刻のむこう 10

   7

 それから、ひとしきり見た夢の内容とは関係のない話に興じ隆太郎は晴楼の自室を後にした。
 高かった陽はゆっくりと傾きはじめ、次第に夕刻の色に全てを染めていく。庭の景色を横目に、隆太郎は茶器セットを載せた盆を手にゆっくりと進む。意識が向くのはやはり昼に見た白昼夢。今は無理にそれを振り払う事はせず、脳裏に浮かぶままにその光景を眺める。
(俺のこの感覚が間違いでなければ、そう遠くないうちに何かが起こるってことだよな。………逢坂さん、期待してるから)
 有栖川と共に屋敷を後にした逢坂に胸中で言葉を向け、隆太郎は僅かに歩調を速めた。向かうのは彼の属する情報収集の部署にあてがわれている部屋。途中、食堂の隣に位置する給湯室に寄り道をしティーセットを片付ける。
 情報収集の部署があてがわれている部屋に辿り着いた隆太郎が部屋に入ると、彼と同じように常駐している者達が振り返り目礼した。その中で最も隆太郎と年の近い少年が数枚の書類を持って隆太郎に歩み寄る。少年の名を杵椙(きすぎ)という。
「お疲れ様です。少しお時間いただけますか?」
 手にした書類を隆太郎に渡しながら、幾分潜めた声で告げる。
「良いよ。なんかあった?」
 頷き返し、隆太郎は奥にある彼専用の文机を示す。頷き返し、杵椙は隆太郎の後を追う。文机の前に落ち着き、隆太郎は杵椙から手渡された書類に目を通す。と、隆太郎が僅かに片眉を上げた。杵椙を振り返る。
「杵椙、これ。悪いけど場所を移して話して良い? これ関係の他の資料も集めて俺の部屋行こ。準備できたらも一回呼んで?」
 笑顔を見せて告げれば、杵椙は真っ直ぐに隆太郎の目を見詰め返し頷いた。
「解りました。すぐに準備します」
「よろしく!」
 答えた杵椙に笑い返し、隆太郎は座り直す。細く長い溜息を一つ落とし、文机に並べられた書類に目を通しはじめた。しかし、思考は晴楼と話していた夢の内容と杵椙から渡された書類の内容の間を行き来し、目を通す書類の内容は殆ど意識には残らない。溜息が零れた。
(先にこっち片付けたいんだけどな~。ま、いっか)
 胸中に呟き、隆太郎は頭の後ろで手を組むと視線をぼんやりと部屋の中に彷徨わせる。
(それにしても………。どんなものが近付いてきてるのかわかんないし。大っ嫌いなあの時の事は見ちゃうし。どーなってんの? いきなり。やっぱ全部あの方に繋がってんのかな?)
 視線を手元に戻し、隆太郎は手を解いた。文机の上の書類をかき集め、端に寄せる。
「やる事、多過ぎ………」
 声に出して呟き、ちらりと杵椙に視線を投げた。膨大な量の資料が並べられた壁際の棚の前で、分厚いバインダーをいくつも腕に抱えながら行きつ戻りつしている姿に小さく笑みを漏らす。
(他の連中より勘良いし、仕事は速いし。何より真面目だし? フツーの会社勤めさせても有能なんだろうな~、杵椙って)
 思考とは全く関係のない言葉を胸中に落とし、隆太郎は小さく笑った。程なく、杵椙がいくつかのバインダーを抱え隆太郎の元へと歩いてきた。
「お待たせして申し訳ありません。準備できました」
「ありがと! じゃ、移動しますか」
 進み出た杵椙に頷き返し、隆太郎は少しばかり勢いをつけて立ち上がった。杵椙の腕から一冊のバインダーを取り上げ、はじめに渡されていた資料も忘れずに抱える。先に立って歩きはじめた。
「……申し訳ありませんっ!」
 隆太郎がバインダーを取り上げ小脇に抱えたことに謝り、杵椙は慌てて隆太郎の後を追う。
「いーって。細かい事は気にしない!」
 どこか楽しげに告げ、隆太郎は襖に手を掛ける。引き開け、先に廊下へと出ると杵椙が続くのを待ち閉める。そんな隆太郎の行動にひたすら恐縮しつつ、杵椙は両手いっぱいの資料を抱え直した。並んで歩きはじめる。
「見付けてくれたこれ、もしかするとすっごいお手柄かも」
 肩越しに杵椙を振り返り、隆太郎は悪戯を含んだ目で笑う。一瞬きょとんとした杵椙は、少しの沈黙を挟み嬉しそうに笑った。
「お力になれたのなら、嬉しいです!」
 素直な杵椙の言葉に、隆太郎もまた無邪気とも見える笑みを返す。小さく笑い合い、二人は隆太郎の自室へと向かった。

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