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MANA前編【創作大賞2023イラストストーリー部門】

あらすじ

東京から田舎にやってきた教師の真那同じく半年前に東京から転校してきたマナは正反対。二人と知り合った進藤は真那が半年前に新宿駅で起きた爆破テロが理由でここに来たと知る。一年前から世界の各地で爆破テロが相次いでおり人口が多い都市はいつ襲われるかも分からない恐怖に怯えていたが田舎には関係のない話だった。しかし夏休み目前学校で爆破テロが起きる。待っていたのは燃え盛る町と銃撃の雨だった。逃げ惑う進藤を助けたのは真那だった。真那は爆破テロを防ぐための組織に所属しており任務でここに来たという。真那は進藤を逃がし実行犯を捕まえに行くが、実行犯は真那と深い関係性にあった。
MANAが織りなす罪を終わらせる物語。

私たちは。


規則正しい靴音が廊下から薄い壁伝いに教室にまで響く。止まった瞬間合図だったと言わんばかりに、教卓に立つ老齢の教師が深く刻まれていた眉間の皺を緩めた。笑顔など見た事がない、厳しい事で有名な教師が僅かに口角を緩ませた事に生徒は驚く。

「入ってくれ」

教室の扉が開き金色の髪が靡いた。金髪だ、誰かが呟いたのも束の間立っていた女性に誰もが息を呑んだ。

歳は二十台中頃だろうか。長く指通りの良さそうな髪は偽物みたいで窓から差し込む日の光に照らされ一層輝きを増していた。青いシャツにタイトなスカートから覗く薄手の黒いストッキングは彼女のスタイルを一層際立たせている。長い白シャツを腕でまくり白衣のように着こなした彼女の伏せていた睫毛に隠された目が見えた。

青色だ。空みたいな色で曇り一つない。嘘みたいに綺麗な色彩、フランス人形に似た顔立ちの彼女はにっこり微笑んだ。教師はさらに頬を緩ませる。その場にいる誰もが彼女の虜になった瞬間でもあった。

チョークを手に取った彼女は黒板に手を伸ばす。カツカツと一寸の淀みもなく書かれた文字は達筆で、正に名は体を表すと言った所だった。

清水真那 しみずまなです。産休に入られる佐藤先生のサポートとして英語の授業を担当します。非常勤講師となるのであまり会えないかもしれませんがよろしくお願いします」

マナはその時目の前にいる自分とは正反対の女性が同じ名前を持つ事を知った。

「清水先生には週に二回ほどこのクラスの英語を担当してもらう」

「今日はご挨拶に」

長いまつ毛、鼻筋、柔らかそうな唇、指先一つですら美しい。男子生徒が手を挙げる。

「どこから来たの?」

「東京の方から来ました」

「先生って外国人?」

「ハーフです。父がフランスの人で」

「だからあんなに綺麗なんだ」

女子たちの声に耳を傾けながらもマナは自分の髪を触った。ハーフツインの黒髪に入れたピンク色のメッシュは人口色、肌の色は黄色で鼻は低い。おまけにメイクでも隠せないそばかすがある。ピンクで彩った爪先は可愛くてお気に入りだったのに、何も塗っていない真那の爪の方がずっと綺麗に見えた。

頬を膨らませたマナを隣に座っていた進藤 しんどうは見ていた。同じマナだと言うのにこうも違うとは、つい二人を見比べてしまう。きっと、本人もそうなのだろう。現に教壇に立つ彼女を何度も見ては自分の髪や爪に目を向けていた。

地雷系で田舎くさい緑のセーラー服が似合わない生徒と生まれながらに美しい教師。最も、マナは半年前転校してきた生徒だ。投稿初日、新しい制服が届かなかったのか、ピンクのカーディガンに緩めたネクタイ姿で現れた。スカートの丈は今よりもずっと短くかったが彼女に合っていた事は間違いないだろう。

今は、少しだけ可哀想だとも思う。親の仕事の都合で何もない片田舎に転校してきた彼女はクラスにも馴染めず浮いていた。東京の人間は違う、一線を引かれた存在のマナとよそから来たというのに一瞬で全員を虜にした真那は対照的だった。

