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単独行での初涸沢(残雪期) 前編

タイトルにもある通り、先日7年ぶりに登山を敢行。その記録として、三部作からなる稚拙な紀行文をここに残したい。不本意ではあるが、批評は認めよう。

まず冒頭に、なぜ唐突に登山なのか。
7年前に仕事で富士山を登頂して以来、登山とは無縁の生活を送っていたのだけども、植村直己星野道夫などの書物を読み漁っていたこともあり、それなりに登山には興味があった。
しかし、その関心を行動に移すため何度か思い立ちながらも、建前上の忙しさを理由に二の足を踏む日々。数年を費やし、ようやくその重い腰を上げるきっかけとなったのには、特段大きな理由があったわけではなかった。単に5月の大型連休を迎えるにあたり、漠然と充実した日々を求めていたに過ぎない。そう、退屈からの脱却だ。要は刺激に飢えていたのである。

思い立ったが吉日。というわけで、まず標的としたのは、かねてより切望していた涸沢。ちなみに涸沢とは、長野県は安曇にある日本有数の氷河圏谷を指しており、別名で涸沢カールとも呼ばれ、厳密に言うと山ではなく谷だ。ただし、その谷でさえ標高は2000mに到達し、周囲には標高3000mを超える名峰4座に囲まれ、北アルプスの一部として存在している。秋には日本一とも称される絶景の紅葉が見られ、同地を象徴するモルゲンロートに魅せられる人も多く、国内外の登山家たちが憧れとする聖地のひとつでもある。まぁ、その辺の詳細は優秀なWikipediaに譲りつつ、シーズン幕開けから間もない残雪期の涸沢を目指すことにした。

仕事でもそうだが何事も下調べが肝心。というわけでまず頼りとした情報源はYouTube。我ながら実に浅い。なにせ思い立ったのがGW直前の5月2日で、出発予定日は5月3日の夜。圧倒的に時間がなかったわけで…。
ただネームバリューに限らず、その道の先人達はみな偉大だった。もはや未踏な世界はないのでは、と思わずにいられないほど世の中は彼らによる貴重な知見で溢れている。そうした膨大な情報を取捨選択しながら、限られた時間のなかで受験生よろしく一夜漬けで残雪期の涸沢について調べ上げた。
続いて取り掛かったのは、必携ギアの準備。とはいえ以前に下北沢の名店である「BOZEMAN」である程度の装備は調達していたので問題ないだろうと楽観視していたら、アイゼンを持っていないことが発覚。危うく銃を持たずに戦場へ向かうとこだった。そして無事に信頼できるアルピニスト御用達のお店で補充し、これで盤石な備えが完了。今回持参した常備ギアは以下の通りだ。




事前準備が整ったら、あとは童心に帰ったように胸を高鳴らせるだけ。
と言いたいところが、今回は経緯が故に誰も捕まらず一抹の不安を連れ立っての単独行。そもそも登山では単独行は基本的に推奨されておらず、ビギナーなら複数人でパーティを組むのがセオリー。ましてや雪山であるなら尚更だ。さらに出発直前に我が目に飛び込んできた北アルプスでの滑落事故の一報。現場は涸沢からさらに上を目指した奥穂高岳からの下山中だったようだけども、不穏な予感が漂うのは否めない。決心したはずの強固な覚悟に揺れが生じる...。かといって前言撤回はしたくない。してしまえば、またスタート地点に逆戻りだ。しばらく悩んだ挙句、振り返り気味だった身体を強制的に涸沢方面へと向ける。もう途中下車は許されない。

5月3日の未明、片道3時間半をかけて上高地へのアクセス拠点となる「さわんど駐車場」にあるバスターミナルに到着。AM3:00の時点で既に駐車場の半分以上が埋まっている。当然だけども登山家たちの朝は早い。競技開始をいまかいまかと待ち望むアスリートのように、意気揚々とバスを待つアルピニストたち。始発の便を待機する間、真っ暗闇の山の麓で時折笑い声を響かせながら準備運動を行う彼らの姿は異様。山に興味のない者からすれば、狂気すら感じるだろう眼前の光景はここでの日常だ。圧倒されつつも気後れしないよう心の中で己を奮い立たせる。『狂人こそ勝者』と念仏のように唱え、乗車する。目的地に近づくにつれ悪寒か武者震いか原因不明のバイブレーションを全身で感じながら、いよいよ出発の地、上高地に降り立った。

軽井沢と並ぶ避暑地としても知られる上高地のバスターミナルに着いたのが5:30。連休の日中であれば観光客で溢れかえる場も早朝は静けさが辺りを包み込む。次第に夜明けを告げる朝空が明るく滲み、これから始まる短くも濃い非日常な旅を演出してくれているようだった。かくして憧れであった涸沢との二日間がいよいよ幕を開けた。

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