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【短編小説】りんご箱に梨 #シロクマ文芸部

りんご箱が転がっている。誰のものかわからないけれど、きれいな箱だ。そこに入っているのはなぜか梨。それを手にとって見つめて、箱に戻す。

晴れていても陽の当たらない、校舎の裏。ここには花壇がある。こんなところに植えても花なんか咲かないだろ、俺はそう思う。視線の先にはバスケットゴール。雨の中には、誰もいない。君以外は。傘も差さずに濡れていた。それを見つけた俺は、君に歩み寄り、傘に入れてあげたんだ。君は、そっと泣いていた。

「どうかしたの、風邪ひくよ」
「ううん、なんでもない」
「そうは見えないけど」
「ううん、平気だから、ありがとう」

小さくそう言ったあと、君はあいつを見つけた。そして、俺なんか世界にいないように、あいつのもとに駆け出したんだ。

君は、あいつの傘に入り、その胸で泣いていた。あいつは、きっと優しい言葉をかけている。ありがとうなんて、思ってもいないのに言うな。俺の中の嫉妬のかたまりが、悪魔のように翼を生やそうとしている。わかっているよ、あいつが「いいやつ」だってことは。 わかっているから、絶望した。

「どうしたの、風邪ひくよ」
「いいの、こうさせて」
「僕の胸でよかったら」
「うん、あったかい」

少し離れたその先で、そんな会話が広がっている気がする。それがほんとじゃなくたって、世界はふたりのものだとわかる。俺は傘を捨てる。同じ言葉も、あいつが言えば君の世界は変わる。言葉に力があるんじゃない。はじめから伝わる人にしか伝わらないようになっている。俺は君とあいつを世界にするための風景なんだろ、きっと。俺は君の世界を、何ひとつ変えることはできない。

どうして生まれながらにつがいが決まっていないんだ。その人以外、惹かれることがなければ、誰も間違ったりしないのに。不倫も浮気も片思いもない、幸福な世界になるというのに。「風景」の俺は、ふたりの世界を通りすぎる。俺の心はすべてをくすませている。

そんな俺に何か球体のようなものが迫ってきた。それは俺の胸に当たり、落ちた。ニュー トンなら、こんなとき万有引力を発見して万歳でもするだろうか。あれはりんごだったか。頭の上に乗せて弓矢で射るやつもりんごだったか。魔女が白雪姫に食べさせたのも。りんごはなにかと主役に抜擢される。そんなことを考え、拾い上げたそれは、りんごではなかった。

「梨、好きか」

目の前にいたおじさんにそう言われる。そういえば、見かけたことがあるぞ、と思っていると、その人が用務員のおじさんだと思い出した。俺の胸に当たったのは、そのおじさんが投げた梨だった。

「まぁ、好きですけど」
「そうか。じゃあ、もう一個」
「なんでりんご箱の中に?」
「理由なんてない、箱があって、梨があった、それだけ」

用務員さんはまた俺に梨を投げた。俺は今度はそれを、キャッチした。

「なるようになるさ」

なるようになるなんて、どうにもできないってことなんじゃないの。嫌いだ、そんな言葉。嫌いなはずなのに、嫌いなはずなのに。

「食べないなら入れておけ、りんご箱に」

俺は、風景なんかじゃない。雨でわからなくなった涙といっしょに俺はただ、梨を食べた。



秋はどうもせつない系になってしまいますが、それもまた自然なことかも。なるようになります。

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