「分からない事があればいつでも聞いてください」

真那はまた微笑んだ。女神のようなその表情に進藤は思わず目を逸らしてしまった。


1

「先生綺麗だったー」

真那が去った後マナは腕を伸ばし伸びをした。片手にスマートフォンをいじる、ピンクのケースが目を引いた。

「ね」

進藤のほうを向いたマナは無表情だった。曖昧な返事をした進藤だったがマナは興味なさげに顔を戻す。自分から聞いてきたというのに酷く無関心に思えた。

「同じ名前だから?」

「そう。同じマナでも違うんだなぁと思って」

マナの本名は芦戸真七 あしどまな。けれど彼女は自分の名前が嫌いで黒板に名前を書いた時にも片仮名でマナと書いた。教師の手によりすぐに訂正されたけどマナを真七と書けば酷く不機嫌になる。

『東京では皆、マナって書いてくれたのに。だから田舎って嫌』

東京という洗練された土地にいたマナにとって、この狭い世界は酷く息苦しいのだろう。マナは他の生徒を見下しているようにも見えた。彼女の態度は別のクラスの生徒にも伝わり学校全体で腫れもの扱いを受けているがマナは気にした素振りも見せなかった。

マナに話しかけるのは進藤くらいだった。といっても、自分から話しかけるタイプでもないので会話の半分は彼女から始まっている。マナは彼に話しかける時も冷たい表情だが、他の人間とは違い見下すような素振りを見せなかった。巷では進藤の事を好きなのではないかと噂されているが、それはないと思っている。

「キラキラ金髪」

「ハーフだからだろ」

「いい遺伝子だ」

マナは何故か頬杖をつきながら鼻で笑った。進藤はその理由が分からず瞬きを何度か繰り返した先、彼女の口角は元に戻っていた。


『先日新宿で行われたデモは――』

テレビの中から聞こえた声に顔を向けた。新聞に夢中だった向かいの父が同じように顔をそちらに向ける。食卓の上、揚げたてのとんかつが湯気を立てている。台所から顔を出した母はエプロンで手を拭きながら「あら……」と呟く。

「また……」

「爆破テロの犯人がまだ捕まってないからな」

「犯人死んだんじゃないの?」

「あくまで憶測だよ。実行犯は一人も捕まってない」

一年ほど前から世界中の主要都市で爆破テロが多発していた。初めにニューヨーク、パリにロンドン、テロ行為はどんどん広がった。そのどれもが声明もなくただ爆破のみ。駅や建物など人の密集した場所で起きるテロは人殺しを楽しむものにも見えた。

テロは、半年ほど前に新宿駅で起きた。金曜夜。仕事終わりのサラリーマンや学生などが溢れ返るその場所で、突如として起こった爆発は数百人の犠牲者を出し今までに起きたテロの中でも一番の被害となった。

それから日本で爆破テロは起きず隣国で起きるようになったが、いつ起こるかも分からない恐怖に国民は怯え早急に事態の収束を求めているけれど、足取り一つ掴めていないのが現状である。

『抗議デモは数時間ほど続き――』

国民の不満はどこの国でも政府に向かう。

世界はテロによって少しずつ団結を失っていっている。

しかし片田舎に住む自分には縁遠い話だと進藤は味噌汁に口をつけた。これまでのテロは主要都市でしか行われない。それも、人口が密集している場所だ。ここに人口が密集しているわけもなく標的になる確率はないといっても過言ではないだろう。

「せめて犯人が分かればな」

父が眼鏡を指で上げ深いため息をつきながら食事を再開する。母は見たくないと言ってチャンネルを変えた。この一年どのニュースを見ても爆破テロの事件で溢れ返っている。ここにいる母でさえ憂鬱になっているのだから世界中で不安を抱える人間が増えているのは間違いないだろう。

しかし、やはり縁遠い世界だ。進藤は箸を動かす。少し冷めたとんかつの衣がサクッと音を立てた。


2


「はい、はい」

校舎の裏手、声が聞こえて進藤は立ち止まった。曲がり角から覗き込むと、壁に背を預け電話をしている真那が目に入った。彼女の顔に木の影がかかっている。初夏の午後だった。

暑さにやられ進藤を始めほとんどの生徒は項垂れていた。古い校舎のエアコンは効きが悪く涼なんて感じはしない。渡り廊下にあるアイスの自動販売機に向かったが考える事は皆同じで全て売り切れてしまっていた。仕方なく炭酸飲料を買い涼しい所でも探そうと考えていた時の事だった。

真那は汗一つ流していなかった。それどころか涼しげな表情で暑さなど感じてもいない様子だ。隣のマナも暑いと文句を言ってはいたが汗をかいたりする様子はなかった。東京から来ると暑さを感じない身体になるのか。進藤には分かりそうもない。

