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子どもの頃に夢見た正義のヒーローになる

自分が小さい頃に描いていた大人とはどんな人だっただろうか?
今の自分は小さい頃に描いていた大人になれているのだろうか?
改めてそんなことを考えてみても、子どもと大人には明確な基準がなく、自分が描いていた大人がどんな人を指していたのかもわかりません。
しかし、誰もが子どもの頃に早く大人になりたいと望んでいたと思います。

子どもと大人の基準は人それぞれ価値観が違いますが、自分がなりたい大人の人間像を明確にすることで、私が子どもの頃に憧れた理想の大人に近づくことができると思いました。例え、世間一般の基準から考えると大人ではなくても、自分の考える理想の大人になることができれば、それだけで人としては成功なのかもかもしれません。社会の常識や他人の目を気にすることができるようになることが大人だという人がいるのであれば、私はずっと子どものままの人生を歩んでいきたいです。

今の社会では、子どもの頃に持っていた素直さや無邪気さ、抱いていた夢や希望がいつの間にか見えなくなってしまいます。子どもの頃に持っていたものや抱いていたものを見えなくしている要因であり、逆にその分段々と見えるようになってきてしまうのが社会の常識や他人の目だと思います。そのようにして段々と夢を持てない・夢を語れないような環境が出来上がってしまうのかもしれません。しかし、逆に考えればそんな社会だからこそ、夢を持って挑戦するだけでチャンスになるということです。さらに、年齢は何にも抗えないので、若ければ若いだけ大きな武器になると思います。つまり、今日より若い日はないことから、挑戦することに遅すぎることはあっても、早すぎることはありえないということです。だからこそ、いくつになっても何かに夢中な人や何かに挑戦している人は、魅力的に感じるのだと思います。

私は、“見えてる世界は「大人」でも中身は「こども」のまま”の人生を歩んでいきたいと思います。自分が本当にやりたいこと、達成したい目標、叶えたい夢を周りの人や環境を言い訳にして挑戦しないという選択は幸せではないと思います。そして、そのことがわかっているのにも関わらず、どこかで理由を見つけて、言い訳を見つけて挑戦しない選択をして生きている人が多いのも事実だと思います。年齢を重ねて色々な経験をしたり色々な世界を見ることで、失敗をしないように、傷つかないように人生を歩んでいくことが可能になるのかもしれません。でも私は、失敗しながらでも、傷つきながらでも夢を恥ずかしげもなく語り、全力でその夢を叶えようとする人になりたいです。もしかすると、それが子どもの頃に憧れた大人の姿だったのかもしれません。

もしも将来、自分が子ども授かったときには、「大人ってこんなにたくさんの夢を叶えられるんだ、だったら早く大人になりたい。」と思ってもらえるような父親でありたいと考えています。そして、そういう人が増えていけば大人になることが楽しみな社会へと変わっていくと思います。

自分の人生を歩めるのは自分ひとりしかいないのだから、周りの人や社会からの評価は気にせず、自分の人生に満点をつけられるような生き方をしたいと思います。それが例え、他の人から見たときに満点の人生ではなかったとしても、その人生は成功だと言えると思います。

私の親は夢を語る人ではなかったと思います。でも、その分以上にたくさんの夢を与えてもらいながら育ててくれました。いつだって自分の夢よりも子どもの夢を優先してくれました。今考えると、親の夢を奪ってしまったのは子どもの方だったのかもしれません。でも、私の親は子どもの夢が親の夢なんだと言いながら育ててくれました。本当に感謝しています。
だからこそ、私はいつまでも夢を語り、叶えるような人生を歩んでいく、そして夢を与えていくことで、いつか子どもにとってのスーパーヒーローになりたいです。


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