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怒涛の3ヶ月。

前回の投稿を確認してみると、3ヶ月も前だということに驚いた。
この3ヶ月は私の中でとてつもなく長く、永遠とも思える日々だった。

4月…
娘が年少々として幼稚園に入園した。
私と離れることが全くなかった娘にとって環境も変わり私とも離れなければいけない状況が極度のストレスになったのか、今までなかった癇癪がはじまった。

癇癪というよりもうほぼパニック状態で、私では泣き止ませることすら出来ず…
主人が仕事を放り出して泣き止ませてくれないと延々と私を叩き、時に自分を叩き大号泣しながら暴れるのだ。

地元の保健センターに連絡をして、発達心理士の先生にも相談をした。

14時降園のところを、お昼ご飯前にお迎えに行く日々。
行くときは「行きたくない」と大号泣するのを「そうだよね、行きたくないよね…」と共感しながら連れていく。
先生にも協力してもらい、着いたら上靴に履き替えたりといった作業を全てお任せして足早に去る。

なぜこんなに泣いて嫌がっているのに、私は娘を預けているのだろう…
日々そんなことで頭がいっぱいだった。


5月…

4月末に提出していた事務所のプレゼンの結果が返ってきた。
所属には一歩及ばずの結果だったが、マネージャーさんが最後の一押しをしてくれて所属が決まった。
娘のことで頑張りたい気持ちはあれどどうしても時間を作ることが出来ずに苦しんでいた時期だったからこそ、マネージャーさんの「ゆうひさんのやる気を一番分かってるのは僕だと思うので、その気持ちに応えたいと思います。」って言葉が泣くほど嬉しかった。

投げ出さずに頑張ってこれたのはもちろん応援してくれているみんなの気持ちも大きいが、いつも「ゆうひさんのペースで頑張りましょう!」と寄り添ってくれたマネージャーさんの存在も大きかった。

そして娘の方もだいぶ落ち着いてきていた。
ある日先生がいつものように「お昼ご飯食べて帰る?」と声かけをしてくれたとき、今までは「食べない、帰る!」と言っていた娘が突然「うん。」と応えてくれた次の日から、14時まで頑張ってくれるようになった。

お昼ご飯を食べて最後まで頑張れた日、娘が頑張ってくれた事実に私は一人泣いた。

6月…

私は1日から咳と鼻水が2週間ほど止まらず、耳鼻咽喉科に来ていた。
小児喘息だった頃の胸の苦しさを覚え、またえずくまで続く咳に風邪で発作が出てしまったかと不安になったのだ。
薬を処方してもらって鼻水は落ち着いたが、咳と息苦しさは治らない。

しょうがなく後日、咳専門の病院を受診したら診断結果は【喘息】。

だが小児喘息の感覚が強かった私は、あまり深く考えていなかった。
薬さえ飲めば良くなるだろうとたかをくくっていたのだ。

毎日薬を飲み、吸入薬を吸う。
咳は治ることを知らず、なぜか恐ろしいほどに声が枯れていく。

どれほど声が枯れていたかというと、私の症状を何も知らないボイストレーナーがオンラインレッスンで通話を繋いで私が「お疲れ様です。」と言った瞬間に「タクシーかなんかの無線を拾ったのかと思った。」というレベル。
完全におっさん声と化していたのである。

ちなみに声枯れの原因は薬の副作用だった。

今は薬が合っているのか声枯れはほとんど治ったが、まだ鼻詰まりが残っていて歌いづらさはある。

でも声が枯れていても歌の練習だけは欠かさずしていたから、開き直って普段は低すぎて歌えない【ウェカピポ / SOUL’d OUT】や【晩餐歌 / tuki.】をオク下で歌ってみたってショート動画を投稿してみた。

これがなかなか再生数が伸びていて、こうやって自分の逆境すらもコンテンツにしていいのだと新しい道を開いた気分だ。


怒涛のような3ヶ月。
でもたった3ヶ月。

正直1年くらい経っている感覚で、毎回3ヶ月しか経っていないという事実に笑ってしまう。
それくらい私にとってはとても濃い3ヶ月だった。


このnoteは色んな人に見てもらいたいと思ってスタートをしたから、こんな怒涛の日々を過ごしながら片手間で更新をするということが出来なかった。

だからもう、肩肘を張って更新するのは辞めようと思う。
短くてもいいから、自分が感じたことをポツポツと残していこう。

歌手という夢を追いかける1人の人間の、何気ない日常の一コマの記録。

note 新章…
スタート。

最後まで読んでくださってありがとうございます! これからも色んなことを書いていきますので、お楽しみに✨