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自己紹介

こんにちは。ゆいきです。
自己紹介として、今まで・今・これからを綴ってみたいと思います。

今までについて

私は1996年生まれで、父が中卒→調理師専門学校→スーパーの総菜部、母が高卒→アルバイト→20歳で結婚し専業主婦→パート、というごくごく普通の家庭で育ちました。

中学までは地元で、それなりに勉強しながら、友人関係はうまくいくことも、うまくいかないことも両方経験しました。また、好奇心旺盛でしたが、裕福ではなかったため、習い事をたくさんしていたり、塾に行ったりしている友達を正直うらやましく思っていました。勉強は親にやらなくてもいいと言われながら、単純に面白かったのと、「絶対できた方が得じゃない?」という考え方から、人並み以上にはやりました。それでも有り余るエネルギーは、小学生ながらネットサーフィンや、新聞広告やカタログの読み漁り(笑)、近所のお店を自転車で回る、ゲーム、などに使っていました。父親と両祖母はお出かけは好きなタイプだったので、海や川、山(富士山や屋久島等)、スキーなどにはよく連れて行ってもらい、自然が好きになりました。

高校では、京都の高校の選択肢の多さに恵まれ、公立の進学校に入ることができました。勉強も一気にレベルが上がって大変でしたが楽しかったです!シンガポール海外研修に参加したり、修学旅行が上海だったり、ビジネスアイデアコンテストの全国大会に出場できたり…と、自分の世界が一気に広がりました。小学校・中学校の時より確実に生活は大変になりましたが、その分とっても楽しく、この頃から人生がより楽しくなりました!先生も生徒も、やりたいことにまっすぐな人が多く、友人関係にも恵まれました。一方、大学受験は、好奇心旺盛でいろんなことを知りたくてリベラルアーツの大学を目指すも不合格でした。

ここから1年間の浪人生活が始まるのですが、予備校に行くお金はなかったので、ほぼ毎日、朝6時~11時頃までホテルの朝食スタッフとしてバイトをし、その後勉強するという生活をし、受験費用から自分のおこづかいまで自分で稼ぎながら生活をしました。月10万円程度稼いでおり、仕事も楽しかったので「何かあっても、体さえ元気であれば月20-30万くらい稼げて、少なくとも生きていける」と少しだけ肝が据わった気がします。勉強の方は模試ではA判定を取ることもあったのですが成績に波があり、第一志望は残念な結果になりましたが、第一志望と同じくらい魅力を感じていたICUに特待生として合格することができました!

高校時代よりも、もっともっと楽しくなったのが大学時代です。本当にたくさんの機会に恵まれ、自分が思い描いていたよりも、素晴らしい経験をたくさんすることができました。
大学ではいろいろな科目をつまみ食いした後、大学3年から「環境研究メジャー」に所属し、卒論では「環境×経済×QOLを満たせる街づくり」をテーマにして卒論執筆しました。自然が好きでまた環境問題の背景や仕組みなど大きなものに興味があり、お金の大切さを身をもって知っていたので経済に興味があり、「まち」が生活に与える影響に興味があり…と、自分の興味が合わさったぴったりなテーマだったと思います。住民の生の声を聴きたいと、富山市、前橋市、高松市、コペンハーゲン(デンマーク)、ポートランド(アメリカ)、フライブルク(ドイツ)の6つの都市を実際に回り、約300名にアンケートを取りました。

他にも1年生から4年間教育ベンチャーでインターンをして、新規事業開発からWebマーケティングまで実践したり

カナダのビクトリアに6週間語学留学して、カナダの美しい街並みやゆったりとした空気感に「住む場所で本当に人生変わる」と実感したり

日米学生会議という1934年から存在する歴史ある学生団体で、3週間アメリカ人と日本の4つの都市を回りながら、いろんなテーマについてディスカッションを行い、視野や考え方が広がったり

