植松聖と意思疎通 ~植松の思考についての原理的仮説~

(*この文章は植松聖・現死刑囚に焦点を当てて書かれたものですが、彼の思想を支持するものでは全くないこと、そしてあらゆる障害者の方を少しでも軽んじるものではないことを先に記させていただきます。もしそのような差別思想を読者の方が感じてしまったならば、その責任は全て私にあります。)

2016年、殺人などの罪で逮捕された植松聖・現死刑囚(その当時は容疑者)の姿は、テレビなどの報道で何度となく流されていた。金髪で意気揚々としている顔が多く、メディアがあえてそのような画像・映像を使っていたのだとしても、当時、私が抱いた植松の印象としては「自分自身そしてみずから起こした事件に対する後悔や疑念はない」ように思われた。

事件から四年あまりが経ち、死刑が確定した植松はいまだおのれの思想・思考を捨てていない、と伝えられる。多くの人がさまざまなことを彼に対して発言したが、彼は自分の手で殺めてしまった障害者の方自身へ謝罪をしたことはないし、むしろ反対に社会的には良いことをしたと信じているそうだ。

その態度について、そして思想について、この世の中は賛成・反対、また支持や批判の声、あらゆる反応をしてきた四年間であった。
もちろんこの法治社会において、人を殺してしまった場合裁きを受けるのは当然である。また法律で定められているから、という理由でなくても、倫理的に、殺人を犯した者は報いをうけるべきなのは周知である(人間は追い込まれた場合、法律や倫理を越えて殺人をしてしまうのではないか、という議論はひとまずここでは置いておきたい。そのような先例は人間の歴史の中で何度も繰り返されてきたが、この文章の趣旨とはすこし外れてしまうし、この問題は本記述で扱うには大きすぎると判断した)。

亡くなってしまった方の遺族の方々の思いは、お会いしたこともない私などにも伝わってくるほど悲痛である。それは、犠牲者の一人、美帆さんの母親の方の手記からも分かる。

https://www.kanaloco.jp/article/entry-237221.html

だが今現在まで植松聖・現死刑囚が考えを変えることはなかった。一部報道でも言われるように、裁判のなかで彼が事件を起こした理由は深く追究されずに終わってしまったし、その裁判そのものもあまりに短期的なものであった。
そして、この社会において、「自らの実感や観念、現実などから植松に同意する風潮」と「同じく自らの実感や観念、制度などから植松を批判する風潮」が変わらず残っている。

この二つの風潮が消えることはないのかもしれない、とのあいまいな想像のうえで、これから記述する文章の趣旨は、そのどちらを支持するか、また提言するか、ということではない。

(間違っても私は、「障害者の方と健常者の方とがいた場合、現実的にあらゆる面で差が生まれることがあるしそれは仕方がないから、埋めるのも程度問題だ」などと言うつもりではない。ましてや「この矛盾する二つの考え方の差はあいまいにせざるを得ない」と言うつもりも全くない。
植松聖・現死刑囚が起こしたような事件がある以上、「このような犯罪はあってはならない」という立場は強く持つべきだ、と私は考える。)

この文章で考えてみたいのは、「植松は自身の思想・思考に対して、本当に疑念や迷いを持っていないのか?」ということである。

確かにこれまで植松は思想そのものは変えていない。「意思疎通ができない者はこの世の中から抹殺してよい」「なぜならそのような者は社会的に負担が大きく、結果的に世の中に『不幸』をもたらすからだ」というのが事件そのものを起こした動機であった。そして、彼の内面のことは分からない私たちは、裁判での態度などから考えてそうした考え方は変わっていないのだろう、という風に受け取っている。
障害者としての当事者の方やその家族の方、社会活動家、政治家、また学者やジャーナリストなど様々な人物が(直接的にであれ間接的にであれ)彼に言葉をかけてきた。刑務所や留置所などには、数えきれないほど植松と意思疎通したいと考えた人達が訪れたはずである(この場合の「意思疎通」という語は、同意的であれ批判的であれ相手と何らかの遣り取りをしようとすることを指す)。

