教室でうつむく吃音の私へ。
物心ついた頃から吃音症だった
小学校低学年までは最初の一言目がなかなか声にならない、いわゆる連発吃音症といわれるもので、人前で話すことが苦手だった。
今だからこんな風に吃音について説明できるけれど当時のわたしは「吃音」なんて言葉すら知らなくて、自分のことをずっと「そういう病気」だと思っていた
国語の音読ではどんなに短い一行もなかなか声にならなかったし、算数の授業ではたった数字1つ答えるだけでずいぶん時間がかかっていつもみんなを待たせた
みんながわたしを笑った
みんながわたしの言葉を待つその時間は地獄のように長く感じられて、声が出るまでの十数秒が、永遠に続くように思えた
どもるわたしをクスクス笑うその光景は15年以上経った今でも鮮明に脳裏に焼き付いていて、ふと思い出してはあの頃の自分が可哀想でやるせなくて、よくがんばったと褒めてやりたい気持ちになる
でも本当は違った
わたしはいつも声を出すことに必死で、本当はあの教室にいたみんなの顔なんてちっとも見ていなかった
古い木の匂いのする机に広げた教科書、その中にある文字を、穴が空くほどジッと眺めて自分の声と戦っていた。あの教室に、わたしを笑っていた人なんて本当にいただろうか
今までずっとわたしを苦しめてきた過去の光景はただのわたしの空想で、本当はだれも私を笑ってなんかいなかった
その証拠にわたしは学校でいじめられることもなかったし、分かり合える友達もたくさんいた
それなのにあの頃、心の扉が塞がっていたのは、どもることを人から笑われたせいなんかじゃない。どもる自分を責め続けたわたしのせいだ。わたしを苦しめていたのは、他の誰でもなくわたしだったんだ。
今も心を痛める記憶の中の幼いわたしに教えてやろう。だれかに傷つけられることに怯え、自分で自分を笑ったり責めたりしなくてもいい。顔を上げればわかる。教室のだれも、あなたのことを笑ってなんかいない。