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五百旗頭真先生との想い出

昨日、3月6日に五百旗頭真先生がご逝去されたとの報道が流れました。大変に驚き、また、寂しい気持ちです。

私自身は、五百旗頭先生の門下生ではなく、また直接指導を受けたわけでもありませんでした。他方で、大学院生時代に、親しい君塚直隆さんの日本国際政治学会研究大会、1999年5月の木更津かずさアカデミアパークでの研究大会の、欧州国際政治史の分科会でのご報告の機会に、そこにいらっしゃった五百旗頭先生にお会いしたのが最初の出会でしたので、それから四半世紀もの長きにわたって、接する機会を得られたことになります。確か、村田晃嗣先生にご紹介を頂いたように覚えております。ありがたいことでした。

それ以後、神戸大学での日本外交史の研究会にお呼び頂き、報告の機会を頂いたり、さまざまな研究会でご一緒させて頂きましたが、おもにサントリー文化財団での研究会などでご一緒をさせて頂いたことを、鮮明に覚えております。その一つの成果は、2016年に刊行されて、五百旗頭先生と中西寛先生が共編者となっている、『高坂正堯と戦後日本』(中央公論新社)です。こちらで、素晴らしいお原稿をお書きいただきました。

五百旗頭先生は、「パブリック・インテレクチュアル」と呼ぶに相応しい存在であり、社会に関与し、社会に一定の貢献をして、日本の政治や社会が間違った方向へ向かわないように、さまざまな機会に発信することを重視しておられたように感じます。それが顕著に示されたのが、ご自身も阪神大震災で門下生などを失った悲しい経験をされたこともあり、2011年3月の東日本大震災の時に、復興構想会議の座長として被災の復興に尽力されたことが思い出されます。

五百旗頭先生は、高坂正堯ゼミの後輩にあたる前原誠司議員が民主党政権で重要な閣僚ポストにあったことや、民主党の中枢の方々と歴史講義などを通じて接点があったことなどからも、東日本大震災の前からすでに、民主党政権に一定の影響力を持っていたように記憶しています。2006年の、高坂正堯先生の没後10年には、『中央公論』でその功績を回顧する座談会を五百旗頭先生、前原議員、そして私の3人で行いまして、そのようなご縁もありまして(五百旗頭真・前原誠司・細谷雄一「高坂正堯没後十年 遺された『責任ある国家』という課題」『中央公論』2006年12月号)、何度か前原先生とお会いする機会に、五百旗頭先生とご一緒したことがありました。適度な距離をとりながらも、共感と、善意を持って、政権に助言を与えていたように思います。

ある時に、五百旗頭先生に、「五百旗頭先生は、歴代の総理は、だいたいお会いになっておられるのですか?」と聞きましたら、「宮沢政権以来で直接お会いしていないのは、村山総理と鳩山総理だけですね」とお答えなさっておられました。その際に、「ある人が、鳩山総理に繋いで、私と会うように機会をつくるよう動いてくれたのですが、鳩山さんの方から、会う必要がないと拒絶したみたいでねえ」と、話されていました。真相はわかりませんが。鳩山政権は、日米同盟のマネージメントで大変な混乱を経験しましたが、もしも早い段階から五百旗頭先生とお会いして、助言を聞いていれば、あそこまで迷走しなくても済んだかもしれないと、その時に感じたのを覚えています。

とりわけ五百旗頭先生は、小泉純一郎首相や、福田康夫首相とは親しい関係にあり、小泉元首相とは、五百旗頭先生が主催されたとある記念パーティーの席で、メインのスピーチとして、五百旗頭先生との親しい関係について話されていました。また、福田康夫首相とは携帯電話でしばしばお話しする親しい中で、私的な勉強会には私も何度かご一緒させていただきましたが、とても深い信頼関係にあったように思えます。政治の考え方など、とても似ていたのであろうと思います。

小泉首相からの要請で、防衛大学校校長を務めたのは、よく知られていると思います。教育者として豊な経験を持ち、人間的にも魅力と優しさに溢れた五百旗頭先生が、防衛大学校を大変に愛されて、常に自衛官に敬意を持っておられたことは、日本の防衛政策の発展にとても大きな貢献をなさったと思っています。五百旗頭先生は、自らの師匠の猪木正道先生が防衛大学校長を務めておられたことからも、その職務の重要性をよくわかっておられたのかもしれません。

