刻のむこう 27

「大人しく来い」
 一人が低い声で凪に命じる。途端、弾かれたように凪は男達から離れようと窓に近い壁に走り出した。縋るように壁に手を突き、凪はそこで動けなくなる。恐怖に支配された体は、逃げようとする凪をその場にうずくまらせがんじ搦めにする。
「連れて行くぞ」
 別の男が言葉を投げる。あっという間に近付いてきた男達は、凪をぐるりと囲みその小さな体を押さえつけようとする。
 刹那。凪の中で恐怖を上回る衝動が突き上げた。
「なん………?」
 一人が言葉を零すが、その言葉は最後まで続かなかった。凪の体を突き上げる衝動が無形の力となり、無音の爆発を起こす。その力の強さに凪はきつく目を閉じた。
 長くも短くも感じる空白が降る。
 周囲に何の気配も無くなったことを感じ取り、凪はそっと目を明けた。そこにはまるで竜巻に遭った後のような惨状が広がっていた。きれいに整頓されていた室内は無残に荒れ、家具類は原形を留めない程破壊されつくしていた。そして、凪の目の前に迫っていた男達の姿が消えている。代わりにそこにあるのは、吐き気を誘発する腐臭。
 全てが凪の目の前で破壊され尽くしていた。

   20

 新幹線が目的の駅に滑り込むのを確認し、隆太郎はゆっくりと座席から立ち上がった。緩く減速する感覚に溜息が漏れる。少しでも早く、と気持ちばかりが焦る。今も変わらず隆太郎の意識を苛立ちが刺激していた。
(早く戻んないとな………)
 胸中に零し、ドアが開くのを待ちホームに降り立った。足早に改札を目指し、階段を駆け上がる。昼間にバイクを預けた男と同じ場所で待ち合わせをしているのだ。改札を抜けた隆太郎は、周囲の人の流れに焦れ、待ち合わせの場所に向けて走り出した。
 程無く、昼の待ち合わせ場所に着くと、隆太郎のヘルメットを抱えた男が近付いてきた。
「お疲れさまです。バイクはあちらに」
「ありがとっ!」
 男がタクシーの多く止まっているロータリーの片隅を示す。それに頷き返し、隆太郎は先に立って歩き出した。
 不意に、隆太郎が足を止めた。隣に並んで歩いていた男が不思議そうに隆太郎の顔を覗き込む。何かが隆太郎の意識を鷲掴みにしていた。そのまま強制的に意識を奪われるような衝撃に立っていられず、隆太郎はその場に膝を突いた。
「巫殿………ッ?」
 抑えた声で男が隆太郎の傍らに膝を突き体を支える。大丈夫、と言い掛けた唇の形で隆太郎はきつく目を閉じた。言葉が続かない。余りの苦しさに肩で大きく息を吐く。目眩に襲われ、己の今居る場所を見失いそうになる。視界が捩じれ、嘔吐感が突き上げてくる。
(………こ、れ……)
 胸中に言葉を落とし、隆太郎は呼吸を落ち着かせようとする。
「……る、さん………」
 微かに隆太郎が言葉を零した。男が隆太郎の口許に耳を寄せる。しかしそれ以上言葉にならない。
「巫殿、少し休みましょう?」
 男がそっと隆太郎の耳許に告げるが、隆太郎は強くかぶりを振った。目眩と息苦しさの中に、何かの端が見えた気がする。それを求めて必死に意識を集中しようとするが、うまくいかない。
 ややあって、唐突に隆太郎の意識は開放された。ゆっくりと肩で息を吐き、立ち上がる。男が差し出してくれた手を制し、軽く頭を振ってみれば目眩と息苦しさは完全に消えていた。
「あのさ。当主殿に急ぎの連絡したいんだけど、寄らせてもらって良い?」
 唐突な隆太郎の言葉に、男は一瞬軽く目を見開くがすぐに了解の意を込めて頷き返した。
「わかりました。急ぎましょう、こちらです」
 頷き返し、隆太郎は人の流れを器用に避けながら男の後を追うように小走りに足を進めて行った。

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