見出し画像

【特別公開】コラム「アングリストらによる自然実験アプローチの発展」(西山・新谷・川口・奥井『計量経済学』有斐閣、2019年より)

先日、今年のノーベル経済学賞をデービッド・カード、ジョシュア・アングリスト、グイド・インベンスの3名に授与することが発表されました(NHK「ノーベル経済学賞に米大学の研究者3人」)。

カード教授は、「自然実験」を用い、最低賃金の上昇が必ずしも雇用の減少を生まないことを示したこと、アングリスト教授とインベンス教授は、「自然実験」から因果関係に関する正確な結論をどのように導き出せるのかを示したことが、今回の授賞理由として挙げられていました。

そこで、今回の受賞者らがどのように自然実験アプローチを発展させてきたのかについての解説(「COLUMN9-1 アングリストらによる自然実験アプローチの発展」)が西山・新谷・川口・奥井『計量経済学』(有斐閣、2019年)に掲載されていますので、今回執筆者の川口先生の許可を得て、以下に公開いたします!
(今回の公開にあたって、後半の「自然実験」との付き合い方についての部分を川口先生に加筆・修正いただいたほか、段落を増やすなどウェブ記事用に体裁も微調整しました。)

この記事の末尾には、有斐閣の出版物の関連書も紹介しておりますので、そちらもぜひご覧ください!

「アングリストらによる自然実験アプローチの発展」

(執筆:川口大司)

第8章でも触れたアングリストは、アメリカとイスラエルの二重国籍を持つ労働経済学者で、現在はマサチューセッツ工科大学教授である。プリンストン大学大学院で労働経済学者のオーリー・アッシェンフェルター(O. C. Ashenfelter)の指導のもと、博士論文を執筆した。博士論文ではベトナム戦争への従軍が退役後の労働所得にどのような影響を与えたのかを調べた(Angrist 1989)。

ベトナム戦争への従軍経験者と非従軍経験者を単純に比較してしまうと、ベトナム戦争に従軍した人とそうでなかった人の労働所得がそもそも異なっていた可能性が高いという内生性の問題が発生する。一般的な傾向として労働市場で得られる所得がそれほど高くない人々が従軍する傾向があるためである。この問題に対処するため、アングリストはベトナム戦争への従軍者の一部が誕生日に基づくくじ引きで決定されていたことに着目し、ベトナム戦争への従軍が所得に与える因果的な影響を推定した。その際に、くじで選ばれた人の中でも従軍しなかった人がいる一方で、くじで選ばれなかったにもかかわらず自発的に従軍した人がいるという状況を操作変数法を用いて解決した。操作変数法自体は古くから存在する推定手法であるが、アングリストによる操作変数法の解釈は、操作変数法の特性を際立たせるものであったといえる。

なお、この論文の中でアングリストは、くじで選ばれて従軍した者と自ら志願して従軍した者では、従軍が所得に与えた因果効果が異なる可能性を指摘し、操作変数法が推定するものは、くじで選ばれて従軍した者の中での平均的な因果効果であることを指摘している。つまりアングリストは、操作変数法が推定するものは、くじの結果によらず従軍する常時参加者、くじの結果によらず従軍しない常時不参加者、くじに当たれば従軍するが当たらなければ従軍しない遵守者のうち、遵守者の中での平均処置効果であることを指摘したのである。

この指摘は、後に数理的な計量経済学者であるグイド・インベンス(G. Imbens)や統計学者のドナルド・ルービンとの共同研究でより洗練された形で一般化され、局所平均処置効果という新しい考え方につながっていった。また、推定にあたっては、くじの当たり外れを決める誕生日と所得が入っている社会保険料の払い込みの記録(社会保険料の払い込み額は所得に依存するため、所得額も記録されている)と、誕生日と従軍の有無が入っているサーベイデータ(Survey of Income and Program Participation; SIPP)という2つのデータを使っている。操作変数と被説明変数が入っているデータと、操作変数と内生の説明変数が入っているデータの2つを組み合わせて推定を行ったのである。この考え方は、後に「2サンプル2段階最小2乗法」として発展を遂げていくことになる。