これは私の想像だが、人はそのような気概を他者から多く感じた際、己の意識について客観的に内省するのではないだろうか。それとも植松はそのような気概を受け付けないほど「意思疎通」について絶望していたのか?
「植松は自身の考え方について疑いを持っていない」ならば、その理由として「他者の意思疎通を受け付けられない状態である」というものが考えられる(彼自身のなかで己の論理が肥大化しすぎているというものもあるが、この理由も「他者意識の受付拒否」と同根として話をすすめてみようと思う)。その原因としてあげられるのは次のようになる。

a)植松の意識には元から「意思疎通」というものがない
b)他者との「意思疎通」の努力を全く放棄している
c)他者と遣り取り(「意思疎通」)をしようとしているのだが、意識内ないし無意識下でその動きがとどめられている

この三つのうち、a)はまず外されるだろう。少なくとも裁判前後でも植松は面会者に対して会話しない、しようとしないということは伝えられていない。「意思疎通」という概念または行為の認識はあると考えられる。
b)の場合とc)とのちがいは、「意思疎通を自身で制御できるか、できないか」という一点である。要するに、意識的か意識的でないか、という部分が二点の差だが、いずれにせよ「他者からの意思表示を受けるという通路が阻まれる」点は共通しており、では「なぜ『他者の意思表示を受けるという通路が阻まれる』のか?」を考えなければならない。
植松の内面では、なぜ他者からの意思表示を阻んでしまうことがあるのだろうか?

次にもう一つの逆の可能性、「自身の考えについて、実は疑いをもっている」という場合を考えてみたい。
自身への疑念がもし生まれているとすれば、なぜ未だそれが表面化しないのだろうか。この場合は四つあげられる。

a)疑念を表面化しないように抑えつける意識が働いている
b)疑念の表出を自身の気が付かないところで抑えつけてしまっている
c)私たち受け手の側で「植松の疑念」に気が付くことができていない
d)疑念の存在が小さいため、「とるに足らないこと」として処理している

この中ではd)が可能性として一番大きいだろうが、そこまでに肥大化している自己意識というものはどうやって作り上げられてしまったのか。植松が自分で「社会のため」殺人を犯したと述べている事から考えれば、自己のみで膨れ上がったものとは言い難いのかもしれない。あるいはそれほどまでに彼が外部から自身を閉ざし、社会関係的にきわめて勝手な論理化をせねばならなかったのは、彼の中で関係性についての何かがあったのかもしれない、と考えるのは穿ちすぎだろうか?
その他の可能性も検討してみたい。
a)であった場合は比較的身近な理由を考えやすい。「罪を認めたくないための自己正当化」「彼が考えあげた論理への絶対的な自信」「世間的な一般倫理への反感」など様々あげられるが、ではなぜ罪を否認するのか、自分の論理に絶対的な自信があるのか、一般的倫理に反感をもつのか、という問題を追及してみると、これは彼と外部的なもの、他者的なものに対する問題であることが分かる。「罪」は植松と被害者、そして社会の間のものである。「反感」はあくまでも植松より外部にあらかじめ事前的に何か(ここでは「一般的倫理」)があることで生まれる。彼の「自信」も、一番初めは独立したものだったのかもしれないが、異論・反論に触れるうちに強くなっていったのだろう。
b)の場合はa)においてあげた可能性を無意識的に行っている可能性がまずある。あるいは(少々心理を穿つことになってしまうが)疑念が表出した際、彼のすべての自己構築が無に帰してしまうのだから、それを必死に抑えつけざるをえない無意識状態なのかもしれない。
c)の場合も入れてしまうと、事態はさらに複雑になってくる。これまでこの文章では、「植松の意思疎通の受け付けなさ」の理由について検討してきたのだが、今度は逆に「私たちの側の意思疎通の受け付けなさ」が生じるのは何故か、についても検討に入れなくてはならないからだ。こうなってくると意思疎通の問題は(どちらか一方が原因であるとしたら)どちらにあるのか、(どちらにもなんらかの原因があるとして)どの程度両方に問題なのか、全く見当がつかないどつぼに嵌っていく。

(ただ私は決して、「植松の犯した罪を軽減しよう」とこのように論理化したわけではない。また、「植松と私たちとで、あるいは社会とで罪を持ち合っていこう」としているわけではない。植松の犯罪は植松の犯罪である。その厳然たる事実に対して、勝手に移入したり移入させたりするべきではないのは間違いない。
その上でここで言いたいのは、植松を通して、意思疎通の不確定さはいかんともし難い、ということであった。おそらくその段階を外すと、この事件は「全ての事例は法で裁かれれば解決する」ということで良い、との簡単な結論になる。だが、全てが法の一事でカバーできないのは、事件の被害者である障害者の方々の本名が(その他の社会での事件と比較して)何故か公表されないということからも察することができるように思う。)

