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堅信式に向けて準備中

来月の終わりに「堅信式」を控えています。
今はその準備会に毎週出席しています。

プロテスタント教会、少なくとも私の通っていた教会では「堅信」という聖礼典が存在しなかったので、今ひとつわかりにくい。
(聖礼典とはカトリックで言うところの『秘跡』で、洗礼と聖餐式の2つがそれに当たりました)
(カトリックの秘跡は合計7つあります。洗礼、堅信、聖体、ゆるしの秘跡、病者の塗油、結婚、叙階)
『カトリック教会のカテキズム』を読んでも、堅信はいまいちわかりにくい。
実は私は勝手に「幼児洗礼を受けている人が大人になって信仰告白をして、聖餐式に参加できるようになる儀式と同じようなものかな?」と思い込んでいました。

結果的にはかなり違います。
幼児洗礼を受けている人たちは、小学生くらいになったら『初聖体』をいただき、そこから自由に聖体拝領ができます。
改宗者である私たちも改宗式が完了した直後からご聖体をいただいています。
だからプロテスタントで言う「幼児洗礼→信仰告白」の図式に当てはめて理解するのは間違いのようです。

堅信準備会での神父様のお話しによると、堅信とは聖霊を注いでいただく重要な儀式で、洗礼によって清められた人が、堅信によってさらに強められるといった考え方で理解すれば良いらしいのです。
洗礼は清め、堅信は強め、とおっしゃっていました。
また過去の堅信式ミサで大司教様がなさったお説教によると、「堅信式を経た信徒は聖霊の力をいただいて一人前の大人のキリスト者となるのだ」といった理解でした。
大人になったからにはしっかりして、宣教の第一線にいるのだという自覚を持つことが肝要なのですね。

この堅信式、教会によってタイミングが違い、洗礼式の直後にそのまま堅信式をしてしまうバージョンと、洗礼から間を置いて改めて堅信式だけを独立して行うバージョンがあるようです。
私が通う教会は後者なので、一年前に受洗・改宗した人々が今がんばって準備会で学んでいるということになります。
私たちの教会では「洗礼式と堅信式が同時にあると堅信の意味がわからなくなってしまう場合があるので、司牧的な考え方でわざと一年後にしている」とのことでした。
とても大きな教会なので人数的にもそのようにした方が良いのかもしれません(今年の堅信式には90人くらいの人が出席するとか)。

正直なことを言ってしまうと、メンタルの障害と重い病気を抱えている私にとっては、毎週休まず教会へ行くことは非常に困難なことです。
しかしこの堅信準備会にはなんとしても出席しなければ、堅信式ミサに参加できないのです。
コロナがひどい年はオンライン配信もあったようですが、今年はないです。
物凄くがんばって身体を整えて、日々の細々したスケジュールを万全にして、全てのエネルギーを教会のためだけに使っています。
教会へ行けたからと言って、ミサに出席することは難しく(長時間になるので)、ミサを失礼して堅信準備会だけに通っています。
残念な通い方ですが、身体のためには致し方ないことなのです。
改宗のためにも8ヶ月間を入門講座に通って集中しました(一部の期間zoom配信のみになったのは身体のためには幸いでした)。

普段はなかなか教会まで行かれず、そもそもほとんど外出できず寝込んでいますが、儀式のためにはがんばる必要がありますので、当日までがんばろうと思います。
もしもこの記事を通りすがりに読んでくださったあなた。
私のために、そして病気や障害で教会に通えない人のために、ぜひ祈ってください。

聖霊を注いでいただき、強められて派遣されたいと心から願っています。
堅信式に向けて、十分な備えができますように。