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傍観者は今日も文句を言う

本校には放送朝礼というのがあって、週替わりでちょっといい話、心に染みる話を先生がします。昨日の朝礼では、男性のある先生。話は、「世界最速のインディアン」という映画にちなんだものでした。

あまり詳しいことは覚えていないのですが(おい!)傍観者という言葉が突き刺さりました。本当に勝利するためにはみんなが傍観者から、本気で応援するチームにならなければ、というお話だったと思います。

気を抜くとみんな傍観者トラップにハマる

職員室に戻って一息。

あれ?わたし、最近そういうところ、あるかも?!

職員室ではふとしたことで他校からきた人と話が盛り上がることがあります。それはそれで楽しいのですが、なんだか周りに背を向けて、「前の学校はこうだった。ここでは、なぜこんなやり方するんだろうね?」なんて話していることもたまにあります。それでは何も改善しません。迎合する必要はないでしょうが、自分も職場をよくする一人の人間として本気でやらなきゃ。そうすれば、自分ももっと楽しいし、幸せな気持ちは伝わっていく。自分発信で、自分がもっとワクワクする場にすればいい。

クラスの傍観者になってない?

ちょうどついでがあったので、クラスでもこの話をしました。クラスでも、家族でも、ご縁があってそこに集っているわけです。親が子を選べない、子は親を選べない。クラスメートだって、気に入らないから出てってもらうことはできないし、担任だって同じ。選べません。

傍観者は文句を言う。これが増えてくると要注意です。諦めの一歩手前で悪あがき。いいことなんて一つもない。

その場にどうせいるんなら、気分よくいたい。でも、みんなが傍観者で有る限り、クラスはよくならないんです。

実は現段階でも、クラスはなかなか勢いがあります。スポーツ大会でも、他のクラスより圧倒的に集中して賞をもらったり、敬老の日のためのコースター作りではノルマ以上のがんばりとセンスを発揮。一人一人は個性的で、エネルギー値の高い人が多く、それぞれの意見を持っている。かと言って、時間やノルマは意識できる。

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普通に行っても間違いなく1年半後にはすごくいいクラスになっているはずです。でも、傍観者でいるのをやめて、自分ごとにすればそれが加速する。だって、足枷がある状態でこれだから。

同じ船ならみんなで漕ぐ

以前の私ならあまり考えなかったことです。同じ船に乗っているだけではだめ。いい場を作るには漕ぎ手がそれぞれのポジションでできることを精一杯やればいい。不平不満を仲間内で言ったり、周りに嫌われないよう合わせたり、人によって言うことを変えるような傍観者的コミュニケーションでは、グループはいつまでもチームになりません。

そんなことを考えていると、なんだか楽しくなってきました。生徒もいつも以上に頑張っています。103%くらい。昔の消費税くらい(笑)いろいろあるけど、未来は必ずよくなると信じて、傍観者から冒険者へ。

またボチボチと進みます。





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