見出し画像

ゆういちの一生 第49.5話 総集編 ふがわるい生涯を送ってきました。

はしがき

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

第一葉の写真

 一葉は、その男の幼年時代の写真であって、保育園の遠足にて弁当を食べている写真である。周りには子供たちがいるが、そちらには目を向けず彼だけがカメラを意識している。えくぼがあることが自慢であり、写真によりよく映ることを意識している。自分自身のことが大好きであることがよく分かる。私はこんな表情の子供をよく見かける。

第二葉の写真

 第二葉の写真の顔は、ひどく変貌していた。がっちりした体で柔道着を着ているが、顔はそれとはまったく釣り合わない、自信はなく、うつむいている。では、完全に悲しみの中にいるかと言えば、そうではなく、怒りを目の奥に潜ませている。私はこんな表情の少年をよく見かける。

第三葉の写真

 もう一葉の写真は、優しい目をして微笑みかけている。しかし目の奥には怯えがある。誰にも見せようとはしない、誰にも見せてはいけない弱みがある。その心は誰にも開くことはないのである。私はこんな表情の男の顔をやはりよく見かける。

手記

第一の手記

 ふがわるい生涯を送ってきました。
 自分には、正しい人間の生活というものが、見当つかないのです。保育園の頃、絵を描くことが大好きでした。しかし、ある日、級友に私の絵は間違っていると指摘され、級友の下手くそな絵を真似して描きました。なにやら絵には正解と不正解があるようで、私は不正解の方であるようなのです。

 歌も好きでした。お隣の友人の家のコタツの上で歌うほどでした。しかしある日級友に「オンチやな」と言われ、それ以降人前で歌うことはなくなりました。鼻歌さえも自分に禁じました。

 ねんども好きで、手が荒れてもやめないくらいでした。先生から「生きてるみたいですね」と言われていたようです。ねんどについては批判を受けたことがなかったようで、大きくなるにつれ粘土を触ることは減りましたが、悲しい気持ちを持ってやめることはありませんでした。

 学生になり、他の人との差ができてきました。そして、それは恥ずべきことのようです。「ふがわるい」とよく言われました。ふがわるいとは私の故郷香川県の方言で格好悪い、みっともないという意味です。

運動が苦手なのは、ふがわるい。
外で遊べないのは、ふがわるい。
友達が少ないのは、ふがわるい。
いじめられているのは、ふがわるい。
男のくせに色白なのは、ふがわるい。
男のくせに女とばかり遊ぶのは、ふがわるい。

 普通にしていて、ふがわるいことが多すぎる私は、自分を表に出さないようにしました。日蔭者という言葉があります。人前に出すことができない、まさに私のような者です。時折、私のような日蔭者にも理解を示してくれる人が現われますが、その人の前でだけ自分を表すのです。

 世間というものは狭いものです。電車も通っていない小さな村の小さな学校が世間です。私は世間に出すとふがわるい。私は日蔭者としてコソコソと生きていました。

テレヴィジョンという箱の中の世間は、ここの世間とは違って見えました。都会へあこがれを持つのです。

第二の手記

私は、村を出て、都会へとやってきました。ここでは、ふがわるいとも言われず、自分を表現できる。

私の本能は表に出たいと言っております。しかし、長年体に染みついた日蔭者としての習性は、都会へ行っても同じ行動をさせるのでした。ふがわるいと言われぬよう、ちいさく、目立たなく行動してしまうのです。

時折、勇気を出して表に出てみます、いや出ようとしますが、止められます。

「世間でそれは通用しない。」
「世間で笑いものになるだけだ。」
「お前にやれるわけがない。」
「やめておけ。」

私は、世間に対する、いや、世間というものを利用する者に対し、怒りを持っておりました。

「みんなも、ゆういちが間違っていると言っている。」

「みんなって誰?」

(世間の誰も君を相手にしないからな)
(それは世間じゃない。そう思っているのは君じゃないか)

