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美しい人生を

 夜が明けた。強い日差しがカーテンを照らしている。

 空気が澄んできたのだろう。夕方になると宵の明星がはっきりと目に飛び込んでくるようになった。都会の夜は明るい。満天の星を見ることはかなわないが、わずかに強い光は楽しむことができる。
 この数ヶ月は木星と土星の見頃だった。南東から南の空に長いこと光り輝き、月とともに存在を確かに現していた。今、木星も土星も少しずつ光が弱くなり、見えるには見えるが小さいなと感じるようになってきた。見頃が終わりを告げようとしている。
 この後はきっとオリオンの出番だろう。冬の星座の代表格。早くの三つのベルトを見たいものだ。もしかしたら夜遅くには既に出ているのかもしれない。早寝の私は損をしている可能性がある。

 都会生まれ都会育ちの私は自然の動きにとても鈍い。天体の様子も知らず、花の名前もわからない。母から教わってかろうじて草花を覚えるが、再び忘れてしまって情けない気持ちになる。ただ美しさを感じ取るアンテナは持ち合わせているので、名前はわからなくとも思わず写真を撮ってしまうことはよくある。
 夜空の様子は毎日のように天文台のサイトを訪れてチェックする。晴れてさえいれば夜空を見上げて確かめる。強い近視で月や星が何重にも分かれて見えるのだが、それでも見えることはありがたいと感謝しつつ写真におさめる。

 母が散歩でたくさんの落ち葉を拾ってきた。まだ緑のままのものから真っ赤に色づいたものまで、雨粒によってきれいに洗われた葉を選んできたようだ。

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 並べかたは母のこだわりによってこのようになった。絵を描く趣味を持つ母は色彩感覚に鋭く自分の納得のいく色を合わせないと気がすまないらしい。私は指示通りに写真を撮影する。室内の照明と窓からの自然光を合わせて撮った。
 濃い緑の葉から黄色くなった葉、赤くなった葉、すべてが美しい。どうしてこんなにも自然のわざは壮大なのだろう。環境を破壊して自然を支配している気になっている人間の小ささを覚えずにはいられない。

 星の名前も草花の名前も知らなくても生きてはいける。しかし知っていればより人生は豊かになる。覚えられないのは生来のもののようだが、知りたいし味わいたい。私自身もまた自然の中の一部であることを自覚していたい。朝がきて、夜がくる。星座は巡る。春には花々は咲き誇り、夏には新緑が萌える。秋になれば葉が色づき、冬枯れへと進む。自然の歩みはまるで時間のように決して止まることはない。私たちが年を取ることを阻止できないのと同様に。
 人生百年時代といわれるがもしもそれだけ生きるのであれば、私の人生はまだ半分程度しか過ぎていない。苦しんで生きてきた過去はすべて、写真を焼き払うかの如く捨て去った。今こそ私の人生だ。私の足で、私の意思で選び取ることのできる人生。もう誰かの思い通りにはならない。

 夜が明けた。私は生きている。私を邪魔するものはなく、私は私の人生を選んでいる。今夜も月星は空に広がるであろうし、草花はその命を懸命に生きていくだろう。自然は動いている。私もまた、今日を生きる。