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母との間に生まれた確執◇後編

前回までのあらすじはこちら👇👇


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1人で背負い込む母


私が高校時代、母は祖父の介護を1.2年しておりました。介護に関して私に出来る事が何もなく、いつも母は「私がやるから手伝わないで!」と言い1人ですべてを背負っていたと思います。


私が出来る事は自分の持ち物周辺の掃除とお風呂掃除、洗濯くらいで相変わらず台所には立たせてもらえませんでした。


今から思えばもっと頼ってくれたら良かったのにと思いますが、プライドが許さないのでしょうか?こちらが手を差し伸べても払い除け1人で背負いたがってたように見えます。


不器用ながらも私のお弁当は毎日ではないが作ってくれたし、母はよく頑張っていたと思います。


ゴミ屋敷な我が家ですが祖父の部屋だけには物を置かないようにしていた母。だから介護をする事ができたのでしょう。
他の部屋みたいに物で溢れていたらとてもじゃないけど介護なんて出来る環境ではありません。


祖父が他界してから祖父の部屋はあっという間に物で溢れかえってました。



友達親子?


今まで母の事をツラツラと書いておりますが決していつもいつも仲が悪い訳ではなく、私が20歳を過ぎる頃には音楽好きの母と一緒に「憂歌団」のライブに行ったりもしてました。


私はバイトにライブにと家に居なかったので(と言うか家に帰りたくなかったので)ゴミ屋敷問題は見て見ぬふり。
臭いものにはフタをするではないですが、いくら片付けをしようと言っても片付かない母にコリゴリで諦め半分逃げていました。


父はいつも

「いつもいつも羽を伸ばしやがって」
「部屋を片付けろ!」
「家の事をちゃんとやってからなら何も文句は言わない」

などとよくボヤいていました。


父も私同様に母の物に触れる事を許されておらず、台所にも近寄らせてもらえませんでした。なぜ父は片付けをしないのかと聞いたら


「昔、母の物を勝手に捨てて大変な事になった」
「祖父の介護をしてもらったから頭が上がらない」
「あいつに何言っても無駄や」
「台所がキレイに片付いていて許してくれるなら料理くらい作るのに」

とよく言ってました。




帰る家がありません

中3の時に今の実家に引っ越しした時に初めて部屋をもらったのですが、すぐに母の物に占領されてしまいました。


物をどかしてもらっても家に帰ってくるとまた物が部屋に戻ってくるの繰り返しを何年も何年も、、、

私の部屋が物で占領され始めたと同時に他の部屋も物で埋め尽くされており、父母が寝れる場所がない状態でした。


父母は私の部屋で寝たりご飯を食べたりとするようになり、私の部屋とは言えない状況になりました。

いつ帰ってきても一人でゆっくりできない
ベースの練習をしたくてもいつも父母がいる
寝ているそばでギターをか鳴らしながら歌う事もできない
プライベートな空間がずっとない
着替える時がいつも困る
部屋を掃除してもすぐに汚される