そのような、声を払いのけ、ささやかな勇気を持ち、いくつかのことをやってきました。小さな失敗をし、小さな成功を喜び、それを重ねてきました。

第三の手記

 都会の生活に疲れ、小さな村に引っ越してきました。小さな成功と小さな失敗を重ねた結果、いくつか力をつけることができ、それで過ごしております。

年齢を重ねてまいりまして、もう私に直接「やめておけ」と言う人はいません。

しかし、何かをやろうとすると、私の頭の中で声がするのです。

「やめておけ」
「誰もお前のことなど相手にしない」
「非常識だ」
「だから汚いって言われるんだよ」
「ふがわるい」

ほんの一度言われた言葉が、私の頭の中でコダマするのです。ほんの小さなことも、確認を重ねないとやれません。確認を重ねているうちに気力がなくなり、何も最後までやれないのです。

ふがわるくならないように。目立たないように。自分のせいで他の人が大騒ぎにならないように。慎重に慎重に生きております。正しいことから少しでもはみ出した時は、深く反省をし、また正しいと思われる道へと戻ります。

不思議なもので、ふがわるくならないように気を付けるほど、ふが悪い方へと吸い寄せられていくのです。

しかし、こんなに気を付けなければ、ふがわるくなってしまう私という人間はなんと醜い存在なのでしょうか。私自身がふが悪いという存在なのでしょうか。正しい人間ではない。人間失格であります。それを一生隠して生きていくのでしょうか?

私は、四十九の時に、私の人生を話してみました。失敗ばかりの、なんの成功もない人生を。そうすると、喜んでくれる人がいたのです。意味があると、ありがたいとまで言われたのです。

私はこのふがわるい只の人生に価値があることに気づきました。もう、ここまでふがわるくやってきた、それなら、これからもふがわるくやっていこうではないかと。隠しても、正しても、治らないのであれば、もうそれは仕方のないことではありませんか。

 自分はことし、五十になります。先日、中学生からユウチュウバアなる職業を勧められました。なにやらインタアネットを通じて、世間に向けて表現をするという職業があるそうです。それを今更五十になる男が行うとは。なんともふがわるい。しかし、それもいいと思ったのです。この小さな村を出て大きな世間という海へ出て、ふがわるいかどうかを、自分の目で確かめてみたくなったのです。

 長い間、ふがわるくならないように努めてきたのですが、私の故郷の人々が聞いたら誰もが「ふがわるい」と口をそろえて言うような、五十になってユウチュウバアという職業の人生を始めたのです。

あとがき

 この手記を書き綴った只の人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出てくる人を、私は少し知っているのである。

その人は、三冊のノートブックと、三葉の写真を持ってきて私に手渡した。

「小説の材料にいかがですか」

私はこれまで、奇をてらった作品を書いてきたが、そろそろ只の話を書きたいと思っていたところだったのだ。

「ゆういちは、何者かになろうとがんばっておられたのでしょう。」

「今は、何者かではなく、ゆういち自身になろうとがんばっておられるのでしょうね。」

私は「しかし、この手記は、完全に、太宰治の人間失格に影響を受けておられますね。」と言いかけてやめた。これもゆういち自身へ向かうための道の途中であるのであろうと。本人も影響を受けることを重々分かっており、読めば鬱になるのではないか、影響を受けて自殺するのではないかと恐れ、四十九になるまで一度も読んだことがなかったのであろう。読んでみたらこのありさまであるが、まだ自殺をしたという話は聞いていないので安心している。

しかし、本当にまだ生きているのだろうか?私は気になって聞いてみた。

「あの方は、今どうしているんでしょうね。」

「今も世間の中でがんばっておられると思いますよ。ゆういち自身として。そして、今も、誰かが『みんなが』というたびに、『みんなって誰?』と言っているのでしょうね。」

私たちは笑いあった。

「私の知っているゆういちは、とても素直で、優しくて、おもしろくて、楽しませてくれて…いいえ、何もしなくてもいい子でした。」


ゆういちの一生 おわり

おしまい。

長い間、ご覧いただきまして、ありがとうございました。

引用 太宰治「人間失格」

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?