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「誕生日おめでとう」の威力

誕生日から2ヶ月も経ってしまったけど、あのときの気持ちを忘れないよう綴っておきます。


実は、私は自分の誕生日にコンプレックスを抱いていました。
理由は、誕生日がちょうどお盆と重なっていて、誕生日に学校や会社に行ったことが一度もないから。

平日に誕生日を迎える友達は、たくさんの人から「おめでとう」をもらえたり、サプライズしてもらえたり。
私も、誕生日当日にたくさんの人からお祝いしてもらいたいな~という欲求がものすごくありました。でも、これまで誕生日当日に、学校や会社に行くことは一度もないまま今に至ります。

そして何より、誕生日が毎年お休みということで一番困るのは、誕生日に予定を入れなければならないこと。予定が入らないと、ひとりぼっちで誕生日を迎えることになっちゃうから

誕生日に予定が入るかを1ヶ月前くらいから気にしていて、「今年は誰か誘ってくれるかな」「誕生日に自分から誘うなんてダサすぎるよな」とか、ぐるぐるぐるぐる考えて、むしろ全然楽しみだと思えませんでした。学生時代は特に、“不安”な感情の方が大きかったです。

ただ、何回も誕生日を重ねていくうちに、「別に誕生日ってそんなもんだよなあ~」と、自分の中から期待が消えていく感覚がありました。
誕生日なんて関係なく働く人たちもたくさんいるし、自分は誕生日を特別視しすぎていただけ。そう思いました。

そんなこんなで、いつの間にかフリーランスになって。休日と平日の境目がなくなり、普通の日と特別な日の区別も段々となくなっていき。

そして、いつの間にか「仕事の日」と「誕生日」の違いも考えなくなりました。ある意味、執着がなくなったのかもしれません。

そんな状況で迎えた今年の誕生日。

学生時代は「0時ピッタリに友達から連絡が来るんじゃないか」と携帯電話を握りしめていたけど、そんなことも忘れてベッドに寝そべって。今日が何の日かも考えていなかったとき。


お誕生日おめでとう


の文字がスマホに表示された。

このとき、私は、涙が出るくらい嬉しかった。
あたたかい気持ちが胸いっぱいに広がって、自分でも驚いた。

連絡をくれると思っていなかった人からも連絡をもらえたり、最近知り合ったばかりの人からも連絡をもらえたり。朝になると、家族や友達からもお祝いのメッセージをもらえて。

「誕生日おめでとう」の一言で、「生きてるだけでいいんだ」って気持ちになれたのにもビックリして。メッセージをくれた人たちは、そんなに深く考えていなかったと思うけど。存在しているだけでお祝いされるなんて、なんて良い日なんだろうと感傷に浸ってしまいました。

そして、夜は主人に高級寿司店に連れて行ってもらい、大好きな日本酒とお魚を飲み食いしまくり、たった数時間でお札が数枚消えてしまいました。
でも、この数時間のために、もっと言えばこの世に生を受けた私のために、こんなお金の使い方をしてくれる人がいるんだあ、と思ってまた涙が出そうになりました。

毎年普通に誕生日を過ごしていたはずなのに、今年はビックリするくらい感動してしまって。なんだか疲れてたんだろうなあ(笑)
フリーランスになって、自分の価値を自分で作っていかなきゃいけない日々だったからかなあ。そういう仕事の仕方、嫌いじゃないけど(むしろ大好きです)。

「生きてるだけでお祝いしてもらえる」
それがとっても嬉しいなと感じた日でした。

目まぐるしい毎日を生きていると、価値とか生産性とかばっかり考えてしまう。でも、たまには何も生み出さない時間を大切にしていきたいな、と思いました。

ずっと言語化したかった感情を書けてスッキリ。でもまだまだ下書きが40個くらい残ってる。少しずつアウトプットしていこ!

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