『教養としてのグローバル経済』著者インタビュー(後編)
グローバル経済のメカニズムやそれを支える経済制度、グローバル化によってもたらされる経済・社会問題などをやさしく、丁寧に、そして深く解説した一般書『教養としてのグローバル経済』。
著者の齊藤誠先生(名古屋大学教授)へのインタビューの続きをお届けいたします(前編は下のリンクからどうぞ)。
本文との緊張感
――では、続いて本書の形式面の工夫について伺ってもよろしいですか。今回はたくさんの図表やイラスト・写真が掲載されていますが、写真やイラストを多く入れようと思ったのは、どのような効果を期待されていたからですか。
齊藤:これは過去の類似の高校の教科書を見て、そうしました。高校の教科書ですから、写真やイラスト、図表とかがすごく多いんですよね。ただ、本文との緊張感が全然ないんですね。ほとんど必然性がなくて、図表の説明もその図の下に数行、付焼刃的な説明が入ってるっていう感じで、本文にもどこにも図表の説明とかがないんですよね。そういう意味で今回は、本文の内容をより正確にわかってもらうための写真であり、図表であり、イラストであるというような使い方をしたいなと思いました。
本文の説明に必然性があるようなイラストを、内容とか、あるいは、内容の行間、雰囲気などが伝わるようなものにしたいと思ったんです。
――写真やイラストを入れる際に気を付けられた点や工夫された点はありますか。
齊藤:写真は最終的には渡部さん(編集部)に選んでもらったんですけど、主に通信社の写真のバンクから取ってきてると思うんですけど、象徴的な場面を使ってもらうようにお願いしました。それは日本の風景もそうだし、世界の風景もそうなんですけど。そういう意味では通信社の持っている色んな写真は、素晴らしいものがたくさんありますよね。ただ、ちょっとお金掛かってしまったかもしれないけど。
――コストは若干かかりましたが、印象的な写真ばかりで、とても良い雰囲気になったと思います。
齊藤:そういう意味で報道写真を中心に、できるだけ本文の内容に沿った写真を準備していただいたなと思いました。
――ありがとうございます。
開いていて楽しい紙面
――イラストのほうはいかがですか。
齊藤:イラストは、イラストレーターの方もデザイナーの方も、あと有斐閣のインハウスで図表とかを担当された方も皆さん女性の方で、すごく明るいレイアウトにしていただいて、一度だけ皆で打ち合わせをしたときに、私の方からできるだけ本文に沿ったかたちのレイアウトやイラストをお願いしました。レイアウトもイラストも、あと装丁もそうですけど、それを見事にやっていただいたかなと思っています。
必然性もないけど空間が空いてるから入れておきますっていうイラストも結構多いと思うんですよね。だけどそうではない、あくまで本文と緊張感を持ったものでできたので良かったなと思います。
――イラストの原案は先生が作られたりしたんですか。
齊藤:僕は絵が下手なので、「こんな図で」とラフなスケッチを提案したところもありますし、イラストレーターの方が工夫してくれたところもありますし、色々だったと思います。そうですね、ここの部分はイラストにしてほしいなっていうのはこだわったかもしれないですね。
――たとえば、「単純な競争」と「多様な競争」を説明する箇所に入れた「水魚の交わり」などのイラストは、どういうねらいがあって入れたのですか。
齊藤:原稿を読んでもらった同僚から、「水魚の交わりなんて若い人知らないよ」って言われちゃって。そしたら、ちょっとイラストでもあった方がいいかなと思ったりしたんですけど。
イラスト ©山口みつ子
――そうだったんですね。「水魚の交わり」のイラストはほとんど修正することなく決まりましたが、いくつかのイラストは何回か修正を重ねたものもありましたよね。
齊藤:そうですね、ちょっとありましたよね。ただデザイナーやイラストレーターの方とZoomで打合せをしたけど、直接顔を見て話せて、色んなことを率直にお伝えすることができたことは良かったなと思います。
デザイナーの人たちがプロフェッショナルとして視覚的にいいものをっていう発想と、ディテールに拘ってしまう私の方とズレがあって。確かに現実に合わせて地図を書いてしまうと、矢印の場所が格好悪いというのは確かにありましたね。
