酒飲んでいたからかな、ストレスもあってタバコやめられなかったからなぁ、
日頃の行い悪いからなぁ、とめちゃくちゃ落ち込みました。

当時26歳。乗り越えるのは簡単ではありませんでした。

大爆発、そして離婚

子宮外妊娠から1年以上経って、やっと少し前を見れる様になりました。

また、頑張ろう、と思えました。
けど、その頃には元夫への愛情は冷め切ってしまっていました。
生々しいけど夜の営みはタイミングの指導日。
義務的で、苦痛でした

いつからか、「妊娠させるための行為」になっていました。
子宮外妊娠した後のサポートやケアがわたしにとっては「無かった」に等しく、
今思い出そうとしても全く理解されなかった。
痛い、苦しい思いをしたのはわたしだけだった、と思います。

ある日「この期間で妊娠できなかったら、わたし30歳過ぎるよ。(元夫)はどう考えるの?」と質問をしたところ、

「俺は子ども欲しいと思っていない」
と決定打を突きつけられ、大爆発

今まで口にしなかった離婚を突きつけ、家を飛び出しました。
詳細は割愛しますが1ヶ月で離婚、離婚後に公正証書を作成しました。
(住宅ローンを折半するため。あとの金銭的請求は一切なし。慰謝料とかもなし。)

その後、無事に売却。元夫とはそれっきりです。

再婚の条件

2回目の結婚は(この記事を書いている今日現在、3回目はないですよ)
現在の夫と。2020年、筆者30歳。

職場は転職して、救命救急センターで働いていました。ママさんが多いので夜勤を担うスタッフが少ないのは建前。
お金欲しいので「夜勤できます!」と言ってました。
その結果、8回/月の夜勤が基本回数でした。

夫は5歳年上の同じ職場で勤務していた医師です。
正直、結婚すると思っていなかったし、交際1年で入籍しましたが色々ありました。(割愛します)

夫には結婚する前に正直に、子どもを授かりたいと強く思っていることを伝えました。

・体外受精をする必要があると考えていること
・結婚前にできる限りで不妊検査をとことん行って、卵管、PCOS、黄体機能以外に問題はないのかをチェックしたいこと
・つまり、自然妊娠は望めない覚悟を自分はしていること
・自然妊娠で考えているなら、わたしとは結婚しないほうがいいこと

を伝えました。夫は
「そんなの心配しなくていい、ずっと一緒にいたいから結婚する。自分も子ども欲しいから、できることはなんだってする。一緒に頑張ろう」
というようなことを言ってくれました。ありがとう。

タイミング療法から体外受精

ここで、みなさんに聞きたいのはタイミング療法から人工授精、その後に高度不妊治療とされる体外受精や顕微授精という思い込みはないですか?

わたしはありました

わたしには現在、体外受精した凍結胚盤胞で授かった子どもがお腹にいます。
お恥ずかしながら、看護師ですが不妊治療だけではなく産婦人科領域は「看護学生の記憶」レベル。
知識が無いに等しいので、不妊治療専門病院の初診の時に

「え、人工授精はしなくていいんですか?」
と聞いてしまいました。

院長「はい。あなたの場合は子宮外妊娠で片側の卵管はもう無いですね。
紹介状(この病院に来る前にかかっていた近所の産婦人科)で、卵管造影の結果が書いてありますが、片側は完全閉塞、反対は高度狭窄
(おいおい、高度狭窄は聞いてないぞ。ちょっと狭いね、だったぞ)
でした。造影検査した時、結構痛かったんじゃ無い?
これだと自然妊娠は望めないのと、人工授精をしても卵管通れないから受精に至らない可能性が高いです。
男性の問題はないので、まずは体外受精。
状態によって顕微授精。」

院長「多嚢胞性卵巣症候群って昔から言われているのね。今日のエコーこれね。
ネックレスサインって教科書通りにあるね。
2周期ピルで調整して、遺残卵胞無いことを確認したら採卵ね。
採卵して、受精したら一旦凍結させます。
次の周期に移植ね。凍結できるレベルまで育てるからね。
その間に卵巣と子宮休ませて、移植は自然で考えているけど、今後のホルモン値みて場合によってはホルモン補充ね。」

わかってはいたんですが、帰り道涙が出ました。
夫に「ごめんね、ごめんね、わかっていたんだけど、普通に赤ちゃんは望めないんだね。ごめんね」と言いました。

夫は「え?なんで泣くの?不妊治療すれば子ども授かれるかもしれないって言われたんだよ?絶対無理なんて言われてないよ!大丈夫!」と言いました。

ああ、わたし寄り添って欲しかったんだな
子ども欲しいって、一人で思っているだけじゃできないのに、一人で思っていた過去を少し、手放せた気がしました。


次からは体外受精への流れを思い出しながら書いていきたいと思います。

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