意思疎通が本当はされているのか、されていないのか、という判断は実に曖昧である。
しかし、私たちは日常の中で、(私が以上のように書いた論理を踏まなくとも)相手のことを納得したりしなかったりしている。おそらくだが、論理を一つ一つ踏んでいくと、本当に分かったのかは曖昧になっていくから、日常のうちではそれは一旦かっこに入れて了解しあっているように思う。
もちろん誠実な「直観」というものはある。だが、その「誠実な」直観にいたるまでには、地道な努力が必要だろう。対象との付き合いの時間的な長さ、あるいは時間的ではなくとも深さがいるものであり、それがない直観はただの「場当たり的な判断」に過ぎないことが多い。
なぜひとまず留保して意思疎通しあうのか。それには二つの理由が考えられる。
「日常内では意思疎通を続けて行動しなければならないため、『考える』という点においては多少比重を下げる」というのが一つと、「一つ一つの意思疎通に考えあぐねていると意思疎通自体に支障をきたす(続かない)ため、まず『続ける』ことに重点をおき『深める』ことに関しては時間的な存在によってその問題を解こうとする」というのが一つだ。
この方策をとると、ひとまずは楽をすることができるし、意思疎通自体を円滑にすることができる。人間の生および一人の思考が有限であるならば、その便宜性は必須ではあろう。私たちは生まれてから死ぬまでずっと考えあぐねることはできないし、どこかで決断することも迫られうる。

植松自身が「なぜ意思疎通について阻んでしまうのか」については仮説を立てる他はないが、現実として、「意思疎通をある程度阻むとすると『楽』である」ということは間違いない。彼が「意思疎通ができない」と言う重度障害者についても、本当にできないのかは分からないがどこかで意思疎通について留保すると「楽」ではあるのだろう。

誰かを「意思疎通できない」と定めて殺害する、ということはある意味では究極の「楽さ」ではある。私たちは意思疎通について留保を重ねながら他者と交流しているのだとしたら、植松と私たちとは結局程度がひどいかひどくないかでしかないのかもしれない。

ただ、植松が(私たちとちがって)見切っていることがある。それは私があげた「意思疎通の留保の理由」の二つ目に出てくる、「時間的な存在による、他者的なものの『深化』」の感覚である。実体的にであれ精神的にであれ誰かを殺してしまえば、それは他者性の深化を待つこともできなくなってしまう(精神的な場合であれば、何かの拍子に意識上に噴出する例もあるだろうが、それはひとまず措いておく)。確かにこの感覚は非常に不確定だし、結局深まらずにその他者とは離れることもあれば、ある時に(前述した)「誠実な直観」によって一息に了解することもある。そのような意思疎通は間違いなく滋味深いものであるし、「生きるに足る」という実感はそういうものであるかもしれない。

では植松が見切ってしまったのは何故か。おそらくはそれを「待てない」ほどに切迫していたのだろうと思う。切迫していなければ向き合うはずである。何か問題があればすこし距離を置いて向き合う、角度を変えて向き合う、そうしたこともできたはずなのに姿勢が頑ななのは、切迫しているとしか考えられない。
この姿勢の点については、彼の具体的な精神的・社会的な立場の問題を踏まえなくてはならないだろう。

本当に重度の障害者の方を前にして、私たちは何年ものあいだ向き合い続けることができるのか。「留保」という手段も捨て去って見切ってしまうのか。そのような場にいたことがない私はこの問いに答えることができない。
福祉という制度の上であればその「留保」すらいらなくなるのかもしれないが、それは分からないし、ましてや植松の起こしたような事件があってよいわけはない。一つ言えるとすれば、原理的には「留保」を高じていった延長線上に「見切り」があり、それは実際に人間を殺すということすら意味する場合がある、という一事だろう。そして、(これは当たり前のことだが)人間は余裕がなくなった場合には容易に「見切る」ことがある、という事実を忘れてはならない。

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