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生き物から命をつないで

「女の子が生まれたら、ハンコは名前でつくると良い」と、ある方が書いていたので、そこへのコメントをしていて、思ったことを書きます。

数年前まで、たまに手伝いに行っていた馴染みの農家さん宅では、鶏と牛と豚と犬と猫とウサギを飼っていました。
さて、そのお宅で、直接食料となったのはどれでしょう。
・・・正解は、ゼロです!
驚きましたか?でもこれ、国によっては、ほぼ食料というところもあるそうです。国が違うし、食文化の違いでしょ!と思う方、私の父に言わせてみれば、犬と猫以外は食料だった、という答えが返ってきそうです。
父は貧しい家に次男として生まれ、兄妹も多く、小さい頃は妹たち4人の面倒をみたりして、だいぶ苦労したきたようです。長男は優遇される時代、食べる物も、食べる部屋も違っていたと。
そんな中、野山で山菜取りや川で魚を釣ったり…もちろん鶏も飼っていて、それは産んだ卵を食べるためでもあり、肉を食べるためでもあり。
「親父が血抜きして、俺が毛をむしる係だった」と、そこまでは普通。それから「学校から帰ると、飼っていたウサギが一羽いなくなっていて、その晩は豪勢な肉鍋だった。粟ぶく(=アク)ひどくてな」とも。
ですので、父にとってはウサギも食料だったようです。
ウサギのモチーフのキャラクター(マイ・〇ロディとか、〇ッフィーとか…)が小さい頃大好きだった私は、追い打ちをかけるように「ウサギ美味しい~かのやま~♪」と歌う父に、「うさちゃん食べないで~!」と、泣きながら抗議をしたこともありました。

さて、本題に入ります。
名前(本名)のハンコ、私は実印にしています。
父が、私が生まれた時「お嫁に行っても使えるように」と、当時は自由に作ることができた象牙で特注してくれたと聞きます。
結婚して8年、なかなか子どもに恵まれず、一昨年ようやく子宝に恵まれましたが、長らく入院していた父とは交流できないまま、父は1月に亡くなってしまいました。
父が自分にくれた実印、そこに託した想い…今頃感じて、泣けてきます。
自分も、我が娘には「名前の」実印を作ってあげようと思います(1歳過ぎちゃいましたが)。
できることなら象牙で、って思っていたのですが、今は象牙はなかなか貴重で、乱獲が制限されているので、在庫限りでもう手にすることは禁止されているようですから、難しいですね。
まぁ、思いがこもっていれば、材質は何でもいいんですが。
象牙は、手に馴染んで柔らかいんです。
それもその筈、象のキバで作られているからですね。
で、思うのは、毛皮なんかでも動物の一部が使われているということで毛嫌いする方、いらっしゃいますけれど、自分は程度の問題だと思っていて。
人は昔から動物由来のものをうまく取り入れて生きて来たと思うのです。
肉を食べることもそうですし、乳製品を採ることも必要なこととして。
百獣の王といわれる虎やライオンより、獰猛で自分勝手で、我が儘なのかもしれない。けれど、そういう意味では人間も生き物です。
他生の命をいただきながら、命をつないでいる生き物です。
だから、必要以上の乱獲はいかがなものかと思うけれども、命の重みを十分に感じながら、生活に取り入れていくことは、悪ではないんじゃないか?と思っています。

冒頭でご紹介した農家さん、鶏と牛と豚と犬と猫とウサギを飼っていましたが、食料としてその方の口に直接入ったものはゼロ。
牛は、競りに出していたことを知っていたので、豚もてっきり食料なのかと思って、「いつ食べるんですか?」と当たり前のように聞いたら・・・「バガ言え!ペットだ!!」と、強くたしなめられました。
思い込みは厳禁ですね…!
犬は、放し飼いでしたが、田舎なので何の問題もなく、朝、田植えなどの農作業に行く時、軽トラの後ろをついて来てくれ、夕方には家に入る忠義な犬で、メンコかったですね。放し飼いなので運動量も半端なく、ストレスフリーだったのか、笑顔の多い犬でした。命を大切にっていうのは、こういう、生きている者の本質を大切にすることでもあるかな?と思ったり。

人間は、「考える葦」。見えない境界線は、ガイドライン。後は、自分自身で、胸に手を当てて考えていくことかもしれません。

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