シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇観た!

【最初に。ネタバレ一部含むかもです。】

できるだけネタバレしないようにとは思うのですがどうしてもストーリーに言及する箇所が出てきそうです。まだ書く前だけどたぶん。ネタバレありとして映画観るまで知りたくない方はご遠慮ください。申し訳ございません。



さて、見てきました「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」!!!

千葉京成ローザ⑩の10:45回。平日なのに半分近く埋まってたかな?いい場所既に売り切れでかなり前のほうの席でした。客層は自分と同じくアラフォー近いおっさんが中心で若い子もちらほらって感じかな。

だってテレビシリーズ終わってちょうど25年くらいだもんな。四半世紀ひとつのコンテンツで楽しませてもらったなんて中々ないもんね。ちょっとWikiで見てみると最初の放映期間が 1995年10月4日 - 1996年3月27日とのこと。1981年生まれの自分はちょうどチルドレンといわれる主人公たちと同じ年くらい。

だから思春期、もしくは拗らせた中二病(ちょうど中二かw)真っ只中で周りも見えてないし、自分は特別だと思う気持ちはあるけど、その自信の根拠には何の実績もなく若さだけで、それが脆いことや、いろいろな原因を自分の中に認めることができる勇気のなさみたいなものがエヴァンゲリオンの中に見えた時にすごくシンパシーを感じたというか、没入しちゃったんだよね。

あとはよくわからん謎やらキリスト教やらさらにその前の旧約聖書的な用語や世界観。単純に中二じゃなく厨二の方の意味での魅力ね。あとちょうど村上春樹みたいなのにかぶれる時期じゃないw 村上春樹作品みたいなのって表層上繰り広げられてることはよくわからんけど、なんか「メッセージというかその人の性格がああで、こういう関係性ならそうなってもしょうがないか。」みたいな根幹は中二で読んでもわかるというか。エヴァンゲリオンも同じで謎は謎で残ったままなんだけど、「なんかわかる。」だったんだよね。

余談だけど、今もう一度村上春樹読んだらたぶんこれはこのメタファーで・・・みたいな説明はもっとわかる気もするけど、じゃああの頃より理解ができるから面白味も深まるかっていうとまた別なのかもなぁって思ったり。

で、ここからやっと感想w

まずね、本編始まる前の前作までのダイジェスト映像が流れるんだけど、これはストーリーの説明には一切なってないんだけどかっこいいの。そしてグッとくる訳です。テレビシリーズと思われる映像も使われてて本当に1995年からのシリーズに終止符を打つつもりなんかなって。

そして新劇場版になってからお決まりの最初からメカものとかロボットものとしてすげー!っていう戦闘シーンですよ。最後の決着をつけるってのと上映時間自体が150分超え(!)なんで何度も出てきますがどれもすごい。飽きないです。

そしてこれはもう考察系でたくさん言われてることですがやはりループものだったことが改めて示唆されていました。月にあったカヲル君の棺が多数あったことでほぼほぼ確定と言われてましたが。でもこれ、今回はすごく大事だったんです。ifの平行世界とか世界線ではないってことが。 

何が大切かというと今回のテーマの一つが「自分のやったことの贖罪(落とし前?)」でさらにその贖罪について「自分のやったことに向き合わなければならない」「自分で意思を持って選択をしなければならない(選択を他人に委ねない、もしくは逃げない)」ってのが出てきます。 つまりこれまでのテレビシリーズ、旧劇場版でやらかしたことを含めてシンジくんは状況に流されながらやってきました。自分で選択をしなかったこと自体が罪という前提でいうとそれらの過去がすべて贖罪の対象となります。そして前作Qでわかった綾波を救いたいという思いから起こした「ニアサードインパクト」により世界のほとんどを赤い汚染させ人類を死に至らしめて(碇ゲンドウ側からすると浄化)いるという現実とも向き合わなければならなくなります。

Qの段階ではそれと向き合えず逃げてカヲル君と出会い、そしてその死を目の前で見てましたね。繰り返される世界で罪(というには最初から過酷だったけど。。)と向き合わず逃げる限り、それが罪となり雪だるま式に罪はでっかくなっていくってことなのかな。

でもさ、いつもみたいに泣いて塞ぎ込むシンジ君が会いに来てくれる綾波に叫んだセリフにすごい成長を感じたんだよね。「なんで僕に優しくしてくれるんだよ!!」って。ただ放っておいてくれ、世界で一番つらいのは自分だといわんばかりの塞ぎ込み方だったシンジ君は「ニアサードインパクト」を起こしてしまったことにより大量の人を殺した(と思い込んでいる)ことや、そのことによる様々な人からの憎悪や嫌悪、恐怖の目線を向けられたこと、アスカの起こったこと、カヲル君の死、それらで流石に加害者としての意識を持ったのかな。でもこの瞬間、確かにベクトルはただ内に向いてたところから外に向き始めていたと思う。同じ塞ぎ込むでもね。

それでもどう向き合ってよいか戸惑っている中で今回出会った(再会した)人たちと好意を向けてくれる綾波に、なんだかんだ助けてくれるアスカに、罪に向き合うと決めて完全に前を向いていく。そして向き合えなかった父とも対峙することも決めていく。

ここがね、最初の方に書いた25年前エヴァンゲリオンにはまった理由に書いた「いろいろな原因を自分の中に認めることができる勇気のなさみたいなものがエヴァンゲリオンの中に見えた時にすごくシンパシーを感じたというか、没入しちゃったんだよね。」の回答というか、シンジ君の成長なんよね。25年かけるなや!とも思うけどw でもだからこそちゃんとケリがついたなぁと思ったんですよね。テレビシリーズや旧劇も最後シンジ君が納得したじゃないかって部分もあるんだけど、ほぼほぼ舞台整えてもらってそれを受け入れた、拒否したって話で。最後AorBでどっちか選択しただけで、新世紀を自分で創生したわけじゃなかった。今回もどこまで自分でできたかっていうとわからないけど、少なくとも自分の意志でどうしたい、あの人の意志を受け継ぎたい、あなたはどうしたかった?そういったやりとりを自発的にしている。それが成長だし今回の贖罪の条件として示されたものをクリアしていったんじゃないかと思う。その瞬間に「ワンコくん」じゃなくなったし、たぶんチルドレンじゃなくなったんやろね。

他のキャラもいろんな救済がされてるけどこれ以上ストーリーに触れるのはね。ただミサトさんがやっぱりミサトさんでちゃんとサングラス取って笑って、赤いNERVのジャケット着てた時の叫びが聞けた!そして「子供たち」って言ってくれたそれでいいです。満足です。これだけは言わなきゃね。


謎はたくさん謎のままなんだけど、伏線としての回収もたくさんあった。内容は言わないけど。そこでぞくっとしたことも多数。 でも監督はここまでわかりやすくすることに作家性とかの面で葛藤とかもあっただろうなぁ、ってちょっとだけ思った。俺みたいなもんでわかるような大団円を用意してくれたことに感謝しかないんだけどね。でも25年追っかけてきたり新たに入ってくれたいっぱいのファンのために最後プレゼントって感覚もあったんだろうな~って思ったよ。ファンサービス(エロだけじゃなくw)満載だったからねw

あと、エンディング、宇多田ヒカル。今回の新曲ももちろんいいんだけど、「Beautiful World」の今回のバージョンがすげーす。序盤特に音が少ないタイミング、ベースが響いてて劇場の音で聴いてもらいたいですな。

また何回か見に行って、数か月たったらがっつり内容も含めて思ったこと書きたいな。長々失礼しました。



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