このアングリストの論文は、社会保険料の払い込み記録という、利用しているデータの特異性も含めて、革新的な論文であり、ここ半世紀ほどの間に書かれた経済学の論文の中で最も影響力を持った論文の1つであるといっても過言ではないだろう。

アッシェンフェルター、デイビット・カード(D. Card)、アラン・クルーガー(A. Krueger)、アングリストという1980年代後半に教員、大学院生としてプリンストン大学に在籍した労働経済学者は、アングリストの博士論文に代表されるような因果関係の識別を重視する研究の重要性を強調し、彼ら自身がそのような研究を多数進めるとともに、学界の研究の方向性を決定づけることに貢献した。実験が難しい状況下で、あたかも実験が行われたかのような状況を使って因果関係を推定する研究手法が、本文でも紹介した自然実験であるが、彼らは説明変数の変動が外生であるかどうかの重要性を強調したので、因果関係を信頼のおける形で推定する際には自然実験を上手に使う必要があるということを研究者に認識させることに成功した。

労働経済学に端を発するその研究手法は、まずは教育経済学、公共経済学、開発経済学、医療(健康)経済学といったミクロデータを多用し、取り扱うテーマも労働経済学に近い分野で広まっていった。その後は、マクロ経済学のミクロ的基礎、国際経済学、都市経済学などといったさまざまな分野に燎原の火のごとく広がり、現在では経済学のほぼすべての分野の実証経済学者が、何を外生変動として実証研究を行っているかを明確に意識するようになった。

自然実験の状況を上手に探すためには社会制度や歴史的出来事を深く知る必要があるため、彼らの研究は数理的な側面が強調される形で発展してきた経済学研究の進め方に一石を投じるという意義も持つことになった。

一方で、その後の経済学の実証研究は、外生性の重要性を強調しすぎるあまり、自然実験が存在しない研究テーマを「研究不能」と頭から決めつけ、経済学的には重要な研究を放置するような傾向を生み出したという批判もある。

研究論文を書いて査読誌に出版することが必要な大学院生や研究者にとっては、どのように因果関係を識別するのか、いわゆるリサーチデザインを明確に考えてから、データ分析や論文執筆を始めるのが望ましいといえる。自戒の念も込めて思うのだが、その点がクリアされていない論文は最終的に出版が難しいため、そのような論文を書くことは、これからキャリア形成をしていかなければいけない若手研究者にとっては致命的になる恐れがある。

その一方で、政策担当者が分析を行う場合や、研究者が政策分析を目的に分析を行う場合には、自然実験が存在しないけれども経済学的に重要な問題に対して、本書で紹介するさまざまな研究手法を総動員して取り組む泥臭い研究も引き続き重要であるといえるだろう。自分のこれから行おうとする分析が何を目的にするのかを明確に考えることが必要といえるかもしれない。

コラム内引用文献
Angrist, J. D. (1989) “Using the Draft Lottery to Measure the Effect of Military Service on Civilian Labor Market Outcomes,” Research in Labor Economics, 10: 265 310.

有斐閣の関連文献
※カード教授の最低賃金・移民研究や自然実験について解説があるもの。
1. 川口大司(2017)『労働経済学――理論と実証をつなぐ』 →第5章第4節「最低賃金と雇用」の中でカードの研究を解説。
2. 川口大司編(2017)『日本の労働市場――経済学者の視点』 →第7 章「移民・外国人労働者のインパクト」の中で、カードの移民研究を紹介。
3. 田中隆一(2015)『計量経済学の第一歩――実証分析のススメ』有斐閣ストゥディア →第3部「政策評価のための発展的方法」
4. 西山慶彦・新谷元嗣・川口大司・奥井亮(2019)『計量経済学』New Liberal Arts Selection →第Ⅱ部「ミクロ編:ミクロデータの分析手法」
5. 久米郁男(2013)『原因を推論する――政治分析方法論のすゝめ』 →因果推論の考え方や、第7章の中で自然実験の説明やアングリストの研究を紹介。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?