「分かりました」

真那が電話を切った所で砂利を踏んでしまい音が立った。真那はすぐに顔を上げこちらを見たが進藤を認識したのか緩やかに笑った。

「進藤くん。三組の」

「あ、はい。そうです」

話した事もないのに憶えているのか。進藤は驚き歯切れの悪い返事をする。

真那と会ったのは挨拶以来だ。進藤にとっての真那は印象深い教師であったが、真那にとっての進藤は受け持つ大勢の一人でしかない。よく知ってますねと返せば彼女は担当するクラスの生徒の名前は憶えましたと微笑んだ。

「邪魔しましたか?」

「いいえ、今終わったので大丈夫ですよ」

「なら良かった」

酷く緊張する。進藤の心臓が高鳴った。額から零れ落ちそうな汗を拭った時喉がとても乾いている事に気づく。炭酸飲料を飲み込めばそれは幾分かましになった。

「暑くないんですか?」

真那はきょとんとした顔をしたがすぐにはにかんだ。

「暑いですよ、だから木陰にいました」

教室の方が暑く感じます。クスクスとおかしそうに笑う真那に調子を乱される気がした。

「毎年こんなに暑いんですか?」

「暑いです。家の方が涼しい」

「確かに、家の方が冷房効きますしね」

「東京は暑くないんですか?」

「暑いですよ。ただ室内は寒いくらい空調が効いているので」

「全然違うな」

自分の知っている世界とは違う。少なくともこの町で生きていて空調が効きすぎている場所なんて思い当たらない。電車は三十分に一本、歩ける距離に駅はない。登校だって原付バイクを使用している生徒も大勢いる。それほどの田舎に真那は何故来たのか疑問に思った。

昼休みが終わるまで十分ほど、教室には数分と経たず着く。真那はどうやらギリギリまでここで涼むようだ。進藤くんもどうですか?と言われたら頷くしか出来ない。彼女の魅力に魅入られたからなのかもしれない。

「先生はどうしてここに来たんですか?」

疑問をぶつければ真那は考える素振りを見せた後情けない顔で頬を掻いた。

「半年前にテロがあったじゃないですか。私、すぐ近くで働いていたんですけど怖くなって」

「ああ……」

「都市部から離れたくなってしまったんですよ」

「あれは、酷い事件ですよね」

「ええ、本当に」

真那は目を伏せる。進藤は壁に背を預けた。

「早く終わって欲しいですね」

「……本当に」

真那は両手を握り締めていた。もしかしたら自分が巻き込まれていたのかもしれないと考えるだけで怖いだろう。縁遠い世界だと思っていた進藤だが真那の話を聞いて同情に似た感覚を抱いた。彼女の儚げで弱々しい姿がそう思わせるのかもしれない。

「でもここでは大丈夫ですよ、何たって田舎ですし」

「だといいんですけどね」

「有り得ないでしょ」

「私もそう信じたいですけど、いつどうなるか分かったものじゃないですからね」

不意に真那が腕時計を見た。授業が始まりますよ、壁から離れた彼女に促された進藤は先を歩き始めた彼女の後を追うような形で歩き出す。すらっとした後ろ姿に靡く金の髪が片田舎には不釣り合いなのに、何故だか隣の少女が持つ髪色よりも馴染んでいる気がした。


真那の授業は非常に分かりやすくその美貌も相まって一躍人気の教師となった。非常勤講師にはもったいないほどで、僅か一週間、彼女は出勤する度生徒に囲まれた。

「真那先生~♡」

廊下の先、猫なで声で真那に近づくマナの姿が映った。先週まで自身と比較しながらも興味なさげに彼女を見ていたあのマナが変わったのはつい先日の事である。相も変わらず学校で浮いているマナをよく思わなかった上級生が彼女を校舎裏に呼び出したと聞いたのは昼休みの事だった。

助けに行こうかと考えた進藤だったがそもそも彼女とそこまでの関わりはなく、お節介になるのではないかと考えた。これが少女漫画なら間違いなく走って彼女を助けに行っただろう。

しかし、見て見ぬふりが出来ないのもまた人間だ。仕方なしに進藤は校舎裏へ足を進める。どうやって止めるか、割り込む台詞も考えぬまま早足でそちらへ向かったが、曲がり角で以前真那と会った場所に人影が見えて足を止める。