――そうですね。そういった点は私自身も勉強になりました。
齊藤:私の我儘を聞いてもらってありがたく思っています。
――いえいえ。でも、打合せをしたおかげで良いアイデアも出ましたよね。国境を「塀」に見立てて、それを越えるというイラスト(「塀」の低い国境、「塀」の高い国境)、最初はただの塀にしようと思ってたんですけど、それを国旗にするっていうアイデアもそこで出てきて、良いイラストになったなと思っています。
齊藤:強いて言うと、「アメリカの方が壁が高いのかな」っていうのはちょっとありました。しかし、メキシコ国境の壁と考えればそうなのかなとか、それはそれで色んな解釈の余地があるからいいかなと思ったんですけど。
打合せ前(左)と後(右)のイラスト(©山口みつ子)
――今回イラストを作ることの面白さを改めて感じられたように思います。
齊藤:そうですね、ただ今の世代の人には視覚的印象が非常に重要になってくると思うので、そういう意味では活字メディアでもそういうものを使っていくのは重要かなと思います。
あとレイアウトをデザイナーの方がやってくれたので、紙の本の楽しさというか、電子書籍のようにどこかクローズアップされて見ていくものではなくて、見開きでなんとなく開いていて楽しいというような部分がイラストを含めて綺麗にできたかなと思っています。
私が古いのかもしれないですけど、紙の本で勉強して欲しいなって思います。今は小中高はタブレットに替わる段階にいっているけど、あれはやめほしいなと思います。開いて本の見開きのこの風景が綺麗に収まって、どのページを見ても綺麗に収まってるっていうのが良いなと思っているので。そういう意味では、今回綺麗にレイアウトしていただいて良かったなと思います。
――今回は基本的なレイアウトも、デザイナーの方にお願いしましたし、2色刷にしたので綺麗ですよね。
齊藤:読みやすくて、わかりやすくて、印象的で。だから、どんな教科書作りでも同じなんですけど、今回の教科書は特に著者と編集者と色んな専門の人たちが共同作業で作るものだという色彩が、すごく強かったんじゃないかと思います。
――本当に。私にはこのデザインはなかなか出来ないので、頼んで良かったなと思います。
齊藤:餅は餅屋ですね(笑)。
味わい深い用語解説
――今回は写真やイラストの他にも用語解説などもありますが、指導要領ではそういったものを入れなさいとは書いてはいないわけですよね。
齊藤:これは指導要領云々ではないんですけれど、教科書作りでちょっとズルいやり方なんです。若干厄介な言葉が入ってくると本文ではその言葉だけを書いて、わかったような、わからないような説明をして、さすがにそれじゃまずいなっていうんで、両側に用語解説するようなことが教科書のスタイルとしては定着しています。
一個一個の用語解説を自分としては結構工夫して作りました。たとえば、中国の「元」と日本の「円」の話があって、実はまったく同じ発音から来ているんだよっていうようなこととか、知ってて損はないなってことは書きました。
――用語解説もとても面白いですよね。普通の辞書の説明とはまた違って、味わい深さというか、楽しみがありますよね。
齊藤:そうですね。やっぱり言葉とかに注意を持ってほしいなっていう気持ちが結構あって、工夫はしてみました。
――「勝ち負け」とかがあえて用語解説に選ばれていたりとか、選ばれている言葉も先生らしいなって、その辺が面白く思いました。
齊藤:教科書風にミクロとマクロでやっちゃうと、経済学って冷たい学問だなとどうしても思われてしまうので、もう少し人間社会の機微みたいなものがあればなという思いはありました。大学の授業でも、そういった脱線話はたくさん話すんですけど、ただ経験的にはそういうことを楽しむ学生さんもそこそこいますが、ちゃんと内容に時間を割いて横道には逸れないでっていう学生さんもたくさんいますね。
――そうですか。私はそういう脱線話とかの方が好きでしたけどね。
齊藤:予備校とかなんかで能率的な授業に接しているから、今の若い人たちは禅問答みたいなことをやり始めると嫌がってしまうのかもしれません。
現場の方へのインタビュー
――教科書の第4章では、企業の方々にインタビューをされてから執筆されていますが、実際にインタビューをしようと思ったきっかけは何だったんですか。
