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ゆういちの一生 第33話 父へ、さようなら。

鳴らない電話。

ゆういち33歳。
即興パフォーマンスまねきねこ☆での演劇公演ができなくなり、
指導をする仕事へと移ります。

借金がある状態からのスタートです。
即興パフォーマンスまねきねこ☆の時から自分でウェブサイトを作っていましたので、
会社のウェブサイトもすぐに自作して公開しました。

しかし事務所の電話は鳴りません。
セミナーに通いビジネスの勉強もしました。
異業種交流会に行って、他の企業の方と交流もしました。
営業電話をかけたり、資料を作って営業に行ったりしました。

しかし、事務所の電話は鳴りません。
鳴っても他社からの営業電話です。

会社の収入がないので、アルバイトをしながらです。
モデルルームの看板を持つ日雇いのアルバイトです。
アスファルトの上にかばんを置いていたらアスファルトが溶けたらしく、
溶けたものがかばんの底に付き、
それがスーツにつきました。

少し鳴る電話。

そんなことをしているうちに、
少しずつ、本当に少しずつ、
お仕事を頂けるようになりました。

会社のウェブサイトを見て、
名古屋とか飛騨高山から東京の僕のところに依頼してくれる企業様が現れました。
(なぜか東海地方ですね。)

チャンスがあっても上手くいかないこともありました。

DREAM GATEという起業のプロジェクトがあり、
企業研修のプレゼンをしましたが実現されませんでした。

企画は通るけど、実現に至らないことも多くありました。

輝くベルト。

ある大手の携帯会社の大規模な企業研修の話が来ました。

講師が複数名必要ということで、
インプロの知り合いに声をかけて講師をしてもらうことにしました。

前のクールの研修の様子を見学させていただけるということで、
その子も連れて行ったのですが、
キラキラしたベルトで来たのです。

さすがにまずいと思って外すように言いましたが、
他の企業の時は問題なかったというのでそのまま行きました。

結局、その企業研修の話はなくなりました。
理由はキラキラベルトでした。

だんだん、間違っていることを間違っていると言うことができなくなっていました。

ゆういちは重症。

それは、即興パフォーマンスまねきねこ☆の時から発生していて、
それを言うと、反発されたり、メンバーがやめていったりするからです。

この病気はかなり長く続いていきます。
当時は重症でしたが、なんならそれは今も続いていますね。
言わないではなくどう言うかなのだと今は思います。

父は危篤。

ある日、妹から電話がありました。
父親が危篤とのこと。

しかし、仕事が上手くいっていないので、
実家に帰ろうにも交通費もままならない状態です。
夜行バスで香川に帰りました。

節約するため高松駅のレンタサイクルで自転車を借りて、
実家までの17kmを自転車で走りました。

母親と妹と一緒に父の入院する病院へ行きました。

肺ガンだそうです。
ベッドに眠る父親は驚くほど小さくなっていました。
危篤だと聞いていたのですが、元気になったそうです。
僕が帰ってきたかららしいです。

伝わらないジブリッシュ。

父親は僕に何かを話してくれます。
入れ歯をしていないのではっきりと話すことができません。

しかし、僕はインプロでジブリッシュというデタラメ語のトレーニングをしました。
だから、相手の言葉が明確に分からなくても、
表情などからも情報を得て相手の伝えたいことを理解できるはずです。

僕は父親の言葉を聞いて訳すことにしました。

僕が「こういうこと?」と言うと、
父は毎回首を横に振ります。
違うようです。

妹が、「〇〇ってことやんな?」と言うと、
父はうなづきます。

長く一緒にいた妹の方が理解できるようです。
僕のインプロの力は全く通用しませんでした。

父とはほとんど話すことができず病院から実家に戻りました。

父と話す。

でも、これで僕が東京に帰り、その間に父が死んだら、
父と二度と話すことができません。

レンタサイクルでまた病院に戻りました。

病室には僕と父の二人です。
父は何を言っているのかもう分からないので、
僕の方から一方的に話しました。

父から商売のことを教えてもらいたかったこと。
育ててもらったことへの感謝。
今の仕事を成功させると約束をしました。

いろいろ話した気がしますが、
後は覚えていません。

そして、東京に帰りました。

父は物か?

何日かして、また妹から電話があり、
父が危篤だということでまた香川に帰り病院に行きました。

看護師さんに「お父さんにご飯を食べさせてあげて。」と言われ、食べさせます。
ゼリーみたいなものしかもう食べられないらしいです。
しかも、病気の痛みをマヒさせる薬が効いているのか、
すぐウトウトしてしまいます。

僕はその姿を見ていられなくて、
涙が止まらなくて、
ご飯を食べさせてあげることができません。

看護師さんがしばらくして来ましたが、
僕がご飯を食べさせれらてないのを見て、
代わりにやってくれるとのこと。

看護師は「仲野さん!」と何度も叩いて目を覚まさせて、
半ば無理やり食べさせています。

タンが詰まると、器具で吸い出します。
器具で傷つけたのか血が流れています。

物か?
僕の父は物か?
僕は怒りが沸きましたが
何も言えません。

金返せ!

その日は夜、病院に泊まりました。

携帯電話が鳴ります。
即興パフォーマンスまねきねこ☆の公演に出演してくれた人からです。

「金返せ!」

赤字が出たので、公演の際のチケット売り上げの支払いを待ってもらっていたのですが、もう待てないとのことです。

「今、父親が危篤で香川に帰ってきていて今病院で付き添っているので、
東京に戻ってアルバイトをして支払うからもう少し待ってくれないかな?」

待ってくれないので、翌日帰ることにして、振り込みの日程を決めました。
そして謝りました。

「で、本当はどこにいるの?」

というので

「いや、全部本当のことだから。」

危篤が嘘に聞こえるほど、信用も無くしていました。

死に目に会えるのか?

また、何日かした昼頃、また妹から電話があり、
父が危篤だということでした。

すぐに帰るようにと言われたのですが、
その日の夜は、僕が主催するワークショップの日だったので、
それが終わってから帰ることにしました。

妹には「後悔するで。」と言われましたが。
僕はワークショップを終えてから夜行バスで帰りました。

翌日到着した時には、父は亡くなっていました。
僕は父の死に目には会えませんでした。

当時は「仕事を放り出して会いに行っても父は喜ばないだろう。」
と考えていましたが、
今思うと、ただ、仕事を延期すればいいだけの話だったと思います。

葬式に着たスーツは、日雇いのアルバイトをして汚れたスーツ。
貧乏丸出し。
ボロボロです。

葬式後、形見として父の腕時計を持って帰りました。
腕にはめようと思いましたが父の腕に合わせたサイズは細すぎて入りませんでした。

おしまい。

今日はここまです。
ご覧いただきありがとうございました!


続くよー。


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