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悪いのは、誰だ

以前、性被害に遭ったことがある、と書いたことがありました。

今の世の中は性被害のニュースが多過ぎます。
ぜひとも正しく報道してほしいものですが、どうやらSNS等ではセカンドレイプの嵐だと聞いています。
ただでさえ被害者は苦しんでいるのに、なぜさらに追い込むようなことをするのでしょう。
なぜ加害者が悪いと認めてくれないのでしょう。
不思議でなりません。
自分がやられてみたら初めてわかるのでしょうが、とても大変な被害なのですよ。
一生が台無しになるのです。

私は20代の前半に被害を受け始めました。
大学を出たばかりでした。
どうしてそんなことになったのか、正確に述懐するのは困難です。
恐らく「グルーミング」の手法だったと思うのですが、当時の私は既に20代。
グルーミングと考えて良いのかはわかりません。
とにかくグルーミングの内容を読むと、私のケースにぴったり当てはまります。

被害から解放されたのはまず30代に入ってから。
被害実態を自覚していなかったので加害者との友好関係が続き、40代に入ってようやく凍り付いていた記憶が蘇りました。
それからはずっとPTSDの治療を続けていて、50代半ばに差し掛かろうという現在もまだ病んでいます(かなり回復はしています)。
医療関係者とは良好なコミュニケーションを取れていて、とてもありがたく感じます。
彼らがいなければ、私は死んでいました。

それでも冬の時期や何らかの記念日とか、周囲がトラウマ的な話題に溢れていると、せっかく回復していたものが途端に崩れてしまいます。
例えば加害者と同じ年齢の人の話題になると、嫌な気分になります。
そして今のように性被害のニュースが多すぎる時も。
そんな時、私は「どうやったら罪に問えるのか」「どうやったら謝罪させることができるのか」「どうやったら……」と悪い思考のループに入り込んで具合を悪くしてしまいます。
良いことは何もありません。

理解者はたくさんいます。
黙って応援してくれる人も。
祈っていてくれる人も。
それでも、時々、思います。
一緒に戦ってくれる人がほしい、と。
「あいつに謝らせよう」と戦ってくれる人がほしい、と。

時々、思います。
もう、疲れました。
もう、生きているのは嫌だ。
早く神様が私の命を取り上げてくれないものかと。

そうやって、常に負けていくのは被害者。
のさばっていくのは加害者。
罪悪感を持つのは被害者。
ふんぞり返っているのは加害者。

本当の、真実の正義は、どこにあるのだろうか。