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グローバル社会が生んだグレーゾーン・友人「N」の憂鬱

スリランカ国籍の友人「N」とドライブをしていた。特に目的地は無かったが、時間の許すまで都心を走らせた。中学からの付き合いである彼とは今でも頻繁に会っているが、2人だけで外出することは滅多になく貴重な時間だった。

中学時代の思い出話や、月末に控える北海道出張の話など、いつだって僕らは過去と未来の話をしてきた。そんな彼が現在(いま)の話をポロっとこぼしたことには驚きだった。

彼は自身を<中途半端な人間>と嘆いた。彼の生まれは日本、育ちも日本。当然、母語も日本語だ。だが彼の両親はスリランカ人、自身も国籍はスリランカ。もちろん容姿も完全にスリランカ人だ。

僕ら一般的な日本人と同様に、日本で生まれ、日本で育ち、日本で教育を受け、日本語を使って生活している。それなのに、国籍と容姿が違うため、様々な“特別な取り扱い”を受けてきた。

最近では、パスポートの更新に数カ月以上掛かるということに辟易している(一般的なスリランカ人では手続きがそこまで長期化することはない)。こんな不合理は彼にとって日常なのだろう。

どんな時も、その持ち前のポジティブさと明るさで貫き通し続けてきた彼の、意外な一面を垣間見た瞬間だった。

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