コンプレックスは“埋めるべきギャップ“ではない。そのままにしておく(1)
ふと、首題の考えに到達しました。
コンプレックスといっても千差万別で特定は難しいけれど
一つの基本的な構造として“何かの基準とのギャップ“があるのではないかと思う。
クラスメイトと比べて、成績が悪いとか
同僚と比べて仕事の進みが遅いとか
一般家庭と比べて、家庭環境が特殊だとか
自分の想定より、趣味に打ち込めてないとか
過小評価によって生まれるものが多いのかな、とは思うけども、時には
「周囲に褒められるけど、あれは偶然の結果で本当は自分の成果じゃない」というパターンもあったりするんじゃないかと思う。あ、これもある意味過小評価か。
これらの過小評価によって生まれる“ギャップ“は埋めるべきもの、として教えられてきたことが多いきがする。
学校の成績を向上させるために勉強し、仕事の速度を上げるために日々業務にまい進する。
そして、家庭環境のような変えられない要素や、特に改善を求められない小さな“過小評価によるギャップ“が残る。
そのギャップをコンプレックスと呼ぶ。
何かの基準自体も、人それぞれで異なる。
と、ここまで書いて力尽きたので、(1)としました。
最後まで書ききれないのもコンプレックスですね。
続ける予定です。
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