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侵略者の侵略に迎合することで生まれるのは平和ではなく、次のより大きなより悲惨な戦争である

大変に注目されている、『中央公論』2024年4月号での鼎談、「ウクライナな戦争が変えた日本の言論地図」。戦争に巻き込まれたことなども一因となり(認知戦、心理戦、宣伝戦など、現代の世界では認知空間やサイバー空間も戦場化しているため)、SNSなどの言論空間がさらに荒れています。非難の応酬、嫌悪感の表出の前に、まずは問題意識のみでも共有頂ければ幸いです。

なお、これまで何度も繰り返し書いてきたことですが、私の場合は「ウクライナが戦争するべきだ」ということや、「戦争を継続するべきだ」などということを書いたことはなく、繰り返し誤解されています。重要なのは、主権国家としてのウクライナの自決権(the right of self-determination)を尊重することだと考えており、それは国連憲章で認められた権利です。

なので、自らの国家の生存や、防衛、交渉は、ウクライナ国民、ウクライナ政府が決めることであり、外部からロシア政府や、アメリカ政府、ましてや日本の国際政治学者が強制できるような性質のものではありません。ウクライナ国民が平和や、交渉や、譲歩を求めたならば、それを尊重すべきだという立場です。

詳しくは、私の編著、『ウクライナ戦争とヨーロッパ』(東京大学出版会)の序章の「ウクライナ戦争はヨーロッパをどう変えたのか?」をお読み頂ければ幸いです。軍事大国が、軍事力によって他国を威嚇して、周辺国の領土を蹂躙し併合して良いという認識は19世紀の帝国主義の時代のものであり、21世紀の現代のものではありません。

主権国家が他国を軍事力で侵略したり攻撃することなく、主権をや自決権を尊重するように、SNSもまたそれぞれの方々が、それぞれの責任を発信や投稿をするべきなのでしょう。国際社会と比べても、SNSの空間のほうがまだ規範もルールも未成熟であり、それが対立や摩擦の原因の一つかもしれません。

すなわち、戦争勃発以降の日本の言論空間での対立軸は、「和平派」と「継戦派」の対立ではないと考えています。そうではなく、「帝国主義的な侵略の擁護」と「主権と領土保全という国連憲章の規範の擁護」の対立だと考えており、私は後者の立場です。前者の立場を採るのであれば、日本の満州事変での軍事侵攻をも擁護することを意味するはずです。私はそうではありません。

もしも、アメリカの圧力故にロシアの侵略がやむを得ないものと考えるのであれば、戦前のヒトラーの侵略も、日本軍による中国への侵攻も、アメリカの圧力ゆえにやむを得なかったものだと主張するべきであり、歴史教育でそう教えるべきだと修正すべきなのでしょう。私はそのような立場は採りません。たとえ実際に、戦前にアメリカからドイツや日本への圧力があったとしても、そのことをもって近隣諸国を軍事力で侵略して、そこの国民を殺戮することは許容されないはずです。

ロシアが強大であり、ウクライナでの犠牲者が増えることが好ましくないゆえにウクライナが屈服するべきだという立場の方々は、きっと戦前であればナチスの侵攻に対して屈服することを好み、日本の侵攻に対して中国の人々に抵抗を止めることを主張したのかもしれません。そして、イギリスによる「バトル・オブ・ブリテン」などでの抵抗と防衛を批判したのでしょう。しかしながら、もしもイギリスが武器を置いて、ドイツと和平交渉を行い(実際にネヴィル・チェンバレン首相や、ハリファックス外相はそれを望んでいた)、第二次世界大戦時にナチス・ドイツによるヨーロッパ大陸、さらにはイギリスなどの占領が行われていたら、それによって平和が訪れて、そこに住む人々の生命が守られたと考えることは、あまりにも楽観的です。

いうまでもなく、戦間期と現代の国際環境は異なります。むしろ、戦間期以上に、今のほうが帝国主義的な野心から隣国を侵略することが禁止され、主権や領土を損なうことが認められない、という規範が確立しているというべきです。あたかも21世紀の現在が、19世紀同様の帝国主義の時代ととらえることは、外交史にあまりにも無理解であろうと思います。

日本の言論空間ではこれまで、あまりにもこのような過去2世紀の外交史の展開について、さらには国連憲章などが構築してきた国際的な規範について、さらにはヨーロッパの国際関係の現実について、不十分な理解のまま、自らの感覚、感情、印象のみで、善悪を論じすぎてきたのではないでしょうか。「戦争は悪だ」、「戦争の継続を支持する者はおかしい」、「ウクライナを支援することはけしからん」と熱く論じることは結構です。ただし、その前に少し冷静になって、ヨーロッパの外交の歴史や、現在のヨーロッパの国際関係を真摯に学ぶこともまた、重要なのではないかと感じております。

そもそも、戦争を始めたのはプーチン大統領であり、戦争を継続しているのはロシアであるというあたりまえの認識から、議論をしていくことが重要なのだろうと思います。

侵略者の侵略に迎合することで生まれるのは、平和ではなく、次のより大きな、より悲惨な戦争です。

そのことは、過去1世紀の外交史からも、過去30年のプーチン氏のロシア統治の歴史からも、学べることではないでしょうか。




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