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母の思い出は重いでぇ~と思った話

こんにちは、ユハコです。

真面目な話やのにダジャレやん!
と思ってこのタイトルにしたくなったの🙄


水星逆行のせいなのか過去のことを思い出し急にあれこれ書きたくなりました。
思いつくままに書いたから読みにくいかもしれないけどよかったらお付き合いください。


ご存知の方もチラホラおられますが私の実家はゴミ屋敷です。




捨てれない理由


母はとにかく物を捨てれません。

なんでもかんでも置いていて
「いつか使うかも」
「○○にもらったから捨てるのが悪くて」
「修理したら使おうと思ってて」

あらゆる言い訳を並べまくって捨てることができません。

「いつか使うかも」は一生使わんし、本当は捨てたいのに「悪いから」という理由で持ってるんだと知ったら気分悪いし、「修理したら」は永遠に修理しないでしょう。

まぁこんなこと言いながら私も当てはまるところがあるんですが、限度というものがあると思います。


いつかは「捨てたい」「何とかしなくちゃ」と言いつつ本当は「めんどくさいから何もしたくない」んだと思います。

でもこれらとは別の理由で捨てれない物達それは


思い出の物


「これは初めての給料で買った服」
「これは〇年前の引き出物」
「これは赤ちゃんの時によく着ていた」
「○○からお下がりでもらったやつ」



母は本当に思い出に関しては記憶力がすごく良く、全ての物に思い出が詰まってます。


私からしたらゴミに見えるものもあるけど、母からしたら全ての物に思い出が詰まっています。


思い出の割には雑に置いてるし、ホコリも被ってるし、物の山で底に埋もれていて、片付けて発掘するまで忘れ去られていたりするから本当に大切な物なのかと疑いたくなることもありますが。


そんな状態でも母のとっては大切な物で迂闊に触れないし捨てれない。
他人には触られたくない思い出なんです。



母の思い出エピソード

その①


「この頃のあんたはね~」
「あの時は良かった」
「あの時先生に褒められたでしょ?」
「昔はあんたも可愛かった」
「小学校の時のあんたの友達の〇〇ちゃんは~」


そんな思い出話を昔からよく聞かされていて、今の私はダメなのかとよく思っていた記憶があります。(今も言われるけどね)

私は小学校の友達の名前とか全然覚えていないから「よ~覚えてんな~」と毎回驚きます。



その②

末っ子がまだ1歳位の時に母がおさげをして家にやってきた時はとても驚きました。
聞くところによると、昔私が小さい時に母のおさげを引っ張って遊んでいたことが懐かしくて、末っ子で疑似体験をしようとしていたみたいで。


母は孫で思い出をもう一度再現しようとしてるのが虚しいやらなんやらで複雑な気持ちでいっぱいになりました。


ある時は私が幼い時の服を持ってきて末っ子に着せようとしていたり。結局小さすぎて入らなかったんだけど、私的にはすごく嫌な光景でたまらなくなりました。


母は末っ子に何を期待して何をさせようとしているのか?
妙な怖さと不快感でいっぱいになった記憶があります。



結局「入らなかった服で何か作ったりあれこれしてね」と服を置いて行ったんだけどすごくイヤでイヤで。


母は何を私に期待してるのか全然わからなかったんです。もしかして私と思い出を共有したかったのか?思い出に浸ってほしかったのか?
それとも単純にもったいないから捨てたくないけど、自分では何とかするのがイヤだから押し付けてきたのかな。


自分で捨てれないものでも他人に渡した時点で『捨てる罪悪感』から解放されますもんね。
それもあるのかな?



その③


そしてある時はカビ臭くベタベタになったビニールの人形を持ってきて「いつかあんたが女の子を産んだ時にあげようと思って買ってあった」と言い年代物の人形をもらったこともありました。

気持ちは嬉しいけど私が女の子を産むとは限らないし結婚だってするかわからん時に買って置いてたのはすごいと思います。


色んな期待を私に持っていたのかもしれない。
母が私に出来なかったことをしてほしいと期待していたのか。

私にとって母の思い出の物ほど重たいものはなくて、扱いにとても困るって思う私は薄情者なのかもしれません。


母の思い出の物を押し付けられて捨てるに捨てれずタンスの奥にしまい込んでいたんですが、先日片付けの時にそれが出てきて今度こそいらないから捨てようと思った時に「思い出は重いでぇ」と閃いたのだ。
我ながらしょーもない🙄



思い出に囲まれて生きる母


母はいつも思い出の物に囲まれて過去を見ながら生きて、下手したら過去の良い思い出に支えられて生きてるかもしれません。


だから昔私が実家のゴミ屋敷を片付けるって言った時はすごくイヤな顔をしていたし猛烈に拒絶して家に来るなと言ったんだと思います。


要するに私は余計なお節介だった訳で、子供の私が何とかしてやらなければと思い込んでいたのも迷惑な話だった訳です。


自分の思い出に触ってほしくないから、ほっといてほしかったんだろうなぁ。
私はそんな気持ちに気が付かず無神経なことを言ったりやってきちゃったんよね。


思い出や思い出の品をバカにしてる訳じゃなくて、それに縛られまくって今生活する場が汚く伸び伸び寝れない環境にするのはどうかなと思います。


こんなこと考えてたら、ゴミ屋敷に住む父母の健康面がとても心配だけど、それを選択してそこで生活し続けているから私には入り込む余地はなくお手上げ状態で、今はもう実家の片付けはやろうとも思わなくなりました。



なんであんなにも執着して私が実家を片付けなければと意気込んでいたのか。


もしかしたら私が実家を出る時に父から言われた一言がずっと引っかかてたからかもしれないぁ。

「オレはずっと我慢して生きているのに!」


詳しくはコチラの記事で⬇




最悪の未来は遺品整理という形で実家に帰ることになるかもしんないけど、そん時はそん時はで割り切って物が捨てれるようになるのかな。


遺品整理はそんない簡単ではないとよく聞きますからね。どうなるかは全然わかりません。前にゴミ屋敷の記事を書いた時からなにも進歩してないけど、こうやって書くことで少しずつ私の気持ちは軽くなっています。


まだ見ぬ少し先の未来を考え今を生きたい私と、
思い出を抱きしめて現実から目をそらし生きる母。


もう一度書くけど思い出が悪い訳じゃなくて、思い出を大切にする気持ちは良いと思うんだけど、、、けどなのよ。

母との心の距離感が縮まる日はまだまだ先かな?いや来ないかもしんないなぁ。


こんなこと書いてる位だから私にはまだ母に対する情が残っているんだということ。


結局何が言いたかったんだっけ?
あぁそうそう
私にとって母の思い出は重いということでした。



最後までお読みいただきありがとうございました。



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