刻のむこう 23

 謝る逢坂に、隆太郎は首を振ってみせる。ゆっくりと言葉を唇に乗せた。
「逢坂さんが謝る事じゃいでしょ? 俺としては少し助かった事もあるし。気にしないでよね!」
「それならば良いのですが………」
 苦笑し隆太郎は深く息を吐く。逢坂の申し訳なさそうな視線に笑顔で頷き返した。隆太郎は、先程の者達と相対した時から強くなっている苛立ちの原因を探るようにそっと目を細める。しかし核心に近づけそうになると、途端に靄が掛かったようにその姿が見えなくなってしまうのだ。
(どうしたもんかな………?)
 知らず溜め息が漏れる。幾分乱暴に前髪をかき上げ、隆太郎はソファから立ち上がった。その様子を気遣う色を滲ませた目で、逢坂が見守る。手にしたままの湯飲みをローテーブルに戻し、時計を振り返った。
 時計の針は、七時を幾分過ぎていた。
「巫殿。私はそろそろ最後の仕上げに向かおうと思います」
 逢坂の声に振り返り、隆太郎もまた時計を見上げる。現在時刻を確認し、笑顔で頷き返した。
「そうだね~。そろそろ頃合かな? じゃ、俺は庭の片付け依頼と帰りのチケットの手配しちゃおう。今夜中にあっちに帰るつもりだからさ」
「では、お願いしてもよろしいですか?」
 隆太郎に頷き返し、逢坂は湯飲みを取り上げた。一息に干し、隆太郎の使った湯呑みと共にカウンターへと戻す。
「任せといて。逢坂さんは仕上げに集中してくれて良いから」
 片目を瞑ってみせ、隆太郎は早速と茶器セットの隣に置かれた電話へと足を向けた。それを確認し、逢坂もまた最後の仕上げである幸広の始末へ向かう準備をはじめる。
 隆太郎が彼と同じ部署の者へと連絡する声を背中に聞きながら、逢坂は手早く着替えを済ませた。上着の隠しに懐刀を忍ばせグローブを嵌める。一度、俯き加減にきつく目を閉じ意識を集中する。静かな呼吸を繰り返し、意識を切り替える。
 いくつの依頼をこなし、いくつの命をその手で屠ったところでその瞬間の感覚に慣れる事はできない。生身を裂く感触。温かな朱が恐怖に震えながら溢れ出す様。それらは唐突な死の訪れに戸惑いながら、生に対する執着で満ちている。
 正負に関わらず、感情の制御ができなくなると己の周囲に火を生み出してしまう逢坂の力は、余りにも他者とかけ離れていた。他者と。親兄弟とさえ違い過ぎる己の存在を悲観し、自ら命を絶とうとした十代の頃。逢坂は影爿に拾われた。無我夢中で己の力を制御する事を覚え、数え切れない程の依頼をこなした。
 気付けば逢坂は四十の坂を半分以上過ぎていた。依頼をこなすその時ばかりは己の行為に罪悪感を感じる事もなくなったが、それでもヒトの命が消える瞬間の感覚だけはいつまでたっても慣れることはできない。
(これが私の甘さなのだろうな………)
 いつかこの甘さが命取りになる。そう己を戒め、逢坂はゆっくりと目を上げた。
「………逢坂さん」
 隆太郎の声が響いた。ゆっくりと振り返り、逢坂は薄い笑みを返す。
「大丈夫です。ご心配には及びません」
 言葉を唇に乗せ、強く頷いてみせる。それに強く頷き返し、隆太郎はその目に真剣な色を閃かせた。
「逢坂さん、今夜で全部片付けて帰ってきて! 逢坂さんが帰ってくるの楽しみにしてるからさ。………明日の昼頃の新幹線、チケット一緒に頼んでおいたから乗る前に受け取ってよ?」
「判りました。巫殿も帰りお気を付けください」
 笑みを見せた逢坂に隆太郎もまた笑みを返す。互いに頷き合い、逢坂が先に踵を返した。一度も隆太郎を振り返ることなく、真っ直ぐにドアへと足を進める。ある種の覚悟をその背に滲ませ、逢坂は最後の仕上げへと向かった。

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