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しくじりが記録されて忘れられない世界で私達どうやって生きていけば良いんだろうね

おいでなんし~。バーチャル花魁由宇霧(ゆうぎり)と申します。
VTuberとしてYouTubeTikTokPodcastなどで性教育コンテンツをメインに発信しております。

わっちは性感染症などの知識が乏しいまま物理世界(リアル)で風俗店勤務をしたり、沢山の人と性行為をしてきました。それゆえに感染症の検査をおろそかにしてしまったり、治療が遅れてしまったり、対等ではない関係での性交渉を受け入れてしまった経験があります。
「わっちがしてきた失敗をしなくて済むように、しくじってきた人間が体験談や勉強したことを話そう」という想いをこめて、この活動を「しくじり性教育」と名付けました。
ですが、活動を続けていく中で考えが変わってきています。

しくじるのは悪なのだろうか?

「望まない妊娠をしないように!」「性感染症に感染しないように!」と、言えば言うほど「望まない妊娠は悪」「感染したら悪」というコントラストが強調されてしまうような気がして、立ち止まった。
また、最近は「子供が欲しいと思って妊活を始めたけど、思ってたよりできなくて不安になった」という声もきく。
短い時間の中で性知識を伝えようとすると「ちゃんと避妊しないと妊娠するかもしれないよ!」という話し方になる。それは同時に「人はすぐに妊娠する」というメッセージにも聞こえているのではないかと思った。
妊娠を望んでいても望んでいなくても確立が変わるわけではない。
ただ、その「一回」が来た時の感情が違うだけ。
1回で妊娠する人もいれば、そうでない人もいる。
ただ、自分がその「1回で妊娠する人」になるかもしれない、ならないかもしれないと想像するのはなかなか難しい。ゆえに、妊娠を望んでいない人や大人数への発信に対しては先述したような脅しのような切り口を選択せざるを得ないケースが多いのです。

これは個人的な考えなのですが、望まない妊娠や感染症に感染することは悪ではないと思っています。「良いも、悪いも、クソもない」というのが最近のわっちの合言葉で、善悪は人それぞれの環境、宗教、立場によって変わるものだし、同じ人間の中でも「見方、考え方」を変えるだけで善にも悪にも変わるものだと思うのです。法律はその地域のルールをやぶったことに対して措置をしていくものであって、地域が変われば同じことをしても必ず罰せられるわけではありません。また、過去に失敗だったと思うような出来事も後から効果的にはたらくことだってあります。このことから、絶対的に悪い事、絶対的に良い事を決めるっていうのはなんとも難しいなと思うようになり「良いも、悪いも、クソもない」と心のなかでよくつぶやくようになりました。ただ、起きただけ。ただ、あるだけ。
大体の「良い、悪い」は「好き、嫌い」に言い換えられます。
まだ練習中ですが、なるべく好き嫌いという個人的な感想に置き換える努力をしています。

そして、よく2:6:2の法則などで語られるように世の中は10人いれば2人は好きになってくれて、6人は特になにもなく、2人は嫌いになるものです。だから、自分が何かを嫌いになったときも、逆に嫌われた時も、それは全体の2割で、同じぐらい好きな人もいるんだろうし、6割ぐらいの人はなんにも思ってないんだなと思うと、さらに「良いも、悪いも、クソもないな」という気持ちになってきます。

とはいえ、世界はバズ戦国時代。
「悪い、嫌い」の熱量は「良い、好き」の熱量を軽く超えてきます。
ゆえに2割の「悪い、嫌い」の声がSNS村を駆け回る。
SNS村で目立つ声がその村の総意のように見られてしまう。
さらにその声は時と共に落ち着きはするものの、記録としては消えない。

そして「しくじらない人」なんていない。

ねぇ、私達どうやって生きていけばいいの?

「お互い様」の気持ち

しくじる事を恐れるあまり、人付き合いを継続できなかったわっち。
でも最近は心理学や人類学の勉強をすることで「誰もが間違える」ということが理解できてきたし、間違えてしまう自分を受け入れられるようになってきた。
今意識しているのは、自分が迷惑をかけられた時や苦手なものを見てしまった時は「お互い様ですよね」と思うようにすること。
どうやったってムカつく時は無理せず自分の感情をみとめること。
そして、身近に困っている人が居たらできる範囲で手助けをすること。
これらを実行していくことで、もし自分がなにかしくじってしまった時に、人を頼りやすくなるし拒絶された時も過度に凹まず受け入れられるような気がします。
誰にも頼らず自分に厳しく生きるというのは立派なように感じますが、自分に厳しい分無意識に他人にも厳しくなり自己責任の一言で片づけてしまったり、なにかが起きて人を頼らないといけなくなった時に頼れなくなってしまいます。
全部自分で責任取るなんて無理だよ。だから間違えちゃった時はできる人で尻をぬぐいあっても良いんじゃないかな。
必ずお返しできなくたって良い。
できるときに、できる人に、できることを。

たぶんこれからもなんか間違える。
今この文章も間違えてるかもしれない。
その度に記録されて、大勢の人(のように見える2割の人)にバカにされたり拒否されたりするのかもしれない。
だけど、自分がお互い様の精神を忘れない限り
2割の仲間は尻を一緒にぬぐってくれるんじゃないかな。
しくじりが記録されて忘れられない世界でバズって大勢に愛され続けるのは難しいかもしれない。
でも、しくじる事を恐れてなにもできなくなるぐらいなら無理して大勢に愛されなくていい。
過去のしくじりがあるからこそ、今のバーチャル花魁由宇霧がいて
そんな自分自身のことをわっちは結構気に入っている。
だからこれからも、自分自身を好きでいるためにやるべき事、できる事、やりたい事をやっていこうと思う。


追記:この記事を書いている最中、YouTubeの配信時間を間違えて設定、告知してしまっていておゆかり様(ファンネーム)を1時間待たせました。みんな許してくれてありがとう・・・・。

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