長男すぎる兄貴へ
先日、長男が素敵な結婚式を挙げました。弟として、おめでたい気持ちを感じながらも、少しだけ寂しさのようなものを感じました。兄とは4つ年が離れていることもあり、喧嘩をすることもなく、可愛がってもらいながら、成長してきたと思います。今の自分があるのは、自分自身の選択の結果でもありますが、兄貴という存在がいたことで選択できた場面も多くあったと思います。そしてこれから先も、兄貴がいるからこそできる選択があると感じています。
今日はそんな兄貴への気持ちを綴っていきたいと思います。
私にとって兄はひとつの道を照らしてくれる存在でした。その道が正解か不正解かは関係なく、何かを選択するときに、既に自分の前にひとつの道があったことは、私にとって大きな助けとなりました。結果的に大学まで兄の通った道を辿ることとなり、見本として兄のことを見ていたように思います。柔道に関しては、中学、高校、大学と兄と同じ道を歩んだため、どこに行っても弟と言われることに嫌気がさしていた時期もありました。高校を選択する時、大学進学をする時、柔道を諦めそうになった時、自分にとって大きな選択をする時はいつも兄の一言がありました。兄の後を追えば追うほど、兄貴が成し遂げてきたことの凄さを痛感し、兄貴を誇らしく思う気持ちと同時に、兄のようになれない自分への歯痒さを感じていました。それは、兄と同じ道を歩み、自分と兄貴をいつでも比較することができる状況であったからこその苦しさでもありました。
兄貴の進んだ道を同じように進んだ自分にとって、兄貴の成績が一つの目標でもあったため、それを超えれない自分にがっかりした時期がありました。しかし、兄貴と同じ道を進んだからと言って、兄貴を目指す必要はないと考えるようになりました。それからは、とにかく自分のことだけを見つめ、兄貴は兄貴、自分は自分として考えることが出来るようになりました。今でこそ、兄貴と自分はそれぞれの個性があって、兄貴と自分を比較することはなくなりましたが、柔道家としても、人としても、私にとって兄の存在はいつまでも大きく、目標です。人と人の比較はするものではないし、勝った負けたなんてないですが、兄貴と私はどこを比較しても敵わないと勝手に思っています。
私は兄のことを長男すぎる兄貴だと人に話すことがあります。それは、兄ほど生真面目で面倒見が良くて、真っ直ぐな人は今まで出会ったことがないからです。これからも長男として、弟に恥ずかしくない姿をいつまでも見せてくれるような気がしています。そんな兄のことをふと考えた時に、長男であるが故に苦しいこともあるのかなと思います。知らず知らずのうちに、自分のやりたいことよりも、歩んできた道から逸れないような選択になってしまっていたり、他人の話を聞いて自分の意志ではなくなっているのかなと感じる時がありました。しかし、常に道があって見本がいた私とは違い、常に自分で道を切り開いてきた兄貴には道がなく、見本だっていなかったはずです。道を踏み外さないように、人の話にはよく耳を傾け、石橋を叩いて渡るのは当然のことだと思います。兄は、いつだって誰よりも自分自身の意志で道を決断してきたんだと思います。
結婚した今、そして子どもを授かる未来を見据えて、兄貴がどんな感情で、どんな想いなのか、私には全く理解ができないけど、間違いなく兄貴は良い旦那、良い親父になると確信しています。これからは、会う機会が減っていくと思うけど、ちょっとだけガキっぽいところも含めて、これからも兄貴らしく、人生を歩んで行って欲しいです。兄貴の未来を想像してワクワクする気持ちもありながら、幼い過去を振り返って少し寂しくもなった結婚式でしたが、末永く幸せに、身体には気をつけて暮らしていてくれれば、またいつでも会えると信じています。
昇馬らしく、後悔のない人生に。
1番幸せになってくれ✌️
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