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人生の通過点

今日は、国家試験を受ける親友へ向けてのエールを送りたいと思います。一年に一度しかない国家試験を受ける人は、どんな気持ちで臨んでいるのでしょうか。私は国家試験を受けたことがないので経験がある人の緊張感や不安は理解することができません。
彼はこの国家試験のために3年という多くの時間を捧げてきました。そんな彼にとって国家試験に合格することでどれほど彼の人生を豊かにするのか、逆にもし不合格だったからと言って彼の3年が全て無駄だったことになるのだろうか。そんなことも踏まえながら私の考えを添えて、まさに今試験を受けている親友へ、私が出来る精一杯のエールを送ります。

私が1番伝えたいことは、人間は自分のことを正当化出来る生き物であるということです。例えば、彼は高校でサッカーを引退し、大学には行かず専門学校へ進み、3年という期間を経て今日の国家試験に至ります。そんな彼に向かって誰かが「大学でサッカーを続けていれば、あなたはプロサッカー選手になれた」と言ったとします。もし仮にそれが事実で、サッカーを続けていればプロになれていたとしても、今の彼は専門学校に進んだことを間違っていないと考えているし、後悔もしていないと思います。つまり、サッカーを引退して専門学校に進むことを決断するときには、たくさん悩んだかもしれないけど、決断して行動を起こせば、人間はそれを正解にできる生き物だと思います。そして、大事なのは自分の決断を正解にできるのは自分しかいないということです。

彼は前日の夜、不安そうな声で私に電話をかけてきてくれました。彼自身、今更何かを新しく勉強しても意味がないことは理解しているけど、本当にこのままで良いのかどうか、自信がないというようなことを打ち明けてくれました。さらには、合格して支えてくれた人を喜ばせたい、不合格だった場合は周りの人に申し訳ない。というような感情を抱いていました。
そんな彼に私は、「不合格でも良い」と伝えました。これは、彼のことを応援していない訳ではなくて、むしろその逆です。本当に彼のことを応援してくれる人は、不合格だからといって突き放すようなことはしないと思います。彼が思っているほど周りの人は、支えてあげたとは思っていないかもしれないし、迷惑だとも思わないはずです。

この日のために3年という時間を費やしてきた彼にとっては、この試験が今の全てのように感じるかもしれないけど、人生という長い目で見た時には通過点に過ぎないと思います。逆に、通過点にできないようでは、合格をしたとしてもこれからの人生は豊かにならないと思います。合格したことで見えてくる未来があれば、不合格だったことで見える未来もあるはずです。そしてそのどちらでも人間はその道を正解にできます。このことから、私は彼に「不合格でも良い」と伝えました。彼にはそれが伝わると思ったし、彼と私の関係だからこそ言える言葉でもあったと思います。

目に見える形で「合格」「不合格」というのは分かってしまうけど、大事なのはあくまでも結果ではなく過程で、さらに言えばその結果を受けてどう行動を起こすか、だと思います。電話をかけてきた時よりも落ち着いて声で、「自信を持って明日は頑張ってくる」と言って電話を切った彼なら、きっと大丈夫だと思います。
私は彼の結果が合格でも不合格でも、彼にかける言葉は、3年間お疲れ様。以外にないと思っています。本音を言えば、全てを出し切って欲しいし、心の底から合格して欲しいです。私が彼にしてあげられることは声をかけること以外に何もないかもしれない。でもこれが私に出来る、そして私にしか出来ない彼の応援の仕方であり、これからもこの考えは変わらないと思います。

合格でも不合格でも琉聖の3年間は間違いなく宝になる。
落ち着いて、自信を持って。琉聖なら大丈夫。

結果ではなく、未来に期待を込めて。頑張れ✌️

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