高校生クリエイターが20歳で会社をつくるまで 【前編】
みなさんこんにちは。株式会社IDENCEの板谷です。
前回サークルについての記事を書いたことは記憶に新しいんですが、なんとあの時はまだIDENCEという名前すら存在していなかったと今気づきました。(法人化前の1年はユニットとして活動していました)
最近の時の流れの速さは恐ろしい。
そして当時はフリーランスでしたが、2022年より法人成りしまして、株式会社IDENCEの人間になりました。
周囲の人に恵まれ、本当に楽しい毎日を送れています。ありがとう。
今回は、趣味として始めた映像制作を続けていたら20歳で会社をつくることになった経緯を、自己紹介も兼ねてかなり過去から振り返っていきたいと思います。
一つのターニングポイントとして残しておきたかったのと、ありがたいことに過去に興味を持ってもらえることも増えたので、ここに記しておきます。
今回は前編として、中学生までの変遷を書きました。
映像と出会うまで、の部分です。
ただただ変なやつだった幼稚園〜小学生時代
出身は岡山県。特徴のない田舎です。
実家自体は岡山市内だったのでスーパーに行くのに困るとかのレベルではありませんが、山に囲まれて生きてきました。
幼稚園時代は車マニアでした。日本車は全車種覚えていたらしい。かなり忘れてしまっているが、たしかに今でも知っているはずのない車名が急に浮かんできたりするから不思議。
小学校に入ると家電マニアになります。お小遣い制が導入されて初のお買い物はMDコンポでした。ビックカメラに買いに行ったことを今でもハッキリ覚えてます。あと小5まで合唱団に入ってました。なので歌うこと、音楽はかなり好きです。
まあ、コンポくらいならわかるとは思うんですが、そこから生活家電にも守備範囲は広がっていき、小3くらいで空気清浄機を買ってました。地道にためたお年玉で。
あのころのナノイーのテーマソング、まだ歌えます(笑)
小学校に導入されたテレビがTH-P50G1だったことも何故かまだ覚えてます。リモコンのボタンがプラスチックでできていて、他社のゴム製より高級感があって好きでした。ほんとに変な小学生でした。
あとはカメラでよく写真を撮ってました。
旅行にいくと絶対100枚以上撮っていた記憶があります。
機械的にカメラを触ることも、被写体にしていた自然と触れ合うことも好きでした。ちなみに生まれて初めて喋った言葉は「花」らしいですよ(ロマンチックデスネ-)
そして家電好きの流れでPCに目が行くようになります。
家のPCはXPだったんですが、先生が新しく買ってたWindows7のUIの綺麗さに授業中感動し、なんとか買えないかと調べまくった結果、近しい見た目のVistaの中古を買いました。ソフマップで1.5万円くらいでした。
MSゴシック(日本で見ない日はないあのフォント)しか使えなかったあの頃の僕には、メイリオ(Vista以降搭載されたフォント)は本当に美しくて、それが使えただけでもハッピーでした。
誰からも入れ知恵されることなく潜在的にフォントの綺麗汚いにこの時期から気づけていたことは割と自慢です。
ちなみに性格的な話で言うと、面倒くさいくらい真面目でした。
決まりを守らないやつには年上であろうと突っかかっていくスタイルで、よく言えば正義感は強かったです。このまま大きくなってたらえらいことでしたね。まあでも今も根底の真面目さは変わってないと思います。
あとは委員長とか、まとめる系の役割も好きでした。運動できないから別のところで目立ちたかった感じですかね。
周りも全員変だったのでのびのびできた中学時代
中学受験を経験しました。
小4から塾に通わせてもらったんですが、これが人生で一番成長案件だったかも。当時の僕からしたら大都会の岡山駅前まで一人で電車で行って、頭のいい子たちばかりに混じって、余裕で成績下位。
それまで人生の態度が舐めくさってて心配だったから入れたと母親に後から聞きましたが、本当に大正解大感謝です。根性叩き直されました。
そして第一志望の岡山県立岡山操山中学校・高等学校という県立中高一貫校に進学しました。
( ↑高1で撮影した校舎風景動画 )
慶應SFCの友達に話してもびっくりされるくらい、なんなら僕が勝手に岡山のSFCだと言っているくらい、変なやつが多い中学校でした。
あるあるだと思いますが、小学校は目立ったことをするやつを卑下する風潮が蔓延していました。僕みたいに運動以外で目立つやつは完全なはみ出し小学生でした。
が、ここの中学は違った。はみ出し中学生がマジョリティなので、それぞれの才能に興味を持ったり、便乗してくれたり、大人な素直さを持った人が多くて本当に心地よかったんです。
僕も心ゆくまで羽が伸ばせるようになって、ITに強いキャラとして定着し、友達も増えて、そんな中で自然にデザインと映像に興味を持っていくことになります。
カリキュラムも十分変な中学校だったので、入学直後からPowerPointを使う場面がかなりありました。そのためIT教育が割としっかりしており、みんなどんどんPCに詳しくなっていきます。
このままだとIT強いキャラが危うい、そんな危機感と興味がちょうど合わさって、PowerPointのスライドデザインをこだわるようになりました。
素材集を買ってみたところ、付録の作例サンプルに興奮して全アニメーションレイヤーをばらして作り方を研究してたりしたのはいい思い出です。
今見ても中3にしては上出来じゃない?と言う感じのデザインだと思います(ニヤニヤ)
そこからパワポでアニメーションを組み合わせて動画を作って遊ぶことが増えます。以前からPowerDirectorという雑魚めのソフトで学年末のクラスムービーを作ってもいたのですが、自由度が低かったので、パワポの方が自由にできたイメージです。
それを続けていて、ある日、あれ?これだったら動画の専門のソフト触った方がよくないか、ということでソフトを探し始めます。
前出のPowerDirectorはいわゆるPremiereなんかも属するNLEと呼ばれるソフトで、ありものの素材をベースに編集するソフトです。
僕はそうではなくて、一から動画を生成したいと思っていて、ただそれをなんと検索すればいいのかわからない。知恵袋で質問したらそんなこともわからんなら編集なんかしようとすんなとクソコメをつけられたのも鮮明に覚えています★
調べ続けてAdobe AfterEffectsが向いているとわかり、小遣いの半分以上を叩いて出たばかりの学生版CCを使い始めます。これが中3の初め頃でしょうか。
そこからはクラスイベント動画はもちろん、クソ動画を量産したり、自主制作映画プロジェクトを友達と立ち上げて完成させたりしておりました。
とにかく映像作りが楽しくて仕方なかった時期です。
振り返ってみれば当然だと思います。
・PCやカメラといった機械が好きな、オタッキーな面
・花や自然、歌が好きだった芸術的な面
・委員長とかになりたがる目立ちたがりの面
これら全てが合わさった存在が、僕にとって「映像を作る」ということだと気付いたからです。
続く
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