見出し画像

何の研修かも大事だけどやはり一番は「人」

真宗大谷派の新任教職員研修に参加してきました。そこでの気づきをまとめています。一つ前のブログの続きです。

先に断っておきますと、真宗大谷派の学校に勤務していますが、宗教に関する知識はゼロです。

井戸端の如く心地よく、哲学対話の如く深く多様

講義の間には3回の対話の場が設けられました。90分にも及ぶ講義なのでものすごい情報量です。そのアウトプットの場があったのはありがたかったです。それぞれのグループにはファシリテータの先生がいらして、我らがDグループの先生は「真宗では、何を話してもいい場、井戸端会議のように心地よくみんなが話せる場を好んで設けるんです。」とのこと。なんとも心強い。

まずは自己紹介+来るまでどう思ってた?のテーマで一周。ほとんどの人が気の進まない状態で来ていたのに対し、お一人だけ志願して来られた方も。また、若い方が多いのですが、元ホテルマンの大学職員など異なった背景の方もおられました。

一昨日行った前田康裕先生のお話にあった、「発話することで自分の認知の状態を知り、相手からの情報で自分を更新する。」ことそのものです。

また、安心安全の場だったので、素朴な疑問がきっかけで話が深まったところもありました。例えば、「阿弥陀様は実在した人ではないのですか?生徒はそう思ってますよ!」からしばらくお話が続きました。

東本願寺の門の上で見たありがたい姿とは

今回、特別に御影堂門の上に登らせてもらいました。この時が唯一、靴を履いた瞬間だったのですが京都は38度、汗が止まりません。。。楼上にはとても美しい何かがあります。ネタバレになるので書きませんが、カジュアルにありがたい姿があり、びっくりしました。

暑すぎて壊れかけています。笑

さらに、大寝殿(おおしんでん)にも入らせていただきました。説明付きでなんと贅沢なこと。ここで見た雀の姿に胸を打たれました。ものすごい嵐で竹がたわんでいます。雀は見つけられましたか?

この子たちです。風に吹き飛ばされつつ、なんだか喧嘩してるみたい。

この雀たちは人を表していているとか。ものすごい嵐、つまりもっと大変なことが差し迫っているのに、目の前のつまらないことで言い争いをしているという解釈をお聞きしました。会社などでも、まさに危機に瀕しているから力を合わせるなり、目の前の嵐から身を守るなりすればいいのに、内輪揉めしているなんてことがよくあります。

「人」に始まり「人」に終わる

全体を通して感じたことは、いつも中心に「人」がいるという感覚。説明するのは難しいのですが、とにかく押し付けがましいと感じる部分が一つもなく、かと言って放置されているわけでもない。さらに、誰もが安心して学ぶことができるように配慮が随所にされていたということです。

毎日朝7:00からの阿弥陀堂・御影堂でのお参りも、全く苦になりませんでした。暑いのは暑いのですが、少し引き締まった空気感が私は好きです。ちなみに、真宗大谷派門首・新門も毎朝欠かさず朝のお勤めをされます。御影堂での正信偈・和讃は早すぎてどうにも追いつくことができませんが、和音を聞いているだけで心が落ち着くものです。これは、どなたでもお参りできるそうですので、興味のある方は早起きして行ってみてくださいね。

こちらに真宗大谷派門首・新門のインタビュー記事を見つけたので貼っておきます。「膝交えて聞法を」という言葉、素敵だなあと思います。ちなみに、門首はブラジル出身、息子さんの新門も物理・数学畑の超秀才というのも興味深いです。

さいごに

さて、今日も長くなってきました。ここでおしまいにしようかと思いましたが、明日もう一日だけ書いてみようと思います。ちなみに昨日分かったのですが、私の母方は真宗大谷派だったそうです。父方が臨済宗というのは知っていましたが、実は身近に真宗があったようです。なんださらに親近感が湧きました。無宗教の学校、カトリック校、そして真宗大谷派の学校。今まで特に宗教について考えたことはありませんでしたが、この初任研修で学んだことを糧に、いつも初心を忘れずにいたいものです。


いただいたサポートで参加者がハッピーになる仕掛けを増やします^^