ヴァイマール期の文化人3人の紹介ーベンヤミン、レマルク、ユンガー

ある授業の期末試験用に作ったノート。確か3人のうち2人についての論述だったはず。ここに供養する。



ベンヤミン


 ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』を元にヴァイマール期の文化の特徴を論じる。この時代の文化の特徴は、文化や芸術そのもののあり方の変革を迫るものであった。この頃は、バウハウスやダダイズムといった既存の芸術を打ち破る文化もあったが、一方で大衆文化も同様に芸術のあり方を変えた。ベンヤミンは、そう主張している。『複製技術時代の芸術』では、アウラの喪失としてこの変化を表現している。アウラとは、ただ唯一の芸術が「いま、ここにあること」の重みのことである。芸術のあり方を展示性と芸術性の二つの指標の行き来で考えていたベンヤミンは、彼自身の時代を芸術性に傾いた時代であると位置付けたのである。つまりこれまでの芸術は、教会や修道院などの展示性が強いものであったが、芸術性が重要視されるようになる。展示性が減少していくということは、アウラが消失することである。例えば、写真があれば、芸術がある特定の場所に存在する必要はない。今の我々が苦痛に満ちたラオコーンの像を知っていてもどこにあるのかは、知らないのと同じである。こうしたオリジナルとコピーの新しい関係をベンヤミンはアウラの喪失として説明したのである。
予想に反して、ベンヤミンはアウラの喪失を肯定的に捉えている。アウラの喪失によって、非凡な教養市民が芸術の製作者であると同時に芸術の消費者である必要は無くなった。従って、芸術の担い手は変化したのである。このようにアウラの消失は芸術のあり方を新たに定義づけさせた。これがヴァイマール期の文化の特徴である。芸術はもはやパトロンだけのものではなく複数の人々によるものである。
複数の芸術の担い手、芸術の複数性は芸術のあり方そのものを変えている。例えば映画を取り上げてみよう。ベンヤミンによれば、これらはそれまでの芸術とオリジナルとコピーの関係を変えているという。絵画の模写は、その関係がはっきりしている。しかし、映画となっては、カメラの先にあるものがオリジナルなのではない。映画を見るときに、映画が模倣するものは存在しないのである。オリジナルなきコピー。こうなっては、これまでの芸術のあり方は変化せざるを得ない。複製技術時代にあっては、そうした関係をも超える芸術が登場してくる。
したがって、ベンヤミンを通じてヴァイマール期の文化の特徴が浮かび上がっただろう。それは、古典の危機であり、新しい芸術のあり方を模索する文化であったのだ。

レマルク


 レマルクの『西部戦線異常なし』を手掛かりに、ヴァイマール期の文化の特徴について述べる。レマルクが示すヴァイマール文化は、世代間闘争による反戦、対抗文化であるといえよう。
まずレマルクは『西部戦線異常なし』で世代間闘争をこの時代の社会背景として述べる。ボイメルは彼のクラスの先生であるカントレックを以下のように述べている。「僕らの考えの中では、こういう連中が持っていた権威の意味に、もっと大きな理解と、人間的知識を結びつけていたものだ。けれどもこういう確信も、初めて戦死者を見たときに、粉砕されてしまった 」主人公は18歳の青年なので、カントレックは40歳くらいだろうか。実際に戦線に出た世代は、一回り上の世代の権威を信じていた。彼らは青年を大人の世界へと導く役割を担っており、権威に従っていれば、大人になれると信じていた。しかし、ボイメルが実感したのは、死体を見たこともないカントレックの無責任さである。むしろボイメルは、休養期間中にみた軍服をきた彼を面白おかしいと思っているのである。
 ボイメルは、このようにヴィルヘルム世代を見ていた。ヴィルヘルム世代は、戦争を始めそれを若者に一つの価値として推奨はするものの、戦争そのものは体験していない。そうした世代に失望し、反抗しようという姿が見て取れるのだ。従ってこの時代は伝統的な権威に逆らう形で文化が登場してきた。例えば大学のような機関ではなく、カフェやその中で生まれたサークルといった集団の中で、文化が花開くようになる。『パサージュ論』や『歴史の概念について』で有名なベンヤミンもジャーナリストとして活動し、ユンガーも『砂の時計の書』では、伝統的な価値観を批判している。
 このようにヴァイマール文化とは世代間闘争に基づく、権威に対する対抗文化であった。

ユンガー


 ヴァイマール期の文化の特徴は、戦争経験によった従来の価値批判に基づく点にあった。ここではユンガーを取り上げて、そのことを描こうと思う。ユンガーは、レマルクとは違い戦争経験を反戦として描こうとはせず、むしろ戦争に対する美しさや開放感というものを感じ取ってそれを描き切った。「ドイツ人の戦いが、…例え無意味に見えようとも、我々はそれを気にかけない。戦争は、どんな算術によっても論破され得ない意味を、噴火口の深みの中にもつ。 」つまり戦争に対して非常に大きな意味合いを感じ取っていたのである。これはどのような価値観に基づくのだろうか。それは「古い価値に対する嫌悪」と「新しい生への渇望」であった。ユンガーは「総動員」において、戦争によって自己を実現してゆくドイツ人の姿をなん度も賛美している。ユンガーは、自身を戦争に駆り立てる理由の一つに、自分と同じように世間に慣れ始めた世代と関わることを挙げている。どういうことか。これは、平時の都市で平穏に、年配のご機嫌をとりながら生きていく同じようなプチブルの生活から解放され、そのことを分かち合うというものである。
 ユンガーは、その点でまさしく新しい文化を切り拓いた。平時の旧来の価値観の中で切羽詰まった生活から解放され、自己を実現していくあり方として戦争を彼は賛美した。従来の生活からの幽体離脱。この体験無くしてヴァイマール期の文化はありえず、そしてこの戦争体験こそが、新しいヴァイマルの文化の特徴だといえよう。「かくしてこの戦争は彼にとって、なかんづく、自己自信を実現する手段でもあった。」
 第一次世界戦は、従来の戦争とは大きく異なっていた。塹壕、戦車、毒ガス、総力戦。こうした大きな起爆剤のもとで、ユンガーは新しい価値判断を生み出していった。

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