結婚までは家に居ようかと思ってましたがプライベートが約束されないゴミ屋敷にはうんざりし耐えきれずに29歳の時にゴミ屋敷から飛び出しました。


家を出た次の年に一回帰ったきり家には帰らせてもらえませんでした。


当然ですが、私がいなくなった私の部屋はあっという間に物で埋め尽くされて汚くなり帰る家がなくなりました。
そして極めつけの言葉、、、

「もう家には帰って来て欲しくない」
「帰ってきても片付いてないから居場所はない」


と言われてしまい、実家はあっても帰る家を失いました。




カルチャーショック


旦那と付き合い始めた時にどうしても理解してもらわないといけないのが「実家のゴミ屋敷問題」です。


真実を言うのは本当に辛かったし恥ずかしかったですが嘘をもうつきたくないと思ったのを覚えています。


真実を聞いた旦那は動揺をかくせなかった様子だがそれも許して受け止めてくれて結婚もできるようになりましたが私は内心複雑な心境。

あの家の行く末を考えるといつかは旦那に迷惑をかけてしまう。そんな事を考えるといつも胸が苦しくて泣きたい気持ちでいっぱいでした。

結婚が決まって初めて旦那の実家に行った時に、沢山の手作りのお惣菜で美味しい料理でお出迎えしてくれた義母。


これが当たり前のように暮らしてきた旦那。
私は大きなカルチャーショックを受けました。


同じようにこんな食卓を作れるだろうかと不安に感じると共に、義母にあこがれを抱くようになりました。
実母には無いものを沢山持っている義母。

「あぁ、、、私の母がこんな人だったらよかったのに、、、」


私は自分の人生、産まれを恥じるようになり母を恨んでしまいました。


「なんでうちはゴミ屋敷やねん、、、」
「なんでこんなに惨めな思いをしなアカンねん、、、」
「いつになったらこんな苦しい気持ちから解放されるねん、、、」


更に母への不満は募るばかりとなりました。




自己中な発言に涙


そしてようやく待ちに待った待望の長男妊娠!母に報告した時に


「えぇ?妊娠したの?どうしよう困るわ~。」

と言われました。


喜んでくれると思ったのにこんな言葉を投げられるなんて、、、。

「ゴミ屋敷だから里帰り出産は無理やで」「自営業をしているから子守りを手伝わされるのは嫌やわー」
「おばあちゃんと言われるのが嫌だ」
「おばあちゃんじゃなくて何て言ってもらおうかな?」

自分中心の言葉にただただ悲しさだけが募りました。
2人目3人目と妊娠がわかった時もそんな感じで最初の言葉は「おめでとう」ではありませんでした。


金銭的な事もあり母の手伝いなしには自営業と子育ては難しかったのでお願いし、いっぱい助けてもらった事は本当に今でも感謝しています。


口ではあんな事を言ってましたが子ども達を可愛がってくれたのは嬉しかったです。



ゴミ屋敷問題にメスを

いつでも頭の片隅に居座る実家のゴミ屋敷問題。モヤモヤしっぱなしで考えれば考えるほど出口が見つからず憂鬱な気持ち。


ゴミ屋敷問題から逃げ出して10年以上経ち申し訳ない気持ちもありました。
母1人では片付かないのは当然わかっている事。


わかっているのに私は逃げたのです

末っ子の授乳期も終った頃、休みを返上して片付けに行きたいと懇願したがなかなか了承を得る事ができずに毎日が過ぎていきました。


この頃から子どもたちは義母の家には行けるのになんで母の家には行けないのか?と言う疑問が出てきました。


子どもには絶対に嘘はつきたくない。



母に本当の事を言わないで欲しいと言われましたがハッキリと真実を伝えました。いずれ本当の事を言わないといけない日が必ず来ます。


こんな事を考えたくはありませんが、もし万が一私が先に逝ってしまったらこのゴミ屋敷問題はだれが解決できるのか?


迷惑がかかるのは旦那や子供。下手したら義母父にまで迷惑がかかるかもしれない。


それだけは絶対に避けたい!

母達も若くありません。もしケガや病気になったらあの家で介護なんでとてもじゃないけどできる訳がありません!


早く何とかしなければ、母が動けるうちに何とか!


焦りの気持ちもあったので会う度に話を出してみたり、メールをしてみたり、電話でと説得を試みるも首を縦に振ることはありませんでした。無視される事も多かったと思います。


そんなある日、ある一冊の漫画に出合いました。
実家のゴミ屋敷問題を娘の目線で書いた漫画で私たちの関係ともよく似ていて、私と同じ思いをした人が他にもいるんだ!ととても嬉しくなりました。


「これなら母も気持ちをわかってくれるかも、片付ける気になってくれるかも」


と期待を胸にその本を渡したが当然すぐには読んでくれず、半年経っても一向に読んだ感じがないので本を返してほしいと言ったらようやく読んでくれました。


感想を聞いたら

「これを読んでもなーんにも感じなかったわ」

と言われてしまいました。
どんなに訴えても伝わらない気持ち。
涙がこぼれました。


「あぁ何をしても気持ちが届かない」


その後も何回も何回も数えきれないほど訴えました。


「お願いやから一緒に片付けしよう!」
「勝手に捨てたりせーへんから!」
「ゆっくりでもいいからやろうよ!」
「将来大変になってからやったら遅いねん」


いろんな気持ちをぶつけるも届くことはありませんでした。
泣きながら必死で片付けをお願いしてようやくと言うか無理やり片付けに同意してもらう形で実家に帰る事が許されるようになりました。




お仏壇になんてことを!