金色の髪が靡いていた。

「先生、邪魔なんですけど」

聞き覚えのない声は恐らく上級生のものだろう。同意するように甲高い声が続いた。

「いくら非常勤だからって見過ごすわけにはいきません」

凛とした声だった。意志の強い、言い切った一言。初夏の風が吹き止む。

「芦戸さんが何かしたならお話すべきです。ですが言いがかりで責めるのは止めてください」

「よそ者だからよ!」

「センセーもそいつも、よそ者だから分かんないんですよ」

「……好きでこんな所来たわけじゃないし」

「ほら、すぐ馬鹿にする」

拗ねたようなマナの声だ。深いため息が耳に届き真那が上級生に授業が始まるから戻るよう指示を出した。彼女たちは最初こそ聞かなかったものの真那が彼女たちに顔を寄せた。

するとすぐに顔色を変えバタバタとこちらに走って来る。進藤は上級生たちに真那が何を言ったのか気になったがマナの声でそれは掻き消された。


「ま、真那先生ーー!」


3


それからマナは真那に釘付けである。さながら自分を助け出した王子のようだと、彼女の視線を追いかけながら思ってしまう。マナの身だしなみはいつもより気合いが入り、真那によく見せたいのだろうという事が分かる。

「芦戸さん」

「マナって呼んでください、先生♡」

困ったように笑う真那とハートを飛ばしまくるマナ。対照的な二人だが進藤は何となく、マナに対して良かったと思ってしまった。こちらに来てから馴染めない彼女を見ていたせいであろう、あんなにも嬉しそうな姿を見た事が無かったのだ。

理由が何であれ学校が少しでも楽しいと思える場所に変わったのは良い事だ。

それからマナは進藤に対し頻繁に話しかけてきた。話題はいつも真那の事。綺麗だ、優秀だなどから始まり、実は料理が苦手、可愛い物が好きなど真那の知らぬ一面を得意げに語って来た。いつの間にか進藤はマナから語られる真那の話が楽しみになり、高嶺の花である彼女に一種の憧れを抱き始めていた。


マナは満面の笑みで真那の話をし、彼女の授業では崇拝のような視線を向ける。けれど時折酷く冷たい表情を見せた。進藤はマナのその顔が今まで見てきた何よりも恐ろしく感じ背筋が凍った感覚に陥った。しかしそれは一瞬で、こちらの視線に気づいたマナはまたにんまりと笑う。

真那を見る視線が恐ろしく感じられた。


真那が来てから一ヶ月が経とうとしていた。明日から夏休みに入る。
生徒は浮足立っていたが、長期休み前恒例の朝会で狭く風通りの悪い体育館に集められた影響で浮かれた気分は半減していた。進藤もその一人であり校長の長い話に早く終われとだけ念じていた。脳内で唱えても話が終わる事はない。

暑さでやられた脳は真那の姿を探そうとした。教員が集まる一角、ただ一人汗もかかず下を向いている。

あそこだけ時間が止まっているみたいだ。恐らくマナも彼女の姿を見ているだろう。前の方に並んでいるはずのマナの姿を探したが視界には映らない。

おかしいな、さっきまでいたのに。進藤は彼女と一緒に体育館に来たのだ。

並んだところも見ている。いつの間にか抜け出したのだろうか。抜けるなら自分も連れて行って欲しかった、そんな事を考えていた時視界の端、目を伏せていた真那の表情が変わった。

何かに気づいた様子で目を見開いている。焦りの表情を浮かべた真那など一度も見た事がなかった。進藤は釘付けになる。彼女の名を呼ぼうとした、その時だった。


有り得ないほどの衝撃が身体を襲った。


「え……?」

地響きのような轟音が耳をつんざき身体が床に打ち付けられた。天井はミシミシと音を立て開け放たれた扉から煙の匂いが立ち込める。

「きゃああああああ!!」

あちらこちらから悲鳴が上がり場は混沌を極めた。何が起こっているのかも分からず必死に床へ伏せる。視線の先、生徒は皆倒れ込み衝撃に耐えていた。一体何が起きている?