齊藤:実は、これも指導要領に沿って考えたときに、企業のグローバル化に関して、実際例を求めているんですよね。私自身は、専門がマクロや金融ということもあるので、グローバル企業の実際例をあまり知らないので、困ったなと思って、何人かの方に相談をしました。
まず、相談をしているプロセスの中で、私自身の認識があまりに浅いっていうことがよくわかりました。もっと深いことがたくさんあるなと思いました。それだったら、少々恥をかいてもいいから、現場の人に聞きに行こうと思いました。
第4章第3節の最初のNo.4-3-1(企業と世界との関わり その1――地域から,市民から,そして,自然環境から)は新聞やネットのニュースをもとにしたものですが、No.4-3-2(その2――外国人から,女性から,そして,シニアから)とかNo.4-3-3(その3――先端と伝統)とかは実際に企業の方にお会いして、いろんなお話をうかがえて良かったなと思っています。そのときにグローバル化の実際例を、いくつかの視点で紹介しようと思いました。具体的には、外国人労働者という視点、女性やシニアが担い手となっているという視点です。
こういう話はよっぽど信頼関係がないと聞きに行けないので、高校時代の友人や義理の兄の会社とか、身内に無理を言ってインタビューをお願いしました。そうでもしないと、本音ベースで話してもらえないので。
No.4-3-3は、ここだけ見ると部品メーカーにここまでページ数を割くのかと思われちゃうかもしれません。でも実は、第4章のNo.4-1-3で日本の自動車メーカーの海外進出が扱われています。日本の自動車メーカーは最終製品メーカーとして見事な国際化をしてきた経緯を説明しています。トヨタや日産や本田が中心ですが、これからのメーカーを考えると、最終製品メーカーだけを見ていくのではなくて、自立したグローバルで活躍している部品メーカー――汎用部品、つまり、下請けの部品じゃなくて、「私どもの部品はいろいろなところで使えますよ。使い方はみなさんで考えてください」みたいなメーカーが重要になってきます。そういう分野は、最終消費者から見えない会社ですが、日本メーカーは活躍しています。いろいろな部品メーカーがありますが、今回は長い歴史のある老舗の部品メーカーが先端技術を担っているというコントラストが面白いと思って取り上げました。
本の中にもありますが、鍋屋バイテック という岐阜にある機械部品メーカーで、世界的にも展開してるところです。なぜか、いろんなご縁があって、会長まで務められた金田さんという方が、私の学部ゼミに参加していただいて、いろいろと取材先について相談にのっていただきました。
何社か紹介していただいて、本書にも取り上げているオリエンタルモーター とハーモニック・ドライブ・システムズ の経営者の方と技術担当の方にお話を伺いました。汎用部品がこんな優れた世界を持っているということを若い方にも伝えたいと思いました。ハーモニック・ドライブ®という減速機は、ダヴィンチといった遠隔手術の医療機器とか、本田のアシモとか、アメリカのNASAの火星探査のローバーとかに使われています。
実際に汎用部品というものが、世界的に製造業の中核になってきています。たとえば、アメリカのアップル社の製品も中国で組み立てられていますが、その中に入っているさまざまな汎用部品は日本も含めて世界中のいろいろなところで作られていて、中国に搬入しているだけで、中国や東アジアではまだまだ高度な部品メーカーが育っていません。だから、「目に見えない日本製」というものを意識しました。トヨタとか日産の進出は目に見える日本製ですけど、目に見えない日本製を強調したいと思いました。
ここの話が高校生の出張講義ですごく盛り上がるんですよね。「皆さんの持っているスマホは何製ですか?」と聞くと、だいたい「アメリカ製」って言うんですが、「実は世界製なんです」という話をしています。汎用部品でものが作られている世界を説明していくと結構ウケますね。
なので、企業がグローバルに活動しているという具体例を、生の情報――本当に現場にいられる方の情報を伝えたかったという思いがあります。このあたりは、そもそも自分の頭にあったわけではないのですが、いろんな人に助けてもらって書きました。だから、ほかの箇所に比べると遥かに時間がかかっています。
不正確さの中に正確さが宿る?
