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小さな事件が発生

ケンブリッジでの滞在も、今日が5日目。まだユニバーシティー・カードも、メールのアカウントも、WIFIに接続するログイン情報も入手していませんが、少しずつ生活が整ってきました。

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ところで、私が大学院生時代にバーミンガム大学大学に留学したとき、何人かのイギリス人の友人で、大学入学に必要なAレベルの試験でオクスブリッジに行く水準に到達しながらも(これはかなり高いレベル)、それほど裕福な家庭でもなくまた親戚にオクスブリッジ卒業生がいないので、あえてロンドン大学やマンチェスター大学、バーミンガム大学に行ったという人がいました。もちろん、かなりの少数派ですが。

このあたりは、なかなか日本人には理解が難しいところです。イギリスは階級社会の名残がありますので、それぞれ自分にとって心地よく、幸せなコミュニティというものがあるのかもしれません。保守党支持者と労働党支持者の違い、というもののように。

オクスブリッジの場合は「ユニバーシティー」と「カレッジ」と、両方に所属して、両方に授業料を支払う必要があり、さらにそれ以外にもいろいろとカレッジでの行事も多く出費がかさみ、また学部の場合はカレッジでの共同生活が中心となるので、どうしてもそれになじみやすく経済的余裕のある人と、そうでない人がいるのかもしれません。

それに比べて、レッドブリック大学とも揶揄されるバーミンガムのような中流階級向けのいわゆる「市民大学(civic university)」の場合は、とてもフラットであり、オープンで、中流階級や低所得者層にも優しい大学、という印象があるのでしょうね。サッチャー首相のように、女性で、労働者階級出身で、奨学金を取ってそこでよい成績を目指すような戦闘的な若者も多くいると思いますが、彼女が首相となってから、いわゆる「ウェット」と呼ばれるパブリック・スクールやオクスブリッジを卒業した、上流階級の政治家を毛嫌いして、打倒していったことは、彼女が大学時代に受けたことへの部分的な復讐という側面もあるかも知れません。

反対に、「ウェット」と呼ばれる上流階級出身の保守党の閣僚や議員が、いかにサッチャーのそのような「革命」を嫌悪していたのか、たとえばイートン校と、ケンブリッジ大学モードレン・カレッジを卒業してサッチャー政権で外相を経験したフランシス・ピムの記した『保守主義の本質』(邦訳、中公叢書)で克明に描写されています。社会・文化的な面でも、サッチャーは保守党やイギリス政治に「革命」を起こしたのだと思います。賛否両論ありますが。

ともあれ、このあたりは日本人にはあまりなじみがなく、関係がないのかも知れません。また、昔とは異なり、今ではオクスブリッジもとてもオープンになったのだと思いますし、ダウニングのダイニングホールでの学生達のしゃべっている様子を見ても、とても気さくな雰囲気です。

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(こちらは、ダウニングのダイニング・ホール。手前が学生席で、一番奥がハイテーブル)

ケンブリッジでは、キングス・カレッジやセント・ジョンズ・カレッジなど、ケム川に面した好立地にあり、後ろにバックスと呼ばれる広大な緑地を持つ一流カレッジと、戦後に設立された新しいカレッジとでは、同じケンブリッジ大学のなかとはいえ、雰囲気がだいぶ異なります。日本人留学生にとって、前者はなかなか敷居が高く、逆に後者はアメリカ人やアジア人、とくに中国人が多くいてカジュアルな雰囲気の場合が多いようです。私がいるダウニングは、その中間という感じでしょうか。

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(こちらは、とても偉そうな、キングス・カレッジ)


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(こちらは、その並びにある、そこそこ偉そうなセントジョンズ・カレッジ)

ですので、ダウニングの場合は、だいぶカジュアルでオープンではある一方で、いわゆる古いカレッジに見られる伝統がいくつか残されています。たとえば、ダイニング・ホールのディナーでは、ジャケットとネクタイ、そしてガウンが必要であることや(ゲストは不要)、ディナーの後にシニア・コモン・ルームでアルコールやコーヒーを飲むところなど、独特なオクスブリッジの伝統が見られます。このあたりは、オクスフォードとケンブリッジでの違いもありますし、カレッジごとの違いもあるので、適切にその伝統をふまえることは簡単なようで、簡単ではありません。

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(こちらは、ダウニングのシニア・コモン・ルームの様子。読書にうってつけ)

ということで、分からないことは分かっている人に訊いたり、自分で学ぶしかないということで、まずは、Cambridge University Pressから刊行されている、Kevin TaylorのCentral Cambridge: A Guide to the University and Colleges を読んで、独学。ふむふむ。そこでは各カレッジの紹介や歴史、特徴や、ケンブリッジの歴史などが書かれており、それに加えてさらには、巻末に、Glossaryという専門用語集も所収されています。例えば、Arms, Backs, Blue, Congregation, Don, High Table, Matriculation, Senate, とかいわれても、なかなか分からないですよね。学期も、Michaelmas, Lent, Easterと三学期に分かれていて、これもここの特徴です。