「立って!逃げて!!」

真那の声だった。声の方に顔を向けると彼女は何故かこの衝撃の中を一人だけ立っている。なぜ立っていられる?進藤の疑問も束の間、再び襲ってくる衝撃にギュッと目を瞑った。吹き付ける風が異常なまでに暑い。

いや違う、熱い。

耳に届くパチパチという音が火花だと気づいたのは誰かが泣き叫んだからだ。

「火だ!!」

ようやく収まった衝撃に何とか立ち上がる。腰が抜けてまだ歩けない生徒もいた。けれど皆一斉に出口に向かって走る。何故なら校庭に面した反対側の扉から燃え上がる炎と真っ黒な煙が近づいてきていたからだ。

進藤は後退りながらも出口へ走った。立てないと泣き叫ぶ生徒を助ける余裕もなく出口に群がる人の波に飲まれる。

「押さないで!」

「早く出せよ!」

「嫌!死にたくない!!」

全員が逃げるのに必死で出口が混雑しもみ合いになる。数メートル先、転んだ人間が波に押され踏み潰されるのを進藤は見てしまった。

絶望、誰もが他の人間を助ける事もせず逃げるのに必死で我先にと先へ向かう。教師もお構いなしに生徒を押しのけた。男も女も関係ない、ただ全員が生きるのに必死だった。

進藤がようやく出口から外に出た時、校門の前で立ち尽くしている生徒の後ろ姿が見えた。必死にそちらへ向かう。早くここから逃げなければ。しかし、足は止まった。

「一体何なんだよ!」

背後から聞こえた誰かの声に、燃えてるとまた誰かが呟いた。

「嘘だ……」

視界の先、校門の向こう側に広がっているのは燃え盛る町だった。


4

小高い山の上に立っている学校は校門から町を見下ろせた。町といっても田んぼばかりで住宅は密集していない田舎町だ。大型スーパーが離れた所にあるくらいで他には何もない。のどかな風景。


その全てが燃え盛っていた。


真っ黒な煙が至る所から立ち上がっていた。あまりにも非現実的で誰もが固まっている。進藤もその一人で信じられなかった。自分の家がある場所が煙に飲まれていると気づいた時、彼の思考はようやく動き始めた。

「何で……」

心臓を打ち鳴らすほど大きな音が再び上がり町に煙が上がっていく。


ニュースで見た爆破テロとそっくりだった。

「爆破テロだ」

誰かが言った。

「そんなはずない、だって田舎は襲わなかった!」

「でもこれは何!?」

「嘘だ、嘘だ!!」

熱い風が背後から吹き付ける。慌てて振り返ると校舎の裏手の林から煙が立っていた。燃え移っている。町も学校も爆破テロの餌食になったという事か。どうすれば。どこに逃げれば。疑問が浮かび続けるのに身体は動かない。

死だ。圧倒的な絶望感と恐怖、迫りくる足音に震えるしか出来ない。

「嫌だ!俺は、逃げる!!」

男子生徒が校門から飛び出した。泣き叫びながら校門前の坂を下っていく。それに感化された人間が彼の後を追うように走り始めた。生きるため必死に逃げようとしている。行かなきゃ、震える足を叩き前に踏み出した。

その瞬間だった。

パンっと、澄み切った音が耳に届いた。

「は?」

一番前を走っていた男子生徒の身体が突然横に崩れ落ちた。

頭から、赤い液体を噴き出して。


「いやああああああ!!!!」

彼の後ろにいた女子が泣き叫ぶ。次の瞬間、彼女の身体も横に吹き飛んだ。パンっという、音を立てて。

「う、撃たれた!?」

「撃た、れた?」

パンッパンッ。走っていた人間が頭から赤い液体を噴き出して崩れ落ちていく。足が止まった。

撃たれて殺されている。馬鹿みたいな速度で、目の前から人が消えていく。校門から出ようとしていた彼の足が止まった。ゆっくりと、一歩ずつ下がっていく。気づかない生徒が自分の横を通り過ぎ外に出た。そして、目の前で撃たれた。

転がった死体はこちらを見たまま絶命している。アスファルトに血だまりが広がり輝きを失った真っ黒な瞳がこちらを向いていた。

吐き気がした。その場に崩れ落ち嗚咽に身を任せようとしたその時、崩れかけた身体を誰かが引っ張った。

「え……」

真那だった。彼女は進藤の腕を引き急いで建物の裏に隠れる。壁に背を預けた時口から朝食が全て草むらに落ちていった。息も出来ずえづく進藤に真那は背をさすりながら落ち着いてと繰り返す。彼女は耳元に手を添え話し始めた。

