殴り書き 20231209

最近、得体の知れない不安感に駆られることがどうにも多い。
以前はこんなことを思ったことはほとんどなかったのだが、9月以降加速度的にこの感情になる機会が増えているような気がしている。その原因は、「やらなければならない」ことがなくなってしまったこと、これに尽きると思う。これまでは、中学高校と朝から学校に通い、大学受験のための勉強をし、大学では部活に通い、となんだかんだで目の前のことで精一杯だった。就活を終え、部活を引退し、夏休みの遠征も終え、突如として真の意味で暇になってしまった9月。もちろん、長い目で見れば当然やることはあるのだが(就職後のための課題や読書、英語とかね)、短期的にやるべきことというのは何もない。大学生というのは基本的にそういう身分で、普通ならば1年生からこの自由に直面し、卒業するまで時間をかけてこの暇な時間を自分でどう使って行くかを理解して社会に出て行くものなのだろう。しかしながら俺は、変に部活(体育会)に属してしまっていたせいで(全く後悔してるとかはないのであるが)目の前の部活をこなすことに日々一生懸命になれてしまっていたので、「やることがない」状況とは無縁だったのだ。それが急に「やることがない」状況に放り出されてしまったがために、暇な時間を持て余し、持て余していることに対して自己嫌悪に陥り、それでも必要に迫られていないので何かをやる気も起きない、という悪循環に嵌っている。大学前半の時に周りの人間が「進捗生まなきゃ」と言っているのを聞いても「なんでそんなに進捗に追われているんだ?」と理解できなかったが、今ならものすごく理解できる。
このメンタル的にどうも良くない状況は、多分割とよくあることなんだと思う。それほど深く考えて落ち込む必要は多分ない。とは言ってもメンタルヘルスは趣味を楽しむのにも必須であるから、なんとかして解決したいと考えていた。
解決策の一つとして考えたのが、単純に「何かすることを作る」こと。それも、短期的かつ定量的な成果目標を課した上でだ。何も考えずにとりあえずやらなければいけないことを作ってしまえば、おそらくそこに集中できるはずだ。しかしながら、一度身についた怠惰な習慣は簡単にはなくなってくれない。そこで、「幸福の受容水準」を下げることにしたのである。行動が変えられないなら(もちろん変える努力をしたほうがいいのだが)、考え方を変えるしかない。暇な時間を持て余してしまっても、「こんなに自由に時間を使えるのも今だけだし良いか」と考えたり、まあ要は現実逃避なのだが、幸せに生きる方法としては別に悪くないのでは、と思ったりもする。


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