私が書いた、『外交による平和 ーアンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣)など、かなり多くの著書を、毎日新聞の書評でお書き頂き、紹介をくださりました。ご自身も、LSEに在外研究をされたこともあり、イギリス外交史にはとても大きな関心を持ってくださったのだと思います。五百旗頭先生の温かい流麗な言葉で拙著をご紹介いただくと、著者である自分でも驚くほど、魅力的な本に見えるので不思議なものです。

五百旗頭先生の、血が通ったように人物を描くその政治外交史の手法に、私は多大な影響を受けました。温かみがあり、対象への愛情と、冷静な客観的な分析が同居する、その歴史叙述の方法は、五百旗頭先生以外ではなかなか真似ができない独特な技術であったのかもしれません。五百旗頭先生は、日本政治学会の理事長も務められましたが、そのような方法論が衰退していくとすれば、とても寂しいことです。他方で、五百旗頭先生は多くの優秀な門下生を育てられました。その多くの方々と、私は親しく接する機会を得られて、そのお一人の井上正也教授には、現在慶應義塾大学法学部で日本外交史の講義を担当していただいています。五百旗頭先生の、日本政治外交史を研究するその貴重な方法論が井上先生を経由して慶應でも受け継がれて、研究者養成として根付いていくことを強く願っています。

なお、五百旗頭先生の外交史の叙述の方法に大きな影響を私自身が受けたということについては、『アステイオン』第84号のエッセイ、「歴史の教養と外交の叡智、冷戦後世界を見通す三人の歴史家」で描いております。こちらでは、五百旗頭先生に加えて、私の師匠であった北岡伸一先生、そして高坂正堯先生の歴史叙述のスタイルに触れながら、歴史の教養に基づいて現代の外交を論じるその意義について書いております(Kindle版でもお読みいただけます)。

五百旗頭先生と、もうお話ができないことは、とても寂しいことです。他方で、五百旗頭先生と長年盟友関係にあった北岡伸一先生は引き続き論壇でも、政治の現場でも、日本が間違った方向へと進まぬよう導いてくださると願っておりますし、北岡先生の東京大学法学部での後継者であり、ご子息である五百旗頭薫さんとは、多くの研究会でご一緒して、五百旗頭先生と北岡先生の両者の美徳を受け継いだ、希有な研究者です。薫さんとは、まもなく慶應義塾大学出版会から、『民主主義は甦るか ー歴史の中のポピュリズム』という著書をご一緒に刊行します。このようなご縁を持てることは、ありがたいことです。


なお、私の慶應でのゼミでは、毎年五百旗頭真先生のご著書の『日米戦争と戦後日本』(講談社学術文庫)をテキストの一冊として読んでおります。太平洋戦争と日米関係を理解する上で、これほど魅力的な一冊はありません。またこのような、奥行きがあり、深みがあり、魅力がある著書を書ける外交史家は、なかなか現れないかもしれません。この著書を読んで感銘を受けて、声をかけたのが、五百旗頭真先生が小泉首相とお会いになる契機の一つだったようで、さらに小泉首相が日米関係を重視し、さらにはブッシュ政権におけるアフガニスタンの戦後復興の重要性を重視するよう助言し契機だったようです。

これは、一冊の本が、歴史を大きく動かす原動力になるという一例かもしれません。ただし、第二次世界大戦中のアメリカが、日本の戦後復興のために多大な労力を割いたようには、アフガニスタン戦争中のアメリカは戦後復興のための十分な計画や準備をしていませんでした。そのことがまた、対テロ戦争の時代のアメリカにとっての躓きの石になったのかもしれません。われわれがしっかりと歴史を学ばないコストは、あまりにも大きすぎます。

高坂正堯先生や、山崎正和先生の場合と同様に、論壇や社会におけるその存在は巨大であり、誰もその穴を埋めることはできないのだろうと思います。せめて、数多く残された五百旗頭先生の著作などを通じて、五百旗頭先生の思索、願い、希望を吸収し、五百旗頭先生が大切にされた日本という国家の将来が間違った方向へと進まないよう、残された私たちがその意志を継承していくことが必要となるのだろうと感じております。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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