「はい、はい」

揺らぐ視界の先、真那だけが凛と前を見つめていた。反対側に目を向けるとおびただしいほどの死体が転がっている。また吐きそうになった進藤の視界を真那の手が遮った。

「来れます?急ぎです、被害は……これが一番かも」

真那の手を握り締め彼女の方を向いた進藤はその時初めて真那が左手に銃を握っている事に気づいた。

「じゅ、銃……!」

『誰か一緒にいんのか』

「生徒です、とりあえず助けました」

『おー優しいこって』

「冗談言ってる場合?」

低い男性の声と高い男性の声が交互に聞こえる。高い声の男性はこちらから聞いても分かるくらいケラケラ笑っており、真那に怜(れい)と言われ釘を刺されていた。

『生き残りはどんくらいだ?』

「全校の、三分の一もいればいい方かもしれません」

『殺戮だな』

大丈夫だから、真那は小さく進藤に声をかけた。

『とりあえず急ぐが踏ん張れ。で、分かってんだろうな』

「分かってます」

会話が終わった真那は周囲を見渡した。校門前にいた生徒のほとんどは死んでしまっている。残った人間は建物の陰に隠れていた。向かい側の陰に教師陣と数十人の生徒が見え真那は声を張り上げる。

「校門からは出ないで!撃たれて死にます!」

「じゃあどこに隠れろと!?」

「射線が切れる所、建物の陰か教室の中に!」

「でも火事が起きてるんだ!すぐに煙が回る!」

「数十分耐えてください!何とかします!」

真那は立ち上がる。タイトスカートの裾をたくし上げた。

「ちょ、ちょっと!」

慌てる進藤だがそこから見えたのはホルスターだった。銃と弾丸の入ったケース、そしてナイフが仕込まれている。言葉を失う進藤に真那は慣れた手つきで手に持っている銃とは別の銃を進藤に渡す。

「最悪これで自衛して」

「はぁ!?俺、撃った事無いです!」

「最初は皆そう」

「無理、何で、これ、どういう事ですか、何が起きてるんですか!」

進藤は手渡されたリボルバー式の銃を彼女につき返す。真那は深いため息をついたのち自分の持っている銃と交換した。

「こっちの方が弾数入ってるから」

「そうじゃなくて!!」

張り上げた声に反応したのか、壁の先が撃たれた。進藤の身体は硬直し真那から手渡された銃を受け取ってしまう。

「……私は爆破テロを防ぐために尽力してる組織のエージェント」

「……は?」

「世界中で起きてる爆破テロの実行犯である組織、ルインの証明を壊滅させるためにここ来た」


5


真那の言葉に訳が分からず彼女を仰ぎ見る。真那は進藤に話す気はなかったようで、あーもう!と頭を掻いた。

「三十年前、アメリカ国内で起きたルインの始まりって事件は知ってる?」

「知ってる……ハドソン川に生物兵器で侵された魚を放ち、それを食べた動物が毒に侵され食物連鎖の先にニューヨークの住民にまで回り死者が多発した事件」

「そう、生物兵器であるルインを使ったテロ」

真那は目を伏せる。

「それが、全ての始まり」

三十年前、ハドソン川に生物兵器ルインに侵された数十匹の魚が放たれた。無数の魚の死骸が川に浮かんでいると気づいた時には既に遅く、死した魚を食した鳥が死にその鳥をネズミが食べ、ネズミを虫が食す食物連鎖の先、人体に影響を及ぼした。

死骸から死骸へ渡り歩いた兵器は撒かれた当初より毒性が薄まっていたものの子供や老人、身体の弱い者から殺していった。

遺伝子疾患を誘発させるルインの影響で死が蔓延した都市はさながら14世紀のペスト再来のようであったと語られる。しかし幸いにもルインは人体への滞在出来る時間が限られていた。

罹患して24時間で効果は消える。致死率が高くても都市が壊滅に陥らなかった理由であり、もう一つ、ルインは生物を媒体にする事でしか広がる事が出来なかったため事態は想像よりも早く片付いた。

しかし、未だ30年前の爪痕はしっかりとニューヨークに残されている。

ルインはその名の通り破壊を意味し、犯行声明を上げたテロ組織ルインの証明は『世界を破壊し再生する』と言った。抑圧された社会からの脱却、新たなる人類への進化、自分たちこそが新人類であり旧人類は神の元へ送ると語った彼らは数年後壊滅した。