――企業の方に実際に原稿を見てもらったりもしたのですか。
齊藤:原稿を見てもらいましたが、技術の人はひたすら正確さを追求するんですよね。そのとおりに書き直していくと、意味がわからなくなってしまうんです。言葉としては正確なんでしょうけど、意味が伝わらない文章に直されちゃって、困ったなってのはありました。
「先生の文章は不正確ですから」とよく言われちゃいました。最後には「不正確さの中に正確さが宿るんです!」っていう、よくわからないことを言ったりしました。
――名言ですね(笑)
齊藤:吉村昭が『零式戦闘機』の小説を書いたときに、ゼロ戦の技術者の堀越二郎に原稿を確認してもらったら、原稿にいっぱい赤を入れられたんだけど、実はほとんど受け付けずに、吉村自身の言葉で最後まで書いたみたいです。自分は吉村みたいな立派な文筆家ではないですが、私もなんとなくわかります。
技術の本質を伝えるには、実は科学の言葉ではない言葉も必要であることを感じました。これは、震災直後に『原発危機の経済学』(日本評論社、2011年) という本を書いたんですが、3ヶ月くらいで一気に書きました。原発技術の専門家からすると、やっぱり不正確なことがいっぱい書いてあったんですが、原子力工学の研究者からお手紙をいただいて、「齊藤さんの書いてあることは不正確だけど、全体としては正確に伝わっている」という訳のわからないお言葉をいただきました(笑)。
だけど、やっぱり一般の人に高度なことを伝えていく作業は、科学者や技術者とともに、私たち文系の人間の役割も結構あるのかなと思いました。科学分野に近いところで経済学研究をしたときにすごく感じましたが、今回も同じことを感じました。
――確かに、今回の本で取り上げていただいた「単軸ロボット」の仕組みとか、すごくわかりやすかったです。
齊藤:そのへんは全部「不正確」なんです(笑)。一個一個を全部正確にしようとしちゃうと、全体が見えなくなるから、難しいですよね。だけど、世の中には両方の記述がないといけないんでしょうね。私たちの社会が正確な記述を失ってしまうと大変ことになってしまいますよね。
ただ、この部分は大変でしたけど、すごく楽しかったです。いろんな人たちの話をお伺いできて。やっぱり企業の現場の人たちは自分たちのやっていることに誇りを持っていて、素晴らしいことをやられていることから学ぶことはたくさんありました。
正確に理解する
――最後に、読者の方、特に高校生や大学生の若い方に改めてメッセージをいただくことはできますか。
齊藤:あんまり悲観的になる必要はないと思います。ただ、自分たちが豊かさを得ていこうと、あるいは、豊かさを皆で分かち合っていこうと思うのであれば、世の中のすごく複雑な仕組みや現象に関して、根気よく正確に理解することが重要になるので、どんな立場の人でも、その努力は欠かせません。
「グローバル経済」だけではなくていろんな知識を得ていくうえで、そういうスタンスで学業や勉強に接してほしいなと思います。
――本日はさまざまな観点から興味深いお話を聞かせていただき、誠にありがとうございました。
(5月21日Zoomにて収録。今回のインタビュー記事のダイジェスト版が『書斎の窓』9月号に掲載予定です)