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下手くそでも書き続けたい

やっぱり、私は「書く」という仕事に向いていないのかもしれない。

大学を卒業してからはずっと営業畑で過ごしてきて、事務仕事は大嫌いだった。

営業とはいえ、契約書の整理やお客さんの情報管理など、ある程度の事務仕事をしなければいけなかった。そんな簡単な作業でさえも苦手で。

お客さんの名前を間違えて契約書を作ってしまったり、整備すべき項目を空白のまま事務員さんに提出してしまったり。笑えないミスを連発し、周りの人に尻拭いしてもらっていた毎日だった。

ライターという仕事は、ミスを許されない。一文字でも間違えたら、意味すら変わってしまうから。

だから、自分が生み出した作品に矛盾はないか、ミスはないか、筋は通っているか、を最大限確認する。それにはものすごい時間と労力がかかる。時間をかけて確認したって、間違っていることもある。

ライターは、細かいことが苦手な人がやっていい仕事ではない。些細な違和感に気がつかない人には、向いていない。

一つ一つの言葉を心で咀嚼して、納得できた言葉をそっと添える。何度も読み直して、ああでもない、こうでもない、と思考を巡らせる。指先から産み出される子どもを愛でるように。ライターは、ただ文章を書く仕事ではない。0から1を創る、クリエイターなのだ。

それができる人じゃないと、本当の意味で「ライター」になれる人は少ないと思う。


私は書くことが得意でも、好きでも、向いてもいない。

だけど、やっぱり私は書きたい。

書くということは、その物事に、真正面から、あるいは上や下、斜め方向から、向き合うということなのだ。

例えば、インタビューを一つの記事にする。それは、その人の想いに向き合い、少しでも立体的なものにするということ。たくさんの方向から、その人を感じる。誰かの想いが、ずっと体の中で反響する。それが心地いい。

SEO記事も同じ。ずっとずっと読者のことを考えている。ここに詳しい説明があった方がいいんじゃないか。ここにリンクを貼っていたら親切かも。と。顔も知らないユーザーを考える。

このあいだ、私が書いた記事を読んで「泣きました」と連絡をくれた人がいた。

ぎこちない文章を読んで、心が動いた人がいた。それが事実だった。少しでも、誰かの力になれたのなら。私は、心から嬉しかった。

だから、私は書く。
文字を、心を、人の想いを、書き続ける。

それが自分にとっての最大限の自己満足であり、自己表現だから。

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