各国に潜んでいた構成員は全て殺され、関係施設全てが粛清の対象となりルインの証明は死に絶えた。

現在、ルインの始まりというテロ事件は頭のイカれた組織が犯した、史上最悪の殺戮事件として扱われている。


「それが、突然何ですか!」

爆発音で麻痺した耳を必死に澄ませながら進藤は叫んだ。自分の声がどのくらい出ているかも分からなかった。対する真那は冷静で銃を構えたままだ。

「今、世界中で起きてる爆破テロはルインの証明が起こしてるテロなの」

「何で断定できるんだよ!」

「話せば長い!」

物陰から突然人が現れた。真那は即座に相手を撃つ。目の前に転がった死体は武装した男性だった。

「こ、殺し――」

「もういるの、早すぎ」

真那は死体を漁り銃を奪った。持っていたリボルバーをスカートの隙間に挟んで新しい銃を構える。

「見て」

吐き気がする。焦げ臭い。鼻がおかしくなりそうだ。眩暈がしながらも進藤は真那が差した死体の胸元を見た。首からチェーンが下がっている。先には円の中にダイヤのモチーフが収められている。そのモチーフに見覚えがあった。

「ルイン……」

そう、授業でも散々見てきたルインの証明が使っていたとされるマークだ。進藤はモチーフに手を伸ばす。しかし真那が腕を掴んだ。

「触っちゃ駄目、中にルインが入ってる」

「は……」

真那はハンカチを取り出しチェーンを死体の首から外した。ポケットから小さな真空パックを出しその中に入れてチャックを閉める。

「真空状態で一時間放置すればルインは消える」

再びポケットにパックを戻した真那は足で死体を転がした。

「分かったでしょ、これはルインの証明によるテロなの」

「で、でも何で、だって死んだんじゃ」

「人間は死んだよ、でも思想は死なない」

息を吐いた真那が唇を噛み締めた。

「同じ理想を求める人間がいる以上、思想は死んでくれないんだよ」

風向きが変わり辺りに充満していた煙が晴れ始める。校舎の側面に位置する斜面が見えた。真那が壁に沿いながらそちらに向かうのを進藤は慌てて追った。人影はなく木々が生い茂っている。山道まで出る斜面だ。

「ここからなら逃げれるから逃げて」

「撃たれるだろ!」

「あと10分弱で味方がそこから上がって来る」

早く行って。真那が進藤の背中を押すが足が震え踏み出せずにいる。

「清水、先生は」

「私は実行犯を殺さなきゃ」

「実行犯って、誰の事?」

「……とにかく行って。大丈夫、死なないから」

押し出された背中はバランスを崩し顔面から転がり落ちる。衝撃に目を伏せるしかなく腹に強い衝撃が来た時、進藤は木に引っかかった事に気づいた。

慌てて顔を上げるが真那の姿は既に無かった。

「何だよ、それ!」

震えたままの足が地面を踏みしめた。


6


銃声が響き渡る廊下で真那は走り続けていた。武装したテロ集団を片っ端から撃ち抜いていく。

どこにいる。

崩れかけた渡り廊下を飛び移る。比較的綺麗なこちらの建物に煙は上がっておらず真那は周囲を見渡しながらも窓の外を警戒した。いつ狙撃されるか分からないからだ。教室に人影はなく真那は靴を脱いだ。足音で位置がばれる可能性を考慮した末の選択だったが、既にヒールは使い物にならないしストッキングは穴だらけである。


耳を澄ませ呼吸を整えた。瞼の裏側に浮かぶ情景はいつも同じ。

真っ白な照明、窓のない部屋、身体は拘束されており叫んでも喚いても助けは来ない。

『お前は最高傑作だよ――』

下卑た男性の笑い声が響き途端に身体が震えあがる。自分の物とは思えない獣のような叫び声が部屋を反響しそれを見より一層笑みを深める姿。

『――』


目を開ける。真那が息を吐いた瞬間窓が割れ仰け反りトリガーを引く。しかし弾丸は出ず思わず舌打ちをした彼女は銃を取り出し撃ち抜いた。

向かいの校舎にいた狙撃手のこめかみを撃ち抜く。弾丸の無くなった銃を捨て真那は残りの弾数を数えたが状況は厳しい。6発しか撃てないそれはずっと真那の相棒だった。

あの時進藤に渡すべきではなかったかもしれないと後悔したが、何の武器も持たず彼を放置できるだけの冷酷さは持ち合わせていなかった。

「甘すぎ私」

味方が来るまでの時間をどう耐えるか必死に思考を巡らせる。あと数分、それだけ耐えれば状況は一転する。

しかしそれまでに実行犯に逃げられてしまえば終わりだ。真那は一歩踏み出す。その時だった。

「まーな♡」

廊下の先でマナが立っていた。汚れ一つない制服で黒いリュックを背負った彼女は楽し気に手を振っている。そして軽快な足取りで階段の先へ消えた。

「待ちなさい!」

笑いながら上の階に駆けるマナの背を追う。しかしどこからともなく銃弾が飛び交い撃ち合いが始まってしまった。その間にマナはどんどん離れていく。死角に隠れながら弾を補充するが容赦なく降り注ぐ攻撃に残っていた弾丸はほぼ使い切ってしまった。

