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おはぎを食べながらじいちゃんの事を思い出した話

昨日の秋分の日、
みな様はいかがお過ごしになられましたか?
私は長男の運動会を見てきました😊


みんなでおはぎを食べてる時にふと
自分のじいちゃんの事を思い出したので
ここに書かせていただきます。





一人だけのじいちゃん


私には祖父祖母といった存在は
父方の祖父(以後じいちゃん)しか
会った事がありませんでした。

母方の祖父は母が生まれる前に他界し
祖母も母が中学の時に他界してます。

父方の祖母はこれまた
父が中学の時に他界しており
写真でしか見た事がありませんでした。

そんな一人だけのじいちゃんですが
小学校の時から一緒に住むように
なったのですが一緒に家では遊んだ
記憶はありません。


家にいないじいちゃん


じいちゃんはいつも家にいませんでした。
どこにいるのかと言うと
駅前の飲み屋の女将の家にいたんです。

2日に一回位は家に帰ってきてたかな?
しかも帰って来るのは夜中が多く
散々飲んだくれて酔っぱらって
帰って来るのが当たり前で、
ある日はドブに落ちで帰ってきたり
夜中なのに大きな声で話をしたり💦


その当時私はなんで女将の家にいるのか
よくわかってませんでしたが
年頃になりそれがわかるようになると
少し複雑な気持ちになったもんです。

それに加え、
酒は飲むはタバコは吸うはで
年頃の私は少しじいちゃんが嫌でした。


パチンコ屋の常連


じいちゃんはパチンコが大好きでした。
私は定期的におやつを貰いにパチンコ屋へ行き
じいちゃんの横に座って一緒に球を打ち
換金所でおやつに変えてもらって
おやつをゲットしてました😅

まぁまぁパチンコ屋に出入りしていたので
店員さんと仲良くなり
落ちてる球をもらったり
球が詰まったらいい所に入れてもらったりして
私もじいちゃんもパチンコ屋の常連でした。

その当時は自動で球が出るやつではなく
手で一個ずつ入れるやつだったんですよね。
左手で球を入れながら右手ではじくのです。

今から思えば小学生がパチンコ屋に
出入りできる時代だったんですよね~。
今ではありえません!!



他界した日の事


じいちゃんは私が高校に時に
結核になってそのまま入院し
他界してしまいました。

入院している時に何度も
注射針を抜いたり暴れるのでと
手をベットの手すりにくくりつけられて
いるのを見た時は胸が苦しくなって
見ていられませんでした。

家に帰りたいって言ってた
記憶があります。
でも結局はそれも叶わず🥲


他界した日をよく覚えています。
その日は朝から変な感覚がありました。

「アレ?今日は何の日だったけ?」
「今日なんかあるよね?」

今までにない感覚だったので
母に聞いてみたけどよくわからず
そのまま学校へ。

授業中に先生が教室に入って来て
私に近寄って来た時にすべてが
すぐにわかりました。

「あぁそういう事か、、、。」

それは家からの悲しいお知らせ
だったのです。


私はそのまま病院へ直行。
「やっと楽になれて良かったね」
という思いと悲しい気持ちが入り混じって
とても複雑な気持ちでした。


家に帰って来るじいちゃん


他界したじいちゃんは
何度か家に帰って来ることが
多かったのを覚えています。

じいちゃんの部屋は二階にあるのですが
じいちゃんが帰ってくると
二階からギシギシと足音が鳴ったり
タバコの匂いや線香の匂いがしたり。

匂いに関しては本当に不思議でした。
と言うのも結核になったので
保険所の人に家中を消毒されたんです。
なのに匂いがするんですから不思議ですよね。

時には私は寝ている時に帰って来て
私の周りをグルグル回って顔を
のぞき込んだりもしてました。

そういう時って必ず金縛りにあうんです。
わざわざそんな事しなくても
普通に会いに来ればいいのにと思いますが💦

じいちゃんとわかっていたので
怖くはなかったですが
母や父に言うと変な顔されました😅

でもね、
家に帰りたいって言ってましたから
他界してからだけど家に帰って来れて
良かったね!って思います。

今でも急に部屋の中やあらゆる所で
タバコの匂いみたいな線香の匂いがするのは
もしかして?もしかするのかな?

全然違うやつかもしんなぁ~。
ん~わからん。




と、ここまで書いてオチないんですけど~

最後までお読みいただき
ありがとうございました🌈





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