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妄想庭園【春】植物を育てわかったこと/⑬地球の真の支配者は誰なのか?

 これは園芸をやっている人共通の「あるある」で、かなりの賛同を得られる事だと思うのだが、自分で植物を育てて、楽しくなってくると家の軒先の植栽や鉢植えが気になって仕方ない、ということはないだろうか?

 人の手で育てられているもののみならず、道端や空き地にさえも変わった植物が生えていたり、何かの花が咲いていたりすると気がかりだ。自転車で近所の道を通っているとそれらに目を奪われるため、移動が若干危ない。中には園芸店で売られている様なものが、誰の所有物でもなく道端などに生えていると、お宝が道端に捨てられている様な錯覚を起こす事があり一気に園芸トレジャー・ハンターの血が騒ぎ、テンションが上がる。さすがに掘り返すまではしないが…。

 園芸をやり始めるといろいろな植物の名前を自然と覚えるので、外出先で見かけた植物が分かってくるし、特徴的なもので目を惹かれるのだが、名前を知らないものは調べて知りたくなる。世界が一気に広がって行き、物知りになったような誇らしさと同時に、世界の複雑さにもめまいがするような気がする。

 当たり前だが、すべての植物には自分が知らないだけであって当然名前がある。学術的に「○○科○○属」などと専門的に分類されている。雑草と言われているものにも名前はあって、観賞価値が低いとか、至る所に生えていて、珍しくもない見栄えも悪いものを人間が勝手に雑草呼ばわりしているだけだ。

 人間が育て世話をする際も植物に話しかけてやると、元気に育つという話がある。それが本当だとすると、植物同士のネットワークを使い、人間には到底理解できないコミュニケーション方法で、植物同士の連絡を取り合っているかもしれない。あそこの植木が枯れてしまったようだとか、あそこのお宅のご主人は熱心に世話をしてくれるらしいよ、とか。また植物と触れ合うことによって、心の安らぎであったり目に見えないエネルギーの様なものをもらっているかもしれない、というのは実際に植物を育ててみて実感させられた。

 もしかして植物は地球の支配者として地球全土にはびこっているのかもしれない。そう考えると怖い気もするが、植物がないと酸素が生み出されず人間は生存できないということや、緑を見ることで人間にもいい影響を与えてくれるという点では、人間を生かし、助けてくれる物言わぬ協力者かもしれない。いずれにせよ人間が全ての生物の頂点というのは浅はかな奢りだと思って間違いないだろう。

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