「待て、よ!!」

ようやく上階に入った真那は扉の開いた教室に入る。そこでマナはロッカーに背を預けていた。

「やっと来た、遅いよ~」

結んだ髪をいじる彼女はこの場に似つかわしくない様子だった。真那は黒板を背に教卓の前に立ちマナと相対する。

「せっかく話す時間を作ったのにあんな雑魚共に苦戦するんだもん、真那らしくないよ」

ぷんぷん。頭の上で角を作り頬を膨らませる彼女に真那は教卓の下で弾を補充しようとしていた。

「あなたが実行犯ね」

マナの表情が一変した。

「半年前の新宿駅で起きた爆破テロ、現場にはあなたの姿が映っていた」

「証拠は?どこにあるの?」

「その時持っていたスマートフォンに付いていたキーホルダーが答えよ」

弾を片手に真那はポケットから真空パックを取り出した。先程の死体から奪ったルインの証明のモチーフだ。

「あの日あなたは爆破テロを起こした後ルインを死体に散布しようとした。けれどそれは叶わなかった」

半年前、新宿駅で起きた爆破テロの監視カメラを真那は確認していた。電車から降りたピンク色のカーディガンの女子生徒は連日防犯カメラに映っていた。通学の時間になると現れる少女を気にも留めなかったが事件の前日、彼女はいつもと違う時間に現れ駅構内を散策していた。

そして当日、爆破テロが起きた時間に彼女は新宿駅にいた。スマートフォンをいじりながら改札前で立ち止まった。そして、画面を押した。

瞬間爆発が起き辺りは騒然、彼女のすぐ傍でも爆発は起き逃げ惑う群衆の中、一人立ち尽くしていたのは事態を把握できなかったからではない。

彼女、マナの口角は上がっていた。

スマートフォンで口元を隠し衝撃に動けなくなった女子高生を演じていながら着けていたキーホルダーを外し目の前に転がった死体へ向かって投げようとした。しかし、それは叶わなかった。すぐに警察が現れ、彼女はモチーフを袋に入れ鞄の中に隠し入れた。


それが、新宿駅で起きた爆破テロの真実だ。


「あなたが前日に駅構内で散策し、立ち止まった三か所から爆発が起きた」

マナが立ち止まった場所から順に爆発が起きたのだ。

「あなたが、あの日の実行犯」

睨みつけた真那の視線を意に介せずマナは腕を組んだ。

「それで?殺しに来たの?」

「いいえ、捕まえに来たわ。重要参考人として」

「甘いね、そんな事しても意味ないのになぁ」

マナはおもむろにリュックを開ける。

「じゃーん!」

その中にはルインのモチーフが大量に入っていた。

「それ……!!」

「今からこれを死体に飾ってあげるんだぁ。沢山死んだからこれだけじゃ足りないかもだけど、校内の死体だけなら大丈夫かな?」

こうやって!足でモチーフを踏み潰す動作をするマナは楽し気で子供のようである。

「簡単に割れるから楽なんだよ、あの時は出来なかったけど今回は楽しめるね」

「それを渡しなさい」

「嫌だよぉ、これがマナの役目だもん」

「役目?」

「そう、日本における破壊と再生を任されたのだ~」

恍惚とした表情でルインの入ったリュックを抱きしめ回るマナは嬉しそうに笑う。

「楽しいね、旧人類を殺すのは。素敵だね、神様に命を贈るのは!」

「そんな事したら自分だって無事じゃすまないじゃない!」

「無事だよ?」

笑みが消え目が見開かれる。その表情に真那は思わずたじろいだ。

「まさかこの30年で何もしてないと思った?そんな訳ないじゃん、マナたち新人類はルインで死ぬ事はない。そういう耐性を付ける事に成功したんだよ」

でも。マナはリュックを背負い直す。そして一歩ずつこちらに近づいてきた。

「それはあなたもだよ」

真那は息を呑んだ。

「別にこの片田舎を始まりの地にする気はなかったんだけどさぁ、田舎って窮屈だし最悪でどいつもこいつも死んでいいような旧人類しかいないからここでいいやと思って。でもそれ以上にあなただよ真那」

銃を持つ手が震えた。

「正式名称で自己紹介してあげる。プロジェクトMANA被検体7号」


「初めましてオリジナルのMANA」



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