すなわち、オクスブリッジに留学される方は、ユニバーシティーの学部での難しい授業での勉強に加えて、これらのカレッジなどでの独特な慣習を覚えないといけない。大変ですよね。その点は、バーミンガム、ロンドン、マンチェスターなどは、カレッジ制ではない大学ということで、一般市民に開かれた大学としての歴史を歩んできた。フランスでは、グランゼコールとそうでないその他の大学(universite)で大きな壁があったのですが、イギリスでもカレッジ制のオクスブリッジとそれ以外の大学ではやはり壁があるのでしょう。ですので、私の場合はあまり成績もよくなく、家柄もよくなく、裕福でもなく、社会的なマナーにもあまりくわしくなかったゆえ、留学先がバーミンガムでよかったなと、当時も感じていました。

他方で、今のようにある程度年をとって、訪問研究員としてケンブリッジにお邪魔するのも、なかなか悪くはありません。逆に、学部や大学院で、オクスブリッジの優秀な学生と一緒の授業に出て、一部の裕福なイギリス人学生と親しくなるような日本人のみなさん、本当にすごいなと尊敬します。私にはその力がありませんでした。

さて、早速、今週は三度、カレッジのダイニングホールの昼食に行ってきました。昼食は、ネクタイもガウンも不要のいたってカジュアルなものであり、通常の大学のファカルティ・レストランなどと変わりません。また、その前後に利用するシニア・コモン・ルームも、ちょっとした読書をするには最良の環境です。このあたり、さらに古いキングスやセントジョンズは、よりいっそう敷居が高く、格式があるのでしょうが、ダウニングのフェローの教員のかたがたにきくと、ダウニングは比較的オープンで、カジュアルとのこと。

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新しい環境で新しい経験ができることは、貴重なことであり、またつねに必要なことであるようにも感じますが、やはりケンブリッジのカレッジでは、いままでの私の大学での経験(立教、マーストリヒト、慶應、バーミンガム、北大、敬愛、プリンストン、パリ政治学院、および非常勤での東大、京大、学習院、同志社などなど)とは明らかに異なる、学ぶべき独特な慣習があります。

こちらのフェローの教員の方々とお話しして、「So, where do you go in Cambridge?」と質問されて、「ケンブリッジでは、どこに行くのですか?」という質問の意味がさきほどまで分からなかったのですが、ようやく遅ればせながら、気がつきました。すなわちカレッジとはあくまでも生活の場であって、研究をするのは別の場所なのですね。それは学部だったり、研究センターであったり、史料館であったり、だから、「ダウニングに滞在しながら、ケンブリッジのどの場所で研究を行うのか」という意味だったのでしょうね。図書館と答えたり、チャーチル・カレッジの史料館と答えたり、国際関係研究センターと答えたり、いろいろな答え方があるのだと思いますが、基本的には、図書館や史料館を使いながら、セミナーにも出ようと思っていると答えたので、まあ意味は通じたと思います。

ただ、私の研究者人生を左右するような、とんでもない「事件」が発生しています。これまで約20年間、イギリスの公文書館、バーミンガム大学図書館、ケンブリッジ大学チャーチル史料館、アメリカの国立公文書館、プリンストン大学ダレス文書とケナン文書と、大変な時間とお金をかけて集めてきた史料の電子データを入れた、USB形式のSSDの外部記憶装置が、どうやら買ってまだ一年経っていないのにもかかわらず、内部の論理障害でデータが引き出せなくなってしまったのです。頭の中が真っ白になりました。一体どれだけの時間と、どれだけのお金を、これだけの史料を集めるために費やしたのか。考えただけで、気が遠くなります。まさに茫然自失。

信用できるようなデータ復旧サービスの会社にSSDを送ったら、努力をしたけどもデータが引き出せなかった、という返答が昨日戻ってきました。これからの研究の計画が、完全に止まりそうで、身体が恐怖で震えてます。それを読みながら、ケンブリッジで研究を進めようと思っていたので。

この精神的なショックを、オンラインでの会合でゼミ生や院生の一部にお話ししましたら、SSDに移す前にデータを入れていた外付けハードディスクでは、データを削除してもたぶんまだもとのデータが残っているのではないかということで、そこに最後のかすかな希望を抱いています。

デジタル化社会は、恐ろしい。500GB近い巨大なデータだったので、クラウドなどにバックアップをとっていませんでした。後悔と反省。

ともあれ、この巨大な問題への解決方法を最後まで諦めずに求めながら、他方で貴重な時間を使って新しい史料を集め、さまざまな文献を読んで、研究や執筆を進めていきたいと思います。

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