健康的で自信に満ち溢れたものに対する嫌悪感

ツイッターで流れてきたこの記事を読んで思ったこと。マルチとかよりも、宗教の話がメインになってしまった。

僕は1983年生まれで、小学5年生があと少しで終わるという多感な時期に地下鉄サリン事件が起きたこともあって、宗教イコール悪という偏見がある。宗教アレルギーと言っていい。先日、日本でも有数の某巨大宗教団体に祖母の代から入っている知人と宗教の話になった時に「自分の宗教に偏見があることは分かっているし仕方ない。ただ、自分が輝くことでその宗教でもこんな人がいるんだ、みたいに思ってもらいたい」というようなことを言っていた。

言ってることは分かる。だが、「どんなに幸福の○学製作の映画が素晴らしかったとしても、幸○の科学という時点で観たくないのだ。その偏見で損をしてると言われたとしても全く構わないのだ」。ア○ウェ○の食器がどんなに高品質なものであっても〜というのも同じだ。

とはいえ宗教自体を悪とは思わない。人は何かしら拠り所がないと生きていくのが難しい。かく言う自分だって宗教ではないだけで、何かにすがり、何かを信じて生きている。

ただ、それを人に勧める行為にとても嫌悪感を抱くのだ。そんないいんだったら自分で楽しめばいいじゃん。俺は別に他に楽しんでるものがあるからいいよ。お仲間と好きに楽しんで下さい。アンタがいいと思ってるものの良さを押し付けないで下さい。アピールされればされるほど引いてしまう性格なんです。宗教アレルギーというよりも、勧誘・営業アレルギーなのかもしれない。特にそれが健康的で自信に満ちたものであればあるほどに、私の嫌悪感は増し、心は閉ざされる。

そんなわけで私の営業力、PR能力は限りなく、低い。いや、低くはないんだけど、その辺の考え方に変化があればもっと上へ行ける、はず、いろんな意味で(笑)。

あと、あれ。個人崇拝がとてもとても気持ち悪い。する側もそうだし、されていい気になってる側も。多幸感に満ちた内輪が外野から見ていかに気持ち悪いか。劇団にもそういうの、少なくない。歳の離れたカリスマ演出家みたいなのが若い子らを心酔させて、客演よりもそのカリスマの方が偉いみたいな。珍しくない。

もちろんそれで楽しいならいい。外野の意見なんかノイズだ。でもお願いだからそれを広げようとしないで。

一体なにを書きたかったのか。とりあえず、自分はやりたいこと、夢が一応にでもあってよかった。皆さんもおいしげな話にはくれぐれもお気をつけ下さい。


市原 ユウイチ

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