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わたしには言葉くらいしかましなところが無いのに、それさえも対面コミュニケーションの下手さに相殺されていまだにわたしの、本当のきれいなものを本当にきれいだとそれだけをただ話したい心が浮かばれない。今日発売された雑誌さえいざ読むとほんとうにろくなことを言っていなくて、わたしこれチェックとかなんで通しちゃったの!?と一人で青ざめているけれど、思い返せば取材のときも原稿チェックのときも、「初対面の相手の方に通じるような言葉の選び方をしなければいけない」「ここに関わった誰の印象もなる
「友達と恋バナをしたんだけど、友達が『好きな人が二人いるのはおかしい!』って言うんだよ」 「好きな人って、私ともう一人誰かいるってこと?」 「そう。友達は、『彼女のことは大好きなのに他にも好きな人がいる、っていうのは聞いたことが無い』んだって」 「へー。それは、珍しいね。好きな人が何人もいるなんて、たぶん、けっこう普通なことなのにね」 恋人に、突然そんなことを言われて、相手は誰なんだろうと、胸がざわついた。普段の自分が「好きな人が何人もいることを否定する人は、不誠実だ
感情がやけに落ち着いている。理由は明白だ。きっと何も波風を立てるような出来事がないからだ。誰とも会わず、何の冒険もせず、ただ日々の生活をこなし、暮らしている。 本当は日常なんてどこかに行ってしまっているはずなのに、不謹慎にも、なぜかいつもより心が安定している自分がいる。 とはいっても、自分でいうことではないが、僕は比較的普段から情緒が整っているほうの人間だと思う。あまり怒ったり泣いたりを頻繁にするタイプではないし、嫌なことがあっても結構シンとしている。それは、決して怒鳴った