ようやく実家に帰ってみたら想像以上の荒れっぷりに心が折れそうでした。

・玄関を開けるなりカビと埃の臭いが充満
・二人暮しとは思えない傘と靴の量
・一部屋は天井まで物が埋まっている
・床が見えない程物が散乱して所々山になっている為、跨いでで歩く
・階段の半分以上は物や食べ物が置いてある
・よろけて物の山に手か触れただけで雪崩を起こす
・どの部屋も窓は開けれない


かつて私の部屋だった所には目線まで積み上げられた物でいっぱい。
かろうじて人一人寝れるスペースがあるかな?という感じで母はどうやってどこで寝れるのだろうといった状態でした。

一番心配だった元祖父の仏壇のある部屋も入る事も出来ず扉は閉まったままで前には大量の荷物。


私がいる間は仏壇の前には物を置かないようにしていたのだが、、、。


怒りで自分を抑えれなくなりながら母にどうして仏壇を大事にできないのかと問い詰めたら


「死んだ人間よりも今生きている人間の方が大事だ」


と私には到底理解のできぬ回答のあきれ果ててしまいました。


確かに生きている人間も大事です。それは分かりますがあまりにもひどいじゃないですか、、、。


いくら部屋が汚くても仏壇だけは!と思っていただけに、ご先祖様にも申し訳ない気持ちで一杯です。


私は一生母の事は理解できない」そう思いました。




消えない記憶


良い思い出もあったはずなのに今思い出すのは辛い過去ばかり、、、。
なぜだか私にとっては辛い言葉や思い出ばかりが心にグサリと刺さっていていまだに抜けません、、、。

でもけっして仲が悪い訳でもないし母には愛されていたと思っています。
私にとっては暴言でも母にとってはただ思ったままをすぐに口にしただけ。
傷つけてやろうと思って言った訳ではないみたいです。


ただ私がね、、、
そんな言葉をうまくかわす事ができないんです、、、


私はいつしか母の事を見下し怒り恨みのフィルターでしか見れなくなってました。


母には最近まで子守りをお願いしていたので週に一回は顔を合わしていたのですが、片付けの事はあまり言ってません。


片付けの話を出すだけで嫌な空気が流れるし無視されるので辛い、、、
心が折れてしまってまともに話をするのが苦痛で、、、


一緒の空間にいるだけで少し気分が悪くなるというかなんというか、、、
毎回情緒不安定になるようになりました。


しかし久々にこの前母に会ってからはもう憎しみはなくなりました。


年老いた母を前にこんな気持ちを抱えていても何も前には進みません。
怒り憎しみの気持ちを持ったままだとお互い幸せになれないと思います。

エドガーケイシーの言葉を借りるならば

・邪悪の果実(憎しみ・怒り・敵意)を不正とし取り除く
・霊の果実(忍耐・辛抱・隣人愛・親切・優しさ)を植える努力をする
・その努力が魂にまで達するならば前世のカルマを癒すことができる
・カルマの先には大きな希望を用意されている事を信じる

・カルマとは魂が自らの成長の為に自分で選択した試練である

今までは私目線でしか考えれませんでしたが、母には母の思いがあるのでしょう。
これは私が乗り越えなければいけない試練なのかもしれません。


理解はできませんが少しずつ歩みよりができるようになりたいなぁと今では思っています。


70歳を過ぎてもなお逃げに逃げ続けている人生の母。この歳になってから難しいかもしれませんが

母には自分と向き合ってほしい

そう心から願います。






その後何回かは片付けに行ったのですが、片付けに行ってから私が喘息になってしまったので数年ストップしている状況です。


今後の事はまだ何も決まってないのですが、先日退職した父が

「仕事がなくなったから片付けを手伝う」

と言っていました。


この事が真実ならば少しずつよくはなると思うのですが、何年も何もしてこなかった父に何ができるのでしょうか?


母は自分の物に触るとヒステリーに怒りますが大丈夫なのでしょうか?


私は片付けに行く度に発作が出ていたので正直まだ行く勇気がありません。私が倒れてしまったらお店も家も何もかもストップしてしまうから困ってる所です。


片付け業者の話も昔したのですが、絶対に嫌!の1点張りで前に進めてません。


また何か進展がありましたらここに書かせていただきます。




最後までお読みいただきありがとうございました。

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