Cross Mentorshipという面白いキャリアや生き方をしている社会人が、学生のキャリア相談にのってくれるプログラムで、生き方についてのいろんな可能性を知ったり

日本酒の酒販店兼バーでアルバイトをし、完全にお酒や居酒屋の魅力にはまったり

濃密な4年間を過ごしました。
(本当は一つひとつ語りたいですが割愛します)

その後、新卒で、Fringe81株式会社(現Unipos株式会社)に入社しました。

①大学当時、まちづくりに関心があり、まちづくりにおいても経済や経営、ビジネスが大事だと思い(詳細は割愛します)、経営やビジネスを裁量権持って学べる環境に行きたかったこと、
②サマーインターンで、良いところも改善点も両方フィードバックしてもらい、モチベーションが上がる環境だと感じたこと、
③社長ブログの「素晴らしい会社に入るではなく、素晴らしい会社を創りませんか」という言葉に惹かれたこと、が主な理由です。
2020年4月というちょうどコロナがはじまったくらいの時期に入社しました。営業とカスタマーサクセスを経験し、「価値が分かりづらいものを伝えていくにはどうすればよいか」や、特にカスタマーサクセスでは、プロジェクトマネジメントについてたくさん経験を積むことができました。


またプライベートでは、リモートワークだったこともあり、東京の賃貸を解約して、半年間アドレスホッパー(他拠点居住)として日本全国好きなところを回りながら働いていました。もともと旅行が好きだったのと、京都と東京といういわゆる「都市」といわれるところしか住んだことがなかったので、いろんな場所を知りたいという一心、新しいライフスタイルを試してみたいという気持ちもありました。ここでの学びや気づきは語り始めるとキリがないので、Instagramもご覧いただけると嬉しいです。
https://www.instagram.com/yui_travel_japan_world/

その後、会社も仕事も好きだったのですが、副業でお世話になっていた株式会社Publinkで、改めてオープンイノベーションの価値や、人の内発的動機に向き合う姿勢に惹かれたことや、これから会社を大きくしていくフェーズに立ち会えることを理由に、新卒入社から2年で転職をしました。

今について

現在はPublinkの3人目社員として、日々いろんなことに奮闘しています。

行政の課題と企業(主にスタートアップ)のソリューションを掛け合わせて、持続可能な地域を作っていく行政のコンサル案件(実際に市町村を訪問して生の声を聴いたりしています)、コミュニティ事業、オープンイノベーション×共創人材育成事業などの各事業に携わるとともに、会社全体の事業戦略、組織戦略、労務まで、何でもやっています。
現場でたくさん情報を得たり、仲間同士で話しながら、常に自分たちの会社の存在意義を問うたり、会社として目指しているゴールを具体化、共通認識化したりと、具体と抽象を行き来しながら未来を考える、経営戦略的な仕事が一番楽しいです!例えば、評価制度一つ考えるにしても「そもそもなぜ評価って必要なんだっけ?」というところを、会社の目指している方向踏まえて考える、仲間同士で議論するようにしています。
また、常にいろんな人や組織の知見・経験を活かして、オープンイノベーションで課題を解決していくことを価値としている会社の方針にはものすごく共感していて、本当に会社を大きくして日本を変えていきたいと思っています。

これからについて

以前はまちづくりに関心があり、その道に進もうと考えたこともあるのですが、アドレスホッパ―や副業を経験して内省を深めていく中で、既に素敵なものはたくさんあるという気づきや、街をつくりかえて誰かの生活を変えていくことももちろん大切ですが、それ以上に、世の中には多くの選択肢と可能性があり、それぞれが自分が心から望む選択肢を見つけて、それを意思を持って選ぶことで幸せになれるのではないかと強く思っています。
だからこそ、人や知識をつなげて選択肢と可能性を広げることと、幸せになる方法についての深い理解と実践、自分と共に周りも満たすことのできる人になることが最近のテーマで、日々自分に仲間に社会に向き合い続けていきたいと思います。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!

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