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ゆういちの一生 第41話 Black or White?

2013年。ゆういち41歳。

前年の2012年はまねきねこは充電中でした。

じゃあ、何するかというと、自分の生活です。

この頃は、名古屋港にある飛行機の工場で働いていました。

めちゃくちゃ広い敷地に、たくさんの工場があり、飛行機の羽根の一部分ができたら、塗装をするところへ移動して、塗装が乾いたらネジを閉めるところへ行ってというふうに、部品がいろんな工場を転々としていきます。

業務内容としては、そのいろんな工場を経ていく部品が順調に予定通りに流れるように、各工場の担当の方に連絡したり、期限までに仕事をしてもらったり、途中で行方不明になった部品を探したり、いくつかの工場から集まってくる部品の中でも自分のところの部品を先にやってもらえるよう交渉することです。

工場間でやり取りをする担当の人たちは大変そうでした。僕は現場ではなく、事務所内でパソコンを使ってデータ処理をする部門に上手いこと配属されていました。入社の試験で100点を取ったからとか、それまでパソコンを使った仕事をしていてパソコンが使えるからかもしれません。ちなみに入社の試験は教科書を見てもいい試験だったので全員100点かと思ったら、全くそうじゃなく、ほんの何人かだけでした。

なので、他の人たちが肉体労働している時に、僕は事務所内でパソコンの作業をしたりと、まあまあ快適に仕事をしていました。その環境ならもしかしたらずっと続けたかもしれません。

ある日、事務所内のパソコンの担当から外され、工場間の調整、交渉の仕事になりました。急に仕事がしんどくなってきました。

部品が大量にあるのと、工場内がごちゃごちゃしすぎているのと、なかなか担当の人とコミュニケーションが取れないのと、怒りっぽい人が多いのとで、なかなか大変な仕事です。そして、仕事量が多く、いくらやっても終わりません。毎日残業をしていました。月に100時間くらい残業をしていました。

それプラス、上司と上手くいきませんでした。時々、指示が不正をはらんでいます。業務内容は調整なので、実際の工場の業務はしてはいけないのに、間に合わないからといって塗装を手伝うように言われたり(塗装は楽しかった)。期限切れの部品をウソをついて承認してもらうように指示されたり。できないと「こんなもん、うちの子どもの方が上手くやるわ!」とか言われます。暴力は振るわれませんでしたが、人権を無視した発言を受けるのが苦しかったですね。この頃は鬱っぽくなっていたと思います。

工場内には、高熱になった機械や猛毒の液体が溜まっているプールがあります。精神がおかしくなりすぎていたら、うっかりそこに飛び込んでしまったかもしれません。

でも、死んでしまう前に、会社を辞めることにしました。部署を変えてもらうことを提案しましたが、変わることもなかったですので。


講師としての働き先を探す。

飛行機の工場をやめて、演技講師になろうと思いました。
しかし、愛知県で演技講師になるには紹介してもらうしかなく、コネがない人は講師になれないと聞いていました。

しかし、僕は紹介してもらえる人もいなく、あ、いたような気もしますが、なんかコネで入るのもなんかイヤだったので、自分で探すことにしました。

公民館で模擬授業を開催して専門学校やプロダクションの方に見てもらおうと思い、案内を出しました。模擬授業では生徒役にまねきねこのメンバーに手伝ってもらいました。しかし、これは仕事にはつながりませんでした。

次に、各専門学校に直接「講師を募集していませんか?」と聞いていきました。

ある専門学校に訪問した時のこと。インプロの指導をしていると話し、演技力だけでなく、日常のコミュニケーション力も上がると説明しました。

担当A「普段、引っ込み思案でも、舞台に立ったらしっかり演技するものですよ。ですから私の学校では必要ありません。」

と言われました。それでも、必要性を話したところ

担当B「それを必要としなければいけないようなダメなプロダクションなんてあるんですかぁ?」

担当C「あ、そういえばあります。一件心当たりがありますね。」

担当B「ああ、あそこですか~。」

担当ABC「はははははは~」

めちゃくちゃ感じ悪いです。まあ、実績がありませんでしたから、しかたありません。

結局そこでは採用されませんでした。

ついに演技講師になる。

そうして、コネを使わず直接訪問を続けているうちに、テアトルアカデミーとインターナショナルメディア学院にて講師をすることが決まりました。

テアトルアカデミーは、鈴木福くんや谷花音ちゃんがいるプロダクション、インターナショナルメディア学院は、ドラゴンボールのベジータの声優の堀川りょうさんが学院長のプロダクション直営の学校です。

テアトルアカデミーで授業を担当し始めた頃は僕のような講師は珍しかったらしく、教室のマジックミラーの向こうから他の先生が僕の授業を見学することがよくありました。

終わりに

今思うと、飛行機の工場をやめることができたのも、ひどい上司が来てくれたからでした。そうでなければ、あの工場で今も働いていたかもしれません。

感じの悪い声優の学校も落としてくれて本当に良かった。採用されても感じ悪い職場になじめずやめてしまうことになったでしょう。

自分に合わないところ、合わない人は、あちらから断ってくれるものです。
自分がいるべきじゃない場所からは、あちらから締め出してくれるものです。

感じ悪い人が「ここにいるな!あっちへ行け!ここはお前の場所ではない!」とわざわざ教えてくれているので、無理にそこに関わる必要はないのです。

おしまい!

今日はここまで。
お読みいただきありがとうございました!

続く。